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・・・・だから、私は山本太郎さんを応援します!


「今は、そんなことどころではない。」

私たちの気持ちを封じ込める言葉だ。

「そんなこと」を「障がい者のこと」「女性のこと」「子どものこと」などに置き換えてみてほしい。

そして、たとえば、災害が起こった時、避難所で、障がい者のことどころではないと言われたり、女性が性的暴行を受けても、泣き寝入りをさせられたり、子どものことどころではないと言われたりする。

この異常事態は、なにもない日常と地続きで、日常的に、なには置いても、弱い立場の人優先の社会であれば、異常事態でも、最も弱い人のことから考えることが、常識になる。

体が動き、情報を得られ、判断力のある人が、少しの余裕を持って、それが出来ない人に気を配ることが出来たら。と思う。

けれど、強者優先の社会では、ひとりひとりの声など、取るに足りないこととされ、消されていく。そうやって、取るに足りない存在だと自分を認識した人の群れが、大きな声についてゆく。どこに連れてゆかれるのだろう。それは、どんな未来なのだろう。想像するだに恐ろしい。

「今は、そんなことどころではない。」という異常事態は、いろいろあるだろう。もしかしたら、もう私たちの日常すら、小さな声に耳を傾ける余裕もない異常事態なのかもしれないけれど。

そのひとつの例としての、選挙!!

余談だが、選挙期間中は、大音量で選挙カーが走り回り、血眼の候補者が名前だけを連呼する。そんな異常事態が私は嫌いだった。3人の子どものうち1人は障がいがあり、その子らをシングルで育ててくる中で、選挙活動ほど迷惑な行為はなかった。なにしろ、やっと寝た子を起こしてゆくのだ。

静かに選挙活動をしてくれる候補者が居れば、そのことだけを理由に投票したいくらいだった。というか、投票に行くのは、至難の業で、障がいのある子どもをベビーカーに乗せ、幼い2人の子どもの手を引き、どうやったら、投票所までたどりつけただろう?テレビを見る暇もなく、ネットもない時代だけど、あっても、ネットをする時間はなかった。毎日、毎日やっと子どもを寝かしつけ、自分も泥のように寝る。そして、夜中も起こされる。

だれも助けてはくれない。友だちで助け合うようになんて言うけれど、お母さん友だちはお母さんが多い。お母さんには、同じように子どもが居て、同じような状況だ。障がい児のお母さんも同じで、お互いがお互いの窮状はわかるけれど、お互いが障がい児を抱えている。どうやったら、人のことも助ける余裕があるというのだろう。

話を戻そう。選挙だ。

そんな投票にも行けなかった私が、2014年、選挙のボランティアに行った。子ども2人は自立し、障がいのある20歳の子どもを連れてのボランティア参加だった。山本太郎陣営だ。選挙戦と言えば、戦いだから騒然としているだろう。最も効率よく宣伝をし、最も生産性の高い有能なボランティアが必要とされているだろうと思って、遠慮はした。けれど、ままよ!この異常事態の選挙で、障がい者に対して、「今、障がい者のことどころではない」という人が居る陣営ならば、もはやそこまで。なんの期待も出来ない。そう思って、この目で山本太郎陣営を見に行った。

そこは素晴らしい陣営だった。山本太郎さんが登場する前から、準備する人たちは優しく、理性的だった。私たちに出来ることなど、ほんの少しなのにも関わらず、「居てくれるだけでいい」といった空気の流れる気持ちのいい場だった。

極めつけは、山本太郎さんだ。事務所開きで登場した山本太郎さんは、お茶を入れ、椅子を出し、一時もじっとしていなかった。そして、私たちボランティアの最後の一人が席に着くまで、自分は席につかなかった。
その日、夜も遅くなり、私と子どもは、皆さんの邪魔にならないように、そっと席を立ち、目だけで、その場に居た人にあいさつをして、そっと事務所を出ようとした。山本太郎さんには気づかれないようにしたつもりだった。なのに太郎さんは飛んで来て、「ありがとうございました」とお礼を言ったのだ。
『私たちのことどころでないだろう、今、太郎さんは大事な話をしているのだから、邪魔になってはいけない』と、そっと出ていこうとする私たちを、太郎さんはほっとかなかった。自分の話よりも、ボランティアの私と子どもにお礼を言うことを優先させてくださった。

なんて低姿勢な人なのだろう。なんて気がきく人なのだろう。なんて優しい人なのだろう。

その日から、私の山本太郎さんに対する印象は、ちっとも変わらない。

シングルマザーで、障がい児の親で、非正規雇用で、しょっちゅう失業もしながら生きてきたからわかるのだ。山本太郎さんは、人を差別しない人だと。どんな綺麗なことを言っていても、どんな立派なことを言っていても、人を見るときに、その人の力や利用価値や、肩書を見る人は多い。特に、力のある人ほど、自分の力になる人かどうかで判断をする。なんの力にもならなさそうな人は、端にもかけない。そんな扱いをされてきたからわかるのだ。山本太郎さんは、どんな人も、同じように、大事なひとりとして、見ている。大事にしてくれる。

そんな選挙ボランティアで発見したことがある。実は、ひとりひとりには絶大な力があるのだ。私と子どもは、チラシを本当にほんのちょっとしか配れなかった。でも、チラシを受け取ってくださった方は、障がいのある子がチラシを配っているだけで、この候補者が、福祉に強い候補者だと、一瞬で理解する。どんな言葉を並べるよりも、障がいのある子の存在が、すべてを雄弁に語っていることに気づいたのだ。時間もないだろう小さな子どものお母さんがチラシに見入ってくださる姿に、励まされた。

どんなに効率よく仕事の出来る人でも、生産性の高い人でも、出来ないことがある。それは、心を届けるということだ。勇気を届けるということだ。

言葉も話せず、字も読めず、書けず、重度の障がいのある私の子どもが、笑っているだけで、「勇気づけらます」と言われることがある。「幸せをわけてもらいました」と言われることがある。笑っているだけで、これだけの仕事をするって、天才かよ!と、思う。


ひとりひとりの力を最も知っている政治家。それが、山本太郎さんだと思う。
もっとも弱い人たちの声で、山本太郎さんは出来ている。
だから、ぶれるわけがない。


2019年7月21日(日)参議院議員選挙投開票日※1.

今わかっていることは、2枚目の投票用紙に「山本太郎」と書くことで、確実に、国会が変わるということ。まずは、さっそくバリアフリー工事から。

2019年の選挙から特定枠※2.というものが設けられて、その特定枠の人から、優先で当選することになる。山本太郎さんの率いる「れいわ新選組」は、この特定枠に難病当事者の方と、重度障がい当事者の方を入れているのだ。このお二人が当選して初めて、山本太郎さんが3人目で当選する。議席すら、「お先にどうぞ!」って、素敵すぎないか?

私は、障がいのある人が、この社会の中心に※3.居れば、そんなにひどい社会にはならないと思っていた。けれど、なにしろ、選挙が多数決でしかない以上、少数の弱者が中心にくることなど、無理だと思っていた。

なのに、特定枠にもっとも生きることが困難な人を優先するなんて、度肝を抜かれた。あっぱれ過ぎる!

それはそうだ。もっとも困難な人の問題から、解決してゆくべきなのだ。大企業優遇なんてもってのほか。もしも、企業があるからこそ、日本の経済が回っていると思っていたら、大間違い。もう多くの人が消費する力がなくなって、経済は回らなくなっている。経済を回したいと思ったら、多くの人を豊かにするしかないのだ。そんなことをされたら、自分の利益が減ってしまうと恐れている人は、なにがなんでも、邪魔してくるだろうけど、一部にお金がたまってゆく社会は、終わってゆく。だれも幸せにできない。

だから、最も困難で、最も貧しい人の問題から解決して行って、だれもが、生活する(消費する)ことが出来るようにすればいいのだ。ひとりひとりの、暮らしが楽になるということが、経済を健全に回すことになるのだから。

だれもほっとかない。
ひとりひとりを大事にする。

だから、私は、山本太郎さんを応援しています!

追記:山本太郎さんは2019年参議院選挙では、重度障害者2名の国会議員を生み出して、自分は落選しました。その後の衆議院選挙で当選。2022参議院選挙で鞍替え当選、2023現在は参議院議員です。
生活は政治に直結していて、その政治を託す政治家を選ぶのが選挙です。その選挙のことを知らないのは、使い方のわからない家電を眺めているようなものです。使いこなせば直で生活が楽になるのに。
今、取り扱い説明書を読む暇もない生活かもしれない(私もかつてそうでした)。でも、その暇を作るために、選挙を使いこなしたいと思うのです。


※1. 2019参議院選挙の振り返りとして読んでいただけたら幸いです。2枚目の用紙に全国区の候補者の名前が書けるのは参議院だけです。衆議院選挙では政党名を記入します(ルールが違ってややこしい!)。

※2.特定枠とは、1票の格差判決を受け選挙区が改定(鳥取島根、高知徳島)されたおり、不利益を被る自民党議員さんのために作られた枠組み。

※3.『社会の中心に』と書いたら、障害当事者の方から、「別に中心じゃなくていいから普通に居れればいい」と意見をいただいた。それはそうだと思った。社会の中心に置いてほしいなんて当事者は言ってはいない。『排除するな』と言っている。『社会の中心に』というのは私の願いだ。センターが好きな人(次郎)はセンターにどうぞ、というわけだ。

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