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食洗機を買う理由は手間を省くことではなく、食器をあっつあつにして殺菌することだ。

家を買ったら、キッチンに食洗機がついていた。リフォームされた家だったがデザインが気に入らず、一回ほとんどを壊してつくりなおしたんだが、水回りをさわると莫大な金がかかるということであきらめ、キッチンはそのままにした。いちからリフォームするのだったら、たぶん食洗機の場所には、オーブンを据え付けたと思う。それに私は、皿を洗うのは好きだし、この先も皿を洗って生きていくくらいの気概は持っていた。

部屋ができあがって、入居してから食洗機をあけてみたらサービスで食洗機用の洗剤がついていた。ものは試しと使ってみた。洗い終わって取り出した皿を触ってみて、驚いた。一切の油分が洗われており、皿の触り心地は自分で洗ったものより格段に清潔感がある。それから私はできるだけ食器は食洗機で洗うようにしている。たくさんの食器を使った日などは、食洗機の順番待ちをするくらいになった。

一人暮らしならば1日分くらいの食器が入る大きさだった

インターネットというものが出現したときに、保守的であったはずの自分はそこに飛びつかず、今もアナログに暮らしていく可能性があったかもしれない。でも、黎明期のあやしいネットショッピングもエンジョイしたし、板みたいなもので電話するなんてダサいと思いつつもスマホもさっさと使うことにしたじゃない。新しいものに飛びついて、その便利さに感謝するという経験をいつもしてきたじゃない。便利さというものはビビリの思い込みを軽く凌駕することは知っていたじゃない。テクノロジーを頑なに拒否する人に対して否定はしないが、もったいないと思ってきたじゃないか。

なのに、何故食洗機は。

学習しない自分を恥じた。食洗機を開発している人はそれが「よきものである」と信じて作っているのではないか? 試しもせずにものごと否定するという行為は、明日も生きなければならない自分を否定するのと同じことなのだ。

私はあの日初めて食洗機から取り出された皿の感触に感動したことを忘れないようにしようと思っている。インターネットってすごい! と感動した日を忘れていないように。

食洗機はまじで、あったほうがいい。

ちなみに私は、乾燥がはじまる直前に止めて、熱々の食器を取り出すのが好き。こんなに熱々ならばいろいろなものが死ぬなと思うからだ。

乾燥しはじめたところで開けて、熱々をたのしむ。