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白銀

少し前まで精神科病棟の手伝いに行っていた.
任されたのは個別の作業療法.
精神科病棟での仕事はほんとうに久しぶり.

その日は閉鎖病棟で車椅子に乗った高齢の認知症の女性の個別介入を行うことになっていた.
現在取り組んでいるリハビリ内容をカルテで確認し,はじめましてと挨拶.

あなたとのリハビリは今日が初めてなので色々と教えていただけますか?と切り出しご本人が現状をどのように認識されているのか確認した.

「家に帰るために歩く練習をしなくちゃいけないの」
認知症を患っているとはいえ,自身の課題について認識されているようだった.
少し気になったのは表情が固いこと.
どうしたのかな.

いつもはOT室でリハビリしていらっしゃるんでしたよね?
それじゃあ今日もOT室まで行きましょうか?

OT室は最上階のバルコニーに面している.
目に入るのは一面の白銀.
そういえば昨日は全国的な寒波があってここでも久しぶりに雪が積もったんだった.

歩く練習の前にちょっとだけ付き合ってくれませんか?
OT室にあった膝掛けや上着をお貸しして、車椅子を押しながらバルコニーへ.

わぁぁ!と小柄な体格から小さな声が漏れる.
雪玉を作って手渡すと,
冷たい!冷たいけど,雪を触ったのは何年ぶりだろう?
と小さいながらにこやかな表情で話す.

その後は長引く入院生活のことや自宅での生活のことなどぽつぽつと途切れるように話しながら,断片的に自身が思い出していくように話しながら歩行練習に取り組んでいただいた.

今日は久しぶりに雪に触った.
何年ぶりだろう?
楽しかった.本当に楽しかった.
と何度も何度も繰り返しながら病棟に戻った.

介入後に改めてカルテを確認すると入院から数年が経過していた.
退院の予定は今のところ未定.

ほんとうに雪に触ったのは数年ぶりなのかも知れない.

退院が具体的に進んでいないことは誰が悪いとは言えない.
それぞれにそれぞれの事情や考えやしがらみがあるのかも知れない.

それでも彼女は家に帰るためにはこれが必要なんだと言いながら歩行練習に取り組む.
ほんとうに数年間雪にも触れず歩行練習に取り組んでいたのかもしれない.

まるで自分に言い聞かせているようにも見えた.

それが良いこととも悪いこととも一概には言えない.

きっと彼女は今年の春も病棟で迎えるのかもしれない.
来年の冬も歩行練習に取り組んでいるのかもしれない.

それが良いこととも悪いこととも一概には言えない.

来年の冬には誰かと一緒に雪を触っているだろうか?

そんなことをふと考えながら次の個別へと向かった.

精神科病棟はこんな空気だったなとゆっくり思い出した.

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