折れないクリエイターの歩き方

こんにちは、スワン(@shiratoriyurie)です( 'ω')

noteだとまだまだ初めましての人が多いかなあと思い、しばらくは自己紹介を入れていこうかと思ってます。

今現在、株式会社メルペイにてデザイナーとしてアプリやWebを中心に設計とかデザインでしつつ、プライベートではギャラリーに所属してアート作品を作ったり、イラストを描いてオタクの祭典で騒いだりもしてます。土日はたまに日曜大工をしていて、いつか欲しいものはマイ振動ドリルです。noteでは主に自分の頭の中の言語化をしようかと思っています。

最近はTwitter中心に生息していて、日々の考えや告知はここでまとめているのでよかったらこちらもどうぞ👇


まえがき

さて、今回からnoteのマガジンを利用して「折れないクリエイターの歩き方」をテーマに、何かしらの「モノづくり」をしている人への書きものをしていこうかと思っています。

なんか大層なマガジン名になってしまったような気がしなくもないですが、実はこのマガジン名を決めるにもうーんうーんと少しだけ悩みました。デザイナーと言ってしまうと幅が狭すぎるし、私自身もアーティスト、イラストレーター、文字書きなどなど様々な「創る」分野に真っ向から向き合って触れてきて、伝えたいものはその違いを軽々と超えて欲しいなと思ったのでこのマガジン名にしました。また映像やコピーライター、小説家、家具職人など私にとってもまだ未知数で最高に楽しい「モノづくり」をしているあなたにも、共感できる部分があったら嬉しいなと思い綴っていこうと思います。

どうぞ、お付き合いください。


クリエイターを取巻く劣悪な○○について

日本中、いや世界中にデザイナーやクリエイター、アーティストや作家というモノづくりに没頭している人たちは無数に存在しています。ひとりひとりが心から楽しみながら、夢を見ながら、自分がどんな素晴らしいものを生み出せるのかと目を輝かせています。

でも、そのすぐ裏の見えないところでで、ジトジトとした湿っぽい自分の感情と毎日しのぎを削って戦っている人がほとんどではないでしょうか。ドキドキしながら「自信作だ!」「みんな見てくれるかな、もしかしたらバズっちゃったりして!?」と淡い期待を胸に、やっとの思いで吐き出したアウトプットに対する痛烈な批判や、そのまた逆の無反応という反応に苦しみや葛藤を抱えながら、「私がやっていることに意味があるのか」と大学生時代のエモーショナルな感傷を何歳になっても引っ張り出してきては、泣くまではしなくても布団の上で虚無感に押しつぶされそうになり、ついTwitterを開いては「嗚呼。この人はこんなにフォロワーいるんだ。すごい、それに比べて私なんてゴミみたい」と頭の中で自動発行した粗大ゴミシールを自分の頭や作品に貼り付けてはいないでしょうか。

「苦しんで苦しんで、だから今があるんです」

そういう有名アーティストのインタビューでの言葉は本当なのだろうと思う。この晒していかなければ社会価値を提供できない職業において、他人からの評価や声をうまく受け流し、時には咀嚼してものにし、泣いても地べたを這ってでも成し遂げたいことに食らいついてきた人たちが羨ましがられるような富や名声を手にしているのは至極真っ当すぎてぐうの音も出ない。

でもそんなライトが当たらない場所で、数え切れないような膨大な数の創り手たちが、ある日を境にぷつっと糸が切れたように創ることをやめてしまうのを私は知っている。60,70代とかならまだわかる気がしないでもないけど、少なくとも世間的に見て明らかに「若い」と言われる人たちがさっさと、誰にも見つからないように風呂敷を畳んで「私は今まで何も作ってなんかいません、普通のナンテコトナイ人間です」と自分の中の陰に隠れてしまうのだ。

さて、その今までやってきたことすべてを闇に葬ってでも隠れてしまいたくなるような、そんな暴力的な力はどこから働いているのだろうかという話を手始めにこのマガジンではしようと思い、この章の見出しでもある「クリエイターを取巻く劣悪な○○について」とラベリングしたのこの「〇〇」についてお話ししたいと思うのだけれど、さて、この空白に値するものはなんだと想像するだろうか?

・・・

多分「環境」とか「社会」とか「価値構造」とか、早々にお堅い話になってしまいそうだなとかウンチクどころ宗教かよと半分読む気が失せ始めている読者の方もいるかもしれないけれど、安心してください「そこ」じゃないです。

クリエイターを取巻く劣悪な「自分」について、私は話したいのです。


クリエイターは自分自身の価値を0だと思いがち説

たまたまTwitterで流れてきたデザイナー1年目だという、つかもとさん(@tsukamo_com)のこのポストに「めちゃくちゃ分かりすぎてこっちまで辛い」というレベルの共感をしたんですが、僭越ながらまさに昔の私そっくりだわと思いました。

デザイナー1年目のあるあるといえば「自分が作るものが全部クソとしか思えなくて他人に見せられない」とか「先輩のレビュー時間をバナ−数枚ごときで1時間も奪って、その間に先輩は画面3枚分のUI設計してて足手まといすぎて死にたい」とか、「フリーランスや起業したデザイナー同期の子がメインサービスを1人でデザインしてて(またはその逆も然り)自分の人生選択が間違っている or 甘えているのではと不安で頭を掻き毟る」などなど...例え出したら無限に出てくる。なんで無限に出てくるかって私自身が当時感じていたそのままの言葉だからです。

他にもフリーランスで働かれているすみだあやかさん(@spicagraph)の記事化されたこの投稿も、大反響を呼んでいました。みんな口々に「これ私じゃん」というリプも数多く見受けられました。特に最後の2つである「すてきですね」の声がけに「ああ、これね!!」と自分の所持物と勘違いしてしまうメンヘラコースへの誘いや、「あなたはそのままで大丈夫ですよ」という言葉に対して「このひと大丈夫?」と拒否反応を起こす心理描写は本当に的を得ていて、私自身にとっても言語化の手助けになりました、この場を借りてありがとうございました。


ところで「My sweet girl」という英語のフレーズをご存知だろうか。

私はネイティブでもなんでもないのだけれど、ざっくり言うと「私の愛しい子」「あなたって本当に素敵!」といったニュアンスで親が自分の子供へ言いながら抱きしめたり、カップルなどでも使っているイメージがある(あくまでイメージなので、詳しいニュアンスがわかるネイティブの方がいたらぜひ今度レクチャーしてほしい、笑)で、何を言いたいのかというと実はこのフレーズ自体が重要なのではなく、この言葉に秘められている別の意味が重要だと私は思っている。

それは「あなたという存在って本当に素晴らしいの!」「生まれて/存在してくれて心からありがとう」といった個人の存在を心から賞賛し、肯定するものであるということだ。

この自分自身の存在自体に価値があると思うことを心理学などでは「自己肯定感」と呼ぶのだけれど、その自己肯定という感覚が著しくクリエイターには欠けていることが多いのではないか、というのが私の持論である。


明日から、もし目が見えなくなったら?

創り手であるあなたへ、簡単な自分の自己肯定力を測る質問をしようと思う。今日もなんてことない平穏を過ごしているあなた。

「明日から、もし目が見えなくなったらあなたの存在価値はありますか?」

想像してみてほしい。目が見えないということは、まず造形をすることが当分の間限りなく不可能に近くなる。キーボードは一般人向けのものではブラインドタッチをしていた人間でも細やかなミスは無くせないし、何より打ち込んだものがタイプミスしていないかも音声読み上げ機能がないと人に目視チェックしてもらうしかない。GUIと言われる神の産物も私には無用の長物となる。筆をとる作品だったら筆を落とす場所も今パレットに出している絵の具の色も分からないわけなので、細密な絵を書いていた方だったらとてもじゃないけど確認できないストレスに打ちのめされてしまうだろうと思う。

まあ、かなり技術も進んでいるから実質は本気を出せば目が見えなくなっても腕が吹っ飛んでも何かしらをアウトプットできる世の中になってきてはいると思うのですが、突然それをできるようになるわけではないし環境が整うまで他人にその環境整備をお願いしなければいけないわけだから、「今まで全部自分でどうにかしてきた」人もどうしようもない時間が生まれるわけです。

要は「あなたからアウトプットを取り除いたら何が残りますか?あなたに価値はありますか?」ということを聞きたいのだが、試しに先日、知り合いの先輩デザイナーに同じようなことを聞いてみたら「そうなったら価値ないと思う」とあっさり断言されてしまった。うそん、と言いたいところなのだけど、実はその方を内心尊敬しているのでついフォローしたくなり「私からしたら行動力の権化のようで、スタートアップでバリバリ活躍しているのに...」と喉まで出かかった言葉を、私は直前そのまま飲み込んだ。恐ろしいことに、まさに相手の「アウトプット」を褒め称えるような言葉を、私たちはちょっとでも気をぬくと無意識に導き出してしまっているのだ。

考えてみれば、幼い頃から何かを作っては人に見せて褒められてきた経験が人より多いのがクリエイターなのでは?と思っていて、つい作れちゃうものだから周りも「モノ」でクリエイターを褒めがちになって人格や存在を褒めてもらった経験値が著しく少ないのが起因しているのでは、と個人的に考察している。

世界で一番悲観的な国民

実は世界的に見ても、日本人は「世界で一番悲観的な国民」と位置付けられるそうで、もうこのラベルだけで「ちょっとやばくないか母国?」と不安に思う。

内閣府でも公開されている数値によると日本人の自己肯定感は世界最低レベルと言って遜色ないほどに低い、少し古いデータになるがこれが著しく向上してるとはとても思えないのでビリ付近にいることは今も変わらないだろう。


平成26年 子供・若者白書より)

少なくとも自分の存在自体の価値、すなわち「自己肯定感」が感じられてないということは、自分の価値はアウトプットや労働など自分が起こした行動や成果によって初めて他人から自分の存在価値が認めてもらえることになり、自分自身のコントロール下から外れることになる。

「いやいや、でも社会人って結果で評価される世界でしょ?何甘えたこと言ってんの?」という人もいるだろうがそこじゃない。もちろん会社の評価は結果でいいと思ってるし、確かに会社が1個人の存在に感謝するなんて想像すると逆にちょっと気持ち悪い気がする。笑

でも会社で都合よく毎回毎回自分が成果を出せるとは限らないし、会社員じゃなくて起業したとしてもどんなに踏ん張って歯を食いしばっても「はい残念でした」と余儀なく失敗の札を顔に貼り付けられる時だってある。全ては絶対的評価ではなく、タイミングというものがあり、理不尽なことは起きて当たり前だし、理不尽なことを言う上司もたぶん好きで理不尽になっているわけではないのですが、それを全部受け止めているとこっちがゲームオーバーになる。そういう時に「いや、でも私まじ生きていて素晴らしいし、意外と愛想いいし、多分死んだらもったいないな、休ませてあげよ。」って自分で判断できるようにするためには自己肯定感が最低限ないと厳しいなと思うのです。

ちなみに私も、新人の頃は風邪をひくたびに「あー今の私価値ないわ、迷惑しかかけてないしindexのデザイン終わってないしもう死にたい...」と悲壮感マックスだったわけですが、仕事しながらたまたま公私ともに不幸があった時とかにうっかり3回ぐらい鬱になりかけて、これやべーないつか死ぬかもって思って心理学の本とか自己認識の本を読みだしたわけです。

そうしたら、有名なアルフレッド・アドラーの心理学とかデール・カーネギーの「悩まずに進め」とか読んでいるうちに、「あれ、もしかして私自己評価って鬼低い?むしろ0?」と気づけたわけです。いやあ、やっぱり100年単位で読み継がれてる書物はやっぱりそれなりの理由があるのだなあと深く感動しました。

ちなみに冒頭に悲観的国民と自分で自分の首を絞めるような話をしておいてなんですが、アドラーはオーストリア出身だし、カーネギーはアメリカ出身で、引き合いに出される実体験の話を聞くとどうにも日本人が持っている「外人はみんな自己主張が強くて自信満々!」という偏見を著書を読むことによって取り除くことができました。なんだ、ヨーロッパだってアメリカだってクソメンヘラっているんじゃん(しかも100年前から!)と思ったらずいぶん気が楽になった気がした。

「反省」はしてもいいけど「否定」はするな

デザイナーだとたまに先輩たちからハッとするようなアドバイスをもらうことがあると思うのですが、その中でこの頃やっと身にしみてわかってきたなあという言葉があって「自分のデザインに対するレビューを人格否定だと思うな」というものです。

「反省」と「否定」は全く違うもので、ここを間違えるとメンヘラコースまっしぐらなので絶対にクリエイターが忘れてはいけない重要なポイントです。

あくまでデザインに対する指摘と、それを生み出した自分への評価は分ける必要があります。ここを混同すると、デザイナーはあっという間に批評に耐えられなくなります。これは他職種にも言えると思っていて、仮に結果が「失敗」だったとしてもそれは「反省」して次にプラスになるように活かせばいいものであって、「こんな仕事もできないのかこのクズ!!!」と漫画に出てくるようなたかだか一つの結果に対して人格まで丸ごと含めてヤジを飛ばすような人がいますが、こういう人は宇宙人なのでさっさと距離をおきましょう。そしてもう一つ、同じくらい無視する必要があるのが内なる批判者と言われる「こんな仕事もできないのか!本当にクズ野郎だな!」と場所も時間も無視して援護射撃で罵声を常に浴びせてくる自分自身の声です。

これは厄介で、嫌な上司のように距離を置くこともできなければ家にいてもお風呂に入っていてもはたまた夢の中までも追っかけてくる相当厄介なやつです。しかも、だいたいは上司に言われた小さな小言の1を人格否定100ぐらいに膨らませて手渡してくるのでむしろこっちの方が何十倍も厄介です。

ちなみに、わかりやすい例としてテニスの世界では有名な「インナーゲーム」という考え方があって、その中で出てくる例はこのようなもの。

ほとんどの人が、常に何かを自分に話している。テイクバックが遅れた、スイートスポットに当たらなかった、手首をこねた、苦手なバックにボールが来た、どうしよう困った、ああまた失敗した、下手クソ、恥ずかしい、情けない……テニスをしているあいだ片時も休むことがない。つまり、テニスプレーヤーの中には2人の人間がいるんだ。わたしはこれを<セルフ1>と<セルフ2>と呼んでいる

ボールを打ち返せなかった、という事象に対して「もっとこうしていれば」「もう一歩早く足が動いていたら」という基本的振り返りに加えて、「何でそんなこともできないんだ」「だからずっと表彰台にも登れないんだ」「そんなことだから、恋人や友人にも笑われるんだみっともないやつだと!」という具合でたかだかボール1個返さなかっただけで友人関係から恋愛まで含めて自分を避難しだすやつが内側にいる、そんでもない驚異。自分自身で思い浮かべてみて思い当たる節はないだろうか、私は顔から火が出るくらい自分を懲らしめていたことに、やっと最近気づいた(もっと早く知ってたらどれほど楽だったか!)

自己肯定力を上げる方法

さてさて、そんな「内なる声」を中指おっ立てて退散するためにはどうしたらいいだろうか。ここからは完全に先人たちの知恵の受け売りになってしまうのだけれど、いくつか試した中で効果があったものを偏見に満ちたピックアップで3つをご紹介したい。

1.肯定ペンギンちゃんの真似をする

肯定ペンギンちゃんをご存知だろうか?Twitterを中心にイラストを発表している、るるてあさん(@k_r_r_l_l_のキャラクターで「出勤してえらい!」などといった一見「え、そんなことで褒めるの?」という超当たり前に私達が日常で過ごしていることに対してめちゃくちゃ褒めてくれる、愛らしいペンギンのキャラクターだ。

派生してTwitter上では「呼吸してえらい!」「雪が降ったのに出社しようか考えてる時点でえらい!」と投稿者それぞれが自分を褒める姿が見受けられて、ちょっとした幸せな気持ちになる。

そこでこうペンちゃんを見習って毎日20回ぐらい、超絶当たり前のことで「自分ってえら〜い!」と口にしてみてほしい。恥ずかしかったら脳内でもいいけれど、個人的には声に出した方が圧倒的に効果が高い気がする。笑

そんな、アホな、と言われるかもしれない。むしろこいつ頭おかしいのかと思われるかもしれないが、ぶっちゃけ効果は絶大だ。人間は本当についつい自分を責めがちなくせに、その逆に自分自身へ「よく頑張ったね」とか「えらいね」とか「素敵だね」と自分自身に話しかけてあげることがほとんどないない。まあ、御察しの通り自己肯定感0の人が始めようとすると想像して吹き出してしまうどころか「気持ち悪い無理!!!」と拒絶反応する人もいると思うので、まずはこうペンちゃんを頭の中に思い浮かべて「えらいって言おうか考えようとしてるの?えら〜い!」と投げかけてほしい。結構ニヤニヤしてしまう。

私は毎朝起きて「朝起きてえら〜い!」「出社しようとしててえら〜い!」「怒られたのに素直に受け止めて直そうとしてるの?超えら〜い!」と唱え続けていたらものすごく気分が良く、ついでに不安もないから頭が冴えて仕事がめちゃくちゃ捗るようになった。宗教と思わずぜひ、騙されたと思ってやってほしい。

2.自答100

自分を褒めることに慣れだしたら、自分の何が不安や自己嫌悪につながっているのかと対峙してみよう。具体的には2つのことについて100書き出すということをやってみてほしい。

それは「自分の長所」と「自分の短所」の2つ。

この2つをノートにびっしり書き出してみる。100個が苦しかったら50個でも良い、私がは最初50個で結構あっぷあっぷだったので自分にあった量で良いと思う。

それぞれ書き出したら、長所のところは「わたし最高!」と思って全力で受け入れよう、50~100個も良いところがあるのだからだいぶ良いやつだと思う。そして大切なのは「短所」についての向き合い方だ。最初は「うぅ...長所と同じくらいたくさんあるじゃん死にたい...」と自分でも見返すだけで泣きたくなるような気持ちになる(さらに長所の時より言葉が具体的で鋭利だったりすることも多い)のだが、これに順番に取り消し線を入れていく。そしてそのすぐそばに「裏返しの良さは何か?」を追記していきます。

私のノートにはがっつりこれが残っていて、正直恥ずかしすぎて人に見せるものじゃないと思ったんだけど「かっこ悪いところも見せてえらい!」ってようやく思えたので、手始めに軽いところだけお見せします。笑

我ながら「面倒くさがり屋/心に余裕がある」「ちょっと太め/触り心地が良い」とか良い切り返しできてるんじゃないかと自画自賛してこうと思ったのでネタとしても1度やってみると面白いです。ちなみにコツはとにかく早くやることで、確か3分以内でストップウォッチ持ってやると変に考え込まず直感的な言葉が出てくるのでいいそうです。

で、全部これを打ち消した後の残るのはズバリ「全部私の長所で、しかも200個もある!」ってことです。私超すばらしい、以上!


3.セルフノート

褒める癖がついてきて、自分と向き合ったらこの感覚を失わなように日々続けていくことが大切です。そこで、私はなるべく毎日(たまに忘れても良いと良いのがポイント)日記をつけていて、まず手始めに「今日よかった10個のこと」を書き出します。

「バタバタしていたのに会議に遅れなかった」「リリース前にバグを見つけられた」など仕事のことはもちろん「気持ちいい線がかけた」「新しい絵を描いた」など創作活動のことでも良いし、はたまた「天気がよかった」「電車で座れた」「たこ焼きを一個おまけしてもらえた」などプライベートなことでも良いのでとにかく気分がよかった、えらい!と思ったことを書き出します。

そのあとに「反省」ではなく「もっとよくできること」として直したいことを洗い出していきます。よかったことより少なめにするのがポイントで、抱え切れるくらいのものが良いです。セルフノートについては、以前もはてなでエントリーを書いたのでよかったら読んでみてください。

一度自信をつけても、仕事や恋愛や不運な事故などいつどんな時に死ぬほど落ち込むことがあるかわかりません。毎日ちょっとずつ自分に自信貯金をしてあげると、1ヶ月後半年後の自分の体感が全く変わってきます。



以上、自己肯定感を上げる3つのやり方でした。

生まれながらに自己肯定感MAXの人からすると???だろうし、ことによっては捉え方やり方を間違えると自意識過剰になってしまいそうですが、個人的にはクリエイターやモノづくりをしている人たちは果てしなく自分に厳しい傾向があると思うので「褒めすぎて頭がバカになっちゃうよ!」と思うくらい褒めるつもりでいるのがちょうどいいと思ってます。


続けたもの勝ちだからこそ

美大を卒業する時に教授に言われた「絵は続けたもん勝ちだよ、まずはなんでも良いから30歳まで続けてみて」という言葉が今でも強く頭に残っている。有名にならなくても良いし、バズらなくても良い、そんなことは良いから続けた先にきっと良いことがあるからと教授はいいたかったのかもしれない。

ただ、それを真っ当に体当たりしていくにはいささか厳しいご時世になってきたように思う。人の作品や意見、バッシング、批評、流行、本当に目も回るような情報や声がせわしなく私たちを追い詰めるような今の情報社会で、「黙々と作品を作ってたら80歳でした」なんて昔の画家みたいな生き方は離島にでも引きこもらない限り、誰かが勝手に揚げ足をとってやんやと祭り上げるような事態もあれば他人と自分を比較して自滅してしまう確率の方が圧倒的に高いと思う。

そういう中で私たちがずっと創り続けていくには、ナルシストだ現実逃避だと言われようときちんと「武装」をすることが必要なのだと思う。赤子から100歳のご老人でも、目に見えるものであれば誰でも批評はできてしまう時代だから、私たちはそれを知った上で上手に噛み砕いて、ものにしていかなければいけない。

技術者や作家として「将来が不安なんです」という後輩の言葉を聞くたびになんとも言えない不安と、この人もまた辞めてしまうのでは?という避けたい未来にどうにか争う術はないかと思って、自分自身が鬱になりかけても這いつくばって得た知識を、いっそのことシェアしていこうかなと思い、この「折れないクリエイターの歩き方」というマガジンを始めることにしました。

我ながら第1回だというのに、重いわ長いわで先が思いやられますが少しでもモノを作っている人に役立つことがあれば幸いです。

ではまた( 'ω')スワーン


(参考図書)

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

デール・カーネギーの悩まずに進め ──新たな人生を始める方法

自分に自信をつける最高の方法―――ミス・ユニバース・ジャパンビューティーキャンプ講師の世界一受けたい特別講義 

「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法



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スワン

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あらゆるモノづくりをしているクリエイターへ。 厳しい情報社会の中で、創り手が心を折らずにずっと創り続けていくためのちょっとした「生きやすくなるコツ」をまとめていきます。
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コメント2件

スワンさんはじめまして(^^)こちらの記事を拝読し”自己肯定感”という単語が自分の中に存在していなかったことに気づきました。なんだかやっと自分という存在が生まれた気分です。ちょっと大げさですがそれくらい感謝しています!ありがとうございました!
勇気が出ました。言葉にしてくれて、ありがとうございます!
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