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辰 團菊祭五月大歌舞伎 『伽羅先代萩』『四千両小判梅葉』

 <白梅の芝居見物記>

 伽羅先代萩

 大変面白く拝見しました。
 六世中村歌右衛門丈の政岡を拝見した者としては、足りないと思える部分があることは否定できないのですが、非常に見応えのある舞台でした。
 まず、今回は子役の域を出た「見せる」芝居をする尾上丑之助丈の千松が存在感を出している飯焚きがやはり印象的でした。丑之助丈だから出来る芝居で、恐らく今だけしか見られない舞台であろうかと思います。

 丑之助丈は決して子役の域を逸脱しているわけではないのですが、彼なりに役の性根をとらえ菊之助丈の政岡との間で台詞の応酬とも思えるやりとりさえあり、それが今までにない芝居の面白さを感じさせてくれたのは確かです。
 千松自身が己の責務を自覚し、子供らしさを残しながらも役目を全うしようとする姿。飯をせがむ千松をたしなめる政岡に対して子供の反抗期を感じさせる面さえのぞかせ反論するところは印象的でした。子役の突っ込んだ芝居には賛否あるかと思いますし、子役の演技の今後の手本と言っていいとも思いません。ただ、ひとつの見物であることは確かでした。

 中村種太郎丈の鶴千代もしっかりと若君らしい落ち着きもった芝居をしていて、子役によって芝居の面白さが変わる見本のように思われました。

 尾上菊之助丈の政岡ですが、立女方としての存在感が出てきていらっしゃるのが頼もしい限りでした。
 非常に面白く拝見した分さらに観客としては欲張りを言うことになってしまうのですが、そこはご勘弁いただけたらと思います。
 日々進化されているでしょうから、私が拝見した時に気になったことを少し書いてみようと思います。

 序盤の千松、鶴千代とのやりとりの中で、無意識なのでしょうが上半身を必要以上に動かすのが私には非常に気になりました。
 些末的なことのように思われるかも知れませんが。
 単なる技術ではなく何気ないところにおいて「肚」の座ったところが自然に出ないと、古典歌舞伎においては、ことに義太夫狂言ではもの足りなさを感じてしまう要因になるように私には思われます。
 こうしたところに自然と風格が出、芝居に義太夫節のタメのような深みや味わいが出てくる域に達しないと、飯焚きを是非見たいというところまではなかなかいかないように思われます。

 古典歌舞伎ではとかく「心理劇」ではなく「肚芸」が求められます。
 今の観客には「心理劇」の方が受入れ易いことは事実です。しっかりとした作品解釈の上で心理描写がなされていると、それだけで作品世界に入りやすく感動もし易い、ということは私自身も含めて否定できないところです。

 ただ、そこからもう一歩先に進むことが古典を演じる側には求められている、というのも事実でしょう。
 古典の継承者には避けて通ることができない、避けて通っては古典は守れないのではないかと、やはり私には思われます。
 ここを乗り越えないと、その「芸」だけで作品世界を否応なく納得させる域には至らないようにも思われます。

 「肚芸」より「心理劇」が勝っている今の段階ですと、例えば栄御前が人払いをして政岡と二人だけになる場面において、千松が命をかけて守った鶴千代を簡単に腰元達に預けてしまうところが、私にはどうしても気になってしまいます。
 沖ノ井や松島に千松を託すやり方があったように思います。八汐に対する毅然とした態度を見て政岡が安心して二人に預けるという方が自然のように思われます。役者の芸で押し切られて見ている側も芝居の嘘という点で演出上の細かいところに意識がいかないことはままあります。ただ、心理劇的要素が前面に出てくるとこうしたことが気になってきてしまいます。そうした所は工夫がなされてもいいように私には思われます。

 政岡の飯焚きですが、世話女房のようにテキパキとというよりせわしなく動く姿を見て、茶筅で米をとぎ茶の湯の釜でご飯をわざわざ焚く見せ場としては、菊之助丈をしてもなかなか成立しがたいところであり、心理劇では如何ともし難い今の役者の一番の難関であることは間違いないようです。
 舞踊だけでなく義太夫を中心に浄瑠璃における語りの息づかいから生まれてくる「間」や「タメ」というものがしっかり身に付いていないと、その芸は淡泊で味わい深いものになっていかないように思われます。

 また、この作品が古典として残ってきた背景にはそれなりの意味と深い思いがあったことを忘れてはならないのように私には思われます。
 中村雀右衛門丈の栄御前、中村歌六丈の八汐にももう一つ突っ込んだ芝居が求められるようにも思われます。単に憎々しいだけではなく、政治的な手強さのある大敵役としての肚の強さの上に老獪なしたたかさがあってこそ、政岡の苦難もより一層浮かびあがります。芝居に緊迫感を生み出されないとこの芝居の本質を見せることは出来ないように思われます。

 この一家中を巻き込んだお家騒動に暗示されている政争は、単に伊達騒動の次元の問題を扱っているだけだとは私には思われません。公家世界の歪んだ権力欲に翻弄されるまだ政治的に未熟であった徳川政権の苦悩が象徴されていると私は考えています。この点に関しての詳細の説明は別の機会にしたいと思いますが。

 前途有望な女方が輩出している今、加賀見山の世界を待望する声も最近はよく聞かれます。
 この加賀見山の世界も暗示的に扱われている世界は単なるお家騒動の次元ではないだろうと私は考えています。卑近な愛憎劇の題材として扱われがちな「大奥」ですが、近世において実際には女性がどれだけ天下国家に対して責任を持ちそれを自覚していたのか、その自覚と機能を幕末まで有していたかを考えるべき時に来ているように思います。
 そうした視点さえ持って演じられることが古典歌舞伎を見直すことにつながるのではないかと私は考えます。
 そうした芝居作りがなされていくことを願いつつ、菊之助丈にも是非上演を試みて頂きたい演目として上げておきたいと思います。

 中村米吉丈の沖ノ井が美しく、凜とした武家の女房としての性根がよく出ていて大変印象深かったことを付け加えておきます。

 四千両小判梅葉

 私にとってこの作品は、二代目尾上松緑丈、尾上菊五郎丈の富蔵で大変楽しませて頂いた、とても好きな芝居の一つと言えます。
 渡辺保氏が書かれていらっしゃる以上のことを評せる実力もないのですが、私なりに今回の上演で考えたことをまとめてみようと思います。

 この作品に限ったことではありませんが。
 今、時代の移り変わりのみならず役者さんの世代交代が進むにつれ、歌舞伎にとって殊に世話物はその味わいを含めこれからどう継承していくのかが難しい時代になっているのを感じます。
 まだ歌舞伎の世界に馴染み切れていない観客層にとって、この作品が大好きであるという見物はそう多くないようにも思われます。
 ただ、現代の観客にもはや受け入れられない作品というには惜しい面白さがこの作品にはあり、渡辺氏がご指摘になっているように、新しい時代にも受け入れられていくような工夫が必要と言えるかもしれません。

 『四千両小判梅葉』は明治十八年(1885)十一月東京千歳座で初演されました。作者は河竹黙阿弥。同じ年の二月に『水天宮利生深川』が上演されています。明治十四年には『天衣紛上野初花』(河内山と直侍)が発表されているという世相を考える必要があるように思います。

 この作品は、例えば『三人吉三』のように幕末に黙阿弥が四代目市川小團次に当てて書いたような作品群とは「毛色」が違っている作品だということを、まずは押さえておく必要があるように思われます。幕末の頽廃的な無力感がにじんでくる因果譚のような色合いは、この時期の作品には感じられないのではないかと思います。
 初演時の富蔵は五代目尾上菊五郎です。
 藤岡藤十郎は七代目市川團蔵ですが‥。この人物のモデルを考えるとおそらく今回の中村梅玉丈の方が仁(ニン)に合っているように思われることをまずは断わっておきましょう。

 この作品の大きな見せ場は「伝馬町牢内の場」にあります。
 今回は、今の役者が得手とする写実的な演技が却ってこの場の面白さを消してしまっているように私には思われました。
 牢内の場において、ヤクザな犯罪者どうしの間における争いや弱者へのいじめ、さらにリンチまがいの暴力沙汰とも捉えかねられない雰囲気の様子を舞台上で生々しく演じられても、決して面白いものではありません。

 二代目の松緑丈や菊五郎丈の芝居では、囚人の中にも大物と小物がいることを、面白おかしく役者の味わいを生かしながら活写されていたのが、大変面白く感じた要因のように思います。
 牢内と言えども小さな社会を形成していて、大物をトップとしてきちんとした秩序を保とうとする機能が働いており、見込みのある者とない者というようにその「人物」を見て振り分ける様子は大変興味深く感じるところですが、それを芝居気たっぷりに写し出しているのが面白いのです。
 単に罪人の「力」によるピラミッド型の構造がいかにつくり出されているのかを描くことが目的ではない、役者の味わいを前面に出して活写されるところが非常に面白く感じるところなのだと思います。

 また、「歌舞伎」という芝居の特徴として、『四千両』も単なる囚人を題材とする奇をてらった芝居として見るだけではいけないように思います。
 この作品が生み出された時代背景を考え直すことも重要だと思います。

 『四千両』は「牢屋敷言渡の場」の後に「牢跡祖師堂の場」が本来は付いています。
 〽きのふまで浮世地獄と人呼びし、牢屋のあとも極楽へ、けふは導く祖師堂に会式桜の花咲いて、街賑ふ夜参りや‥
という清元から祖師堂の場ははじまります。
 明治になって大牢のあった場所が日蓮宗の祖師堂になり平和な御代を謳歌している様が描かれているのです。
 この場を上演することはめったにありませんが、二代目や菊五郎丈での上演時にはそうした時代の到来を暗示するような、明るくすがすがしささえ感じさせるような「牢屋敷言渡しの場」の幕切れであったことが思い出されます。

 今回の上演でもひときは印象深いのが、どうせするなら大きなことをしろ、というメッセージが強く打ち出されているところだと思います。
 この点に関して、今回「言渡しの場」でとても気になったことを調べていたら、この作品には大きな社会的メッセージが暗示されているであろうことに思い至りました。
 お仕置きにあう二人の人物の年齢を、富蔵33才、藤十郎37才とこの作品は設定しています。生年不詳の人物の年齢をわざわざ印象に残るように台詞で言わせているのです。

 この作品の初演が明治十八年、その前年に元土佐藩士が中心になって瑞山会が結成されて土佐勤王党殉難者の記念碑建立と武市半平太(瑞山)の伝記編纂が決められています。
 半平太が切腹を命ぜられたのが、37才の時です。
 坂本龍馬は33才の時に暗殺されています。
 土佐は公議政体体制を目指すものの薩摩による討幕のクーデーターが起こってしまいその理想は実現していません。その上明治政府の元では政治的に決して主流をなす勝者側とは言えない立場に甘んじていますが、徳川幕府が大政を天皇に返上する「大政奉還」に土佐が大きな役割を担ったことは確かでしょう。

 徳川将軍家のお膝元を自認していた江戸庶民からみれば、幕府や徳川家は時の政権から閉め出された側であり、大政奉還を推進した者はまさに政権の「大盗人」であることに違いはないかと思います。
 ただ「大盗人」ではあるけれど、外様大名の藩のその中でも一介の郷士にすぎない若者が世の中を大きく転換させる大事をなすことに大きな役割をになった。そうしたことが、暗示的な次元ではあるけれど見直される時代が訪れていたということでしょう。罪人としてではなく新たな時代を築くのに大きな貢献をしたその働きを顕彰し、大人物たちを賞賛したいそうした思いが、この作品には暗示されているように私には思えます。

 坂本龍馬に関しては人気があり説明はいらないでしょう。人たらし的な魅力が、富蔵にも色濃く表れることが求められるように思われます。
 武市半平太は一年九ヶ月もの間獄中生活を送った人物です。同時代人から「至誠の人」として評価が高く、人望は西郷隆盛、政治は木戸孝允に匹敵する人物と言われたようです。色白で美形、堂々たる体格でありあの『月形半平太』のモデルとも言われています。獄中では牢番からも心服を受けており、葬儀には3キロもの会葬者の列が出来たと言われる程の人物です。

 安政期の暗い世相に起こった幕府の権威を失墜させるような盗賊の事件を扱ってはいるのですが、幕末の志士の行いや人となりを芝居に反映させていることは確かだと思われます。そうした視点に立って、芝居を再度捉え直してもいいように私には思われます。
                       2024.5.17

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