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”清和源氏”を知る 2

清和源氏は女系

  先に紹介した、井上 力著『もう一つの鎌倉時代』の、表紙の写真を載せました。が、まず、お断りしておかねばいけないことは、この本の帯に書かれている「源頼朝は暗殺された」という指摘に、私は賛同していません。やはり、頼朝の死は落馬による不慮の死であったと思っています。ただ、ここでは、頼朝も義経も女性であったということに話を絞るため、深入りはしません。

 この著作で、井上氏は、以下のように指摘しています。
 「<吾妻鏡>の描いた世界は、朝廷も幕府も女性の役所でした。そのなかの記録ですから、歌集もみな女性の生んだものです。その前の平安時代でも同じです。<古今和歌集>は全部女性の作品です。なおその前の<万葉集>も同じです。そういう社会であって、そこで政庁のなかで歌などやっていたから、それが残ったのにすぎません。」(p551)

 私は、万葉集の時代に関してはわからないことの方が多く、すべての歌が女性だとまで言えるのか、そうしたことも含め、今はまだわからない、としか言えません。
 ただ、平安時代においては、道長の例もあり宮廷のすべてが女性で固められていたとまでは、思っていません。
 しかしながら、日本列島が女系中心の社会であり、女性の論理で動かされてきた社会であろうことは想像に難くないと思っています。
 列島が母系社会にならざるを得なかった点に関しては、別の機会に言及します。

日本列島は女系の多民族社会

 江上波夫氏が、”騎馬民族征服王朝説”を唱えられました。
 賛否両論あるかと思います。しかし、考古学の示すところに従えば、やはり、列島に騎馬民族が押し寄せてきたことは事実であると考えます。そして、私なりにもう一歩進めると、列島に押し寄せてきた騎馬民族が、列島の母系社会と「融合」していった。もしくは、騎馬民族が、列島の母系社会に飲み込まれていった、と考えるのが妥当かと思います。

 日本人のDNA鑑定をすると、単一民族とはとても言えない、その多様性には驚かされると言われます。
 
 少なくとも、徐福伝説が発生する時代以降、史料で確認が出来ないからというだけで影響関係がなかったとは言い切れないのではないか。大陸の北岸で大型船が航行する時代には、すでに列島との間に交流があったと考えるべきではないか。
 列島における歴史以前、考古学の時代から、列島と大陸との関係は私たちが想像するより、はるかに大きく、世界史的規模の視点の考察が必要だと、私は考えています。

 それは、列島が常に大陸からの文化の下流にあったというだけではなく、断続的にではあれ、古代より、日本が世界史レベルの動きの中で、大きな役割、影響力をもっていた時代があった。そうした意識が、日本人の意識の底に常にあり、それが日本人の行動の選択に影響を及ぼしていたことは、紛れもない事実です。
 そうした視点は、世界史レベルで文化を追っていくと明白で、古代から近代にいたるまで、それは広く、また深いものがあります。そうした視点に関しては、追々言及して参ります。

頼朝や義経は女性

 話がそれましたが、井上 力氏が、<吾妻鏡>から読み解いたように、頼朝や義経は女性です。

 頼朝が女性であるのは、清和源氏の棟梁は、女性にしかなれないからです。ただし、徳川政権からは、男系に変わります。
 清和源氏の棟梁が女性である説明は、古事記や日本書紀の謎、伊勢物語の謎、に関わることで、本来なら、古代史の説明からはじめねばなりません。
 しかし、今の私には、古代史の謎をきちんと説明しきることは出来ない以上、差し控えたいと思います。
 清和源氏の棟梁が女性であることは、能、人形浄瑠璃や歌舞伎を深掘りする過程で、状況証拠を積み重ねていきながら読み解いていくこととします。

 義経が女性であるのは、気づいてみればとても簡単にわかります。
弁慶も女性です。
 なぜかと言えば、彼女達の武器が、長刀(薙刀)だからです。
 薙刀は女性の武器です。
 現代でこそ、男性も習う方が出てきているとのことですが、薙刀は本来は女性の武術です。
 歌舞伎でも、女性には薙刀、男性には槍を持たせます。ただ、能がかりの歌舞伎,、例えば『船弁慶』などは薙刀を持っていますが、それ以外は、弁慶に薙刀は持たせません。何故なら、能がかりではない歌舞伎に出てくる弁慶は、モデルとしている人物が男性であるため、金棒や杖を持たせたりするからです。

 『義経千本桜』の二段目で、平知盛が薙刀を持っているではないかと思われるかもしれません。
 私も、ながらく知盛のモデルが誰であるか、わからないでいました。近年の名優達の「大物の浦」を見ていたら、わからないはずなんです。舞台は舞台で男性のドラマとして、独立した芸術性、説得力を持っており、それを否定するものではありません。
 私がこの人物のモデルが女性であることに気がついたのは、尾上菊之助丈の再演時の知盛を見たときでした。いい、悪いではなく、丸本に沿えば、菊之助丈の知盛の方が、原作に近いかもしれません。

 次回は、義経が女性であることを、能の作品から考えて見たいと思います。

 2023/5/4



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