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白梅の芝居よもやまばなし

猿之助丈への願い

 歌舞伎界では、今大変心の痛むことが起こっています。

 私自身混乱し、何も手につかない状態が続いていましたが、心を奮い立たせて筆をとります。

 まずは、市川段四郎丈と奥様のご冥福を、心よりおいのり申し上げます。

 歌舞伎のご贔屓の方には、役者のみならず奥様のファンで贔屓にしていらっしゃる方がたくさんおられると聞いたことがあります。私にとっては、お亡くなりになった段四郎夫人の延子さんが、若き日の一番の憧れの方でした。だからでしょうか、こうして筆をとると、自分で思っていたより、ずっとショックを受けていたことに気づかされます。

 歌舞伎は四百年以上の歴史があります。
 戦国時代からの武士の習わしがあったり、近代以前の民間に男性だけの集まりで行われた独特の習俗が各地に存在したことは、浅学の私もいくらか目にしてきました。男性だけの社会において、集団をまとめる、またはまとまっていくとはどういったものか、正直言って私にはよくわかりません。

 ただ、今回のことで週刊誌やネットで騒がれている内容を見ると、パワハラとかセクハラに関して、一方の意見だけを聞いて判断することの危険性を強く感じました。
 私も、いろいろな人生経験を重ね、いろいろな人と出会い、「組織」の中で働く機会を得、人間関係にもまれながら長年勤める中で、組織内の様々な人間模様を見てきました。
 その中で、セクハラもパワハラも、加害者とされる方が一方的に悪いとは言えない場合があると言うことです。
 また、客観的事実より印象や噂話でレッテルが貼られ、それが特定の人のバッシングにつながる恐ろしさも見てきました。そしてなによりこわいのは、そうした無責任な流れをつくる人たちに、全く罪の意識がないことです。
 人間関係において、客観的で正しい状況分析が出来れば、噂話、例えば週刊誌のような媒体の情報も、貴重な情報源になっていくと、私は思います。しかし、その情報が正しく使われなければ、それによって不当な扱いを受けたり、追い詰められてしまう人が出てきしまう危険性は、どこにでもあります。

 人間関係は、難しいものです。

 セクハラに関しても、同じ人が、同じことを言われたりやられたりしても、Aさんから言われたりされたことはセクハラになるのに、Bさんから言われたりされたことはセクハラにならない、と多分に受けた側の主観に左右されてしまう面があります。
 また、身体に少し触られただけで、耐えがたいセクハラと感じる人もいれば、ベタベタされても気にならない人、それを一緒になって楽しめる人、さらには、かえって、色仕掛けで悪用さえする人がいます。
 人間関係には健全なコミュニケーションや信頼関係が不可欠なことを痛感します。
 
 加害者とされる人にとって、相手がどう感じているのか、意思表示をしなければ、相手が本当に嫌がっているのか、傷ついているのか、全く気づいていないことも多いのではないかと思われます。
 また、お互い了解していると思っていたのに、ある日突然、自分の意に沿わない扱いをされたと、手のひらを返して被害を訴えられたとしたら、どちらが真の被害者なのかわからない状況もあり得ます。

 パワハラがあるから、意思表示が出来ない、被害を受け入れるしかないと、問題をすり替えるのも違うように思います。

 宙乗りや大仕掛けなど、少しの気の緩みが、大事故につながりかねない現場では、長丁場の中で、当然厳しさが求められるでしょう。重責を担いながら、思うように事が運ばない、思うように人が動いてくれないとイライラすることがあれば、罵声を浴びせたくなることもあるかもしれません。

 上に立つ者には上に立つ者の言い分があり、下の者には下の言い分があるでしょう。どんな職場にもある問題だと思います。

 ただ、私の見る限り、「健全な職場」では、与えられた仕事の責任を全うしている人は、お互いを尊重はしても、お互いに不要な忖度などしません。仕事の出来る上司は、部下に責任をなすりつけたりしないし、部下の忖度を要求し、そういう意味で意に沿わない者を排除することもない。上司も、部下に意味のない忖度をする必要もありません。
 熾烈な競争社会で、組織内に権力闘争と言えるものがあったとしても、長い目で見れば、結果を残せる者が残っていきます。また、そうした会社でなければ生き残っていくことは出来ないと思います。



2023年5月 明治座 劇場内

 今回、女性誌の記者が、単に歌舞伎界のスキャンダルを暴露するだけが目的だったとは、思いません。
 ただ、小善を振り回すことの罪の大きさを感じます。
 舞台周辺の人たちから漏れる、不平や不満や愚痴を寄せ集め、一方的に一人の人間を糾弾することが、正義でしょうか?
 本当に非の打ち所のない善良な人たちを、一人の悪人が苦しめていたのでしょうか?

 常に人を使う側が権力を振りかざした悪で、使われる側は常に弱く被害者、という意識で、上の者をバッシングし続けることは、大変罪なことだと私は思います。
 権力者の暴走を止めると称して、「何でも反対」「権力者は悪」と罵倒しているだけでは、それこそ世の中はよくならないのではないでしょうか。

 歌舞伎界は治外法権だとか、世襲に関して非難する方向へ、世論が誘導されているように、私には思えます。
 伝統を守っていく意味は、追々言及しようと思いますが、歌舞伎を貶めようとやっきとなっているような、世論操作には怒りを覚えます。

 香川照之さんの件もそうです。
 香川さんのバッシングの流れを決定づけたのは、恐らく女性の髪を引きづり回しているように見える写真かと思います。
 しかし、あの写真を見ると、歌舞伎をよくご覧になる方であればわかると思いますが、芝居ごっこをしていたのは、一目瞭然です。
 世間がイメージするような、異常行動とはとても言えません。
 それを必要以上にバッシングの対象とし、企業側が撤退せざるを得ない状況にしていった、日本のマスコミ報道の無責任さを感じます。そして、何よりこわいのは、ある一定方向に世論が向かうと、客観的な意見は抹殺され、間違った方向でも、歯止めがきかなくなる日本人の性行です。今回もそれを思い知らされました。
 話が飛ぶようですが、日本を無謀な太平洋戦争に突入させたのは、こうしたマスコミの場当たり的な無責任な報道と、日本人の性行にあったのではないかと、私は思っています。

 中村芝翫丈に対する、執拗な浮気報道も歌舞伎を貶める方へ向かわす勢力があるように、私には思われます。
 伝統や世襲を、むやみに否定する思想的背景が、権力を持つ者はすべて「悪」だ、と決めつける考えを定着させてきたからだと思います。

 もちろん、香川さんや、芝翫さん、猿之助さんの行いに、反省して頂かねばならない点はあるかと思います。

 『紅葉狩』の一節
 〽されば仏も戒めの、道は様々多けれど、ことに飲酒を破りなば、邪淫妄語も諸共に、乱心の花かづら、かかる姿はまた世にも、たぐひ嵐の山桜、よその見る目も如何ならん

 同じ遊びをするにしても、年も年なのですから、節度を持った綺麗な遊び方は、心がけるべきだと思います。

 ただ、猿之助丈の一連の報道を見る限り、一方的に猿之助丈がパワハラ、セクハラの加害者にされていることには、違和感を覚えます。
 まして、今の報道だけで犯罪者扱いする方向に世論誘導をしているのは、二人がお亡くなりになっている以上、悪意を越えて、深い罪を犯し続けているように、私には思えます。

 猿之助丈は、コロナ禍以来、歌舞伎界の危機を背負って乗り越えるのに、多大な貢献をして来られた中のお一人です。ひと息つき始めている他の方々に比べ、激走は止まらず、さらに、その走りを続けようとされていました。
 昨年の5月、猿之助×壱太郎「二人を観る会」に伺いましたが、その時から、すでに見るからにお疲れがたまっているようにお見受けしました。
 最近は、あまりにハイテンションになっている報道を目にするようになり、かなり心配もしていました。

 あまりにも強い精神力で切り抜けて来た猿之助丈の中で、限界点を越えるキッカケがあったであろうことは、想像に難くありません。


2023年5月 明治座 「不死鳥よ波濤を越えて」平知盛

 喜熨斗孝彦さんは、ご両親とともに、一度お亡くなりになりました。
 仏教において、「死んで成仏する」という考え方があるのは、日本だけだと聞いています。
 それには、歴史的な深い意味があると、私は考えています。

 猿之助丈には、世俗を離れた出家ではなく、汚濁の浮世に身をいた阿羅漢として、四代目市川猿之助としての使命を求め、全うして頂きたいと願ってやみません。

 以前、猿之助丈が、”釈迦”を演(や)りたいと言っているのを読んだことがありました。
 元々私自身、仏教に興味は持っていましたが、その言葉に啓示をを受けたように、釈迦を人間として調べていくうちに、思わぬ歴史の謎に迫っていくこととなりました。
 猿之助丈の仁(ニン)としては、釈迦その人ではなく、舎利弗や大迦葉だと思いますが。

 ただ、世界宗教に進む前に、まずは世界史の中に、飛び込む必要があるかと思います。
 そう考えると、この度明治座で上演された、『不死鳥よ波濤を越えて』は、多分に啓示的な作品になっていたことに、驚かされます。
 ヤマトタケルが、朝昇ってゆく”日”に向かっていった人であったように、東方を目指した、アレクサンダー大王の東征を、歌舞伎作品に出来ないでしょうか?
 また、是非とも試みて頂きたいのは、ワーグナーのオペラ『ニューベルングの指環』「第一夜 ワルキューレ」の歌舞伎化です。

 お心をしっかり休められ、悲しみを克服し、貴方を待つ人々のところに、どうか戻ってきてください。

 今、歌舞伎のみならず、日本の伝統芸能は、明治期以来の変革期に来ていると思います。

 梨園の皆さまや観客の皆さまにおかれましても、傾き者たちの振舞にご寛容であるとともに、正すべきは正していっていただけたらと思います。
 そしてそれぞれに、理想の歌舞伎を目指し、歌舞伎界全体がよりよい方向に向かっていけるよう、一人一人が切磋琢磨していただけたら、うれしいです。
 また、それを多くの皆さまに見守って頂けたらと、願ってやみません。

 2023.5.30

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