マドギワ レモンスカッシュ

グラスに並々にいれたレモンスカッシュを持って扉をあけた。いつもより多目に氷をいれるのはご褒美だ。

お盆休みなんてなくて、毎日出勤ででも土日は休みだから今日は休みで、部屋の掃除をして一息つくためにレモンスカッシュを氷多目にして飲むわけで

お気に入りの場所は自室の窓際。掃除中だから冷房はつけない。マンションの7階だから玄関と窓をあければある程度風は入る。

窓際に置かれた小さなテーブルにレモンスカッシュを置き、これまた小さな椅子に腰かける。座面が緑色でふかふかしてて丸い。背もたれはついていない。中古の家具屋で一目惚れして買ったものだ。


最初の一口はグビッと。炭酸が喉に突き刺さり少し眉間にシワが寄る。でも喉元過ぎて胃に流れ込めば爽快感と清涼感に変わる。      思わず「ップハー!」と言ってしまう。

ふぅ と大きく息をつき、相変わらずの青空と灼熱の太陽を眺めた。風は入ってきてるけど暑いとても。

下はコンクリートばかり。近くの公園の噴水が威勢よくしぶきをあげる。それにきゃっきゃとはしゃぐ子供達。この暑さも空も噴水も子供達もしぶきでさえも幸せに感じるのかもしれない。

それは亡くなった曾祖父の言葉だった                  「皆、散り散りになっていった。仲間も兄弟も自分の生きる道も。でもわしはこうしてここまで生きてきた。これは目の前の風景が幸せの連続だったからだと信じたい」


夏休みにふと言った言葉。小学生の私には理解できなかった。でも今は分かる。

こうして窓の外を眺めている。誰でもない自分の目で。それは撮影した動画のような静止画の連続かもしれない。流れていく景色は1コマずつを捉えることはできないけど、私は今それを幸せだと思えた。


きっと幸せな風景の連続だったなんてそんな事はない。散り散りになったのだから凄惨な風景もあったのかもしれない。でも曾祖父はそれさえも目に焼き付け生きている今の教訓として幸せとした。時間が解決することではないけれど、確かに幸せであったのかもしれない。

もっと言えば「生きている」今が幸せなのだ。死んだ後の事はわからない誰も。              生きてるうちが良いとか悪いとかではない      ただ死んでしまっては意味がない。ましてや時勢や無関係に振り回され飛び回り散っていくなどあっては…と私は思った

いくら足掻いても変わらないことは沢山あるのだろう。だからせめて、少しの開き直りもあるけれど自分が見る風景だけは幸せであってほしい。この空も太陽もコンクリートも椅子もレモンスカッシュも。


気がつけばグラスは氷だけになっていた。ものの5分ほどだろうか。冷たい炭酸が胃の中で踊っているのが分かる。思いだしながら飲むのも悪くないなこの窓際で。


さてと…    つい口からでた。お気に入りの椅子から離れ休憩を終えよう。部屋の掃除はまだ少し残っている。

やや散らかっている部屋、開け放った窓、溶けかけの氷、結露するグラス。

目の前の風景を信じた。それは小さくても生きている。今、目の前は幸せだ。





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