天秤はどちらかに偏りすぎている、今

心苦しい と思う事があった最近。でもそれは自分ではどうすることもできないし介入することもできない。

心の底から「なんて世の中不平等なんだ」と漫画の主人公みたいな嘆きを思ってしまった。

別に主人公になりたいわけではないし、不平等と分かっていても成す術はない。私の事ではなく大まかに言うと友達のことだから。

その友達はとても苦労している。恋愛、仕事、家族。苦労しているくせに愚痴も言わない弱音も吐かない。

まるで昔の自分を見ているようだった。何かに期待をして本当にそれだけをみて真っ直ぐに進もうとしていた。なりふり構わず。

ただもう気付いた時には遅かった。疲れたを通り越して「しんどい」と口にするようになっていた。弱音も愚痴も言ったことがなかったから、誰にどう伝えればいいかもわからなかった。

そんな「しんどい」の侵食は私を精神的にダメにした。2年を棒に振った。

棒に振ったはやや語弊があるかもしれないけど、その真っ直ぐに進もうとしていた道は閉ざされてしまった。もちろんたくさん勉強にはなったし得たものも多かった。

後悔とかじゃないけど、あの時侵食に打ち勝てていたら。弱音も愚痴も吐いてもっと楽に生きていたら今はもっと立派になっていたのかなとも想像したりする。無駄なのはわかってるけどもある種の教訓として。

この間、その友達が「しんどい」と漏らした

心に何かが突き刺さった。このままではダメになってしまうと直感でかんじた。なぜこんなに頑張っている友達が「しんどい」ともらすまでになってしまったのか。

もっと立派でお金持ちの家にその友達が生まれていたならそんな言葉や表情は見なくてすんだのか?もっと私が気の利いた言葉をかける才能があれば少しでも笑顔にすることができたのか?

皆それなにり負担や暗いバックグラウンドはあるんだろう。でもこの期に及んでそんな事知ったこっちゃない。その友達の前でくらい平等に世界が回れよ!と思ってしまった。


こんな私の考えも誰かにとっては下品で不平等なんだろうな。


友達は今不平等を不平等だとも思わず戦っている。私は声をかける事しかできない。

何年何十年先二人とも生きて笑い話になれば不平等じゃ無くなるのかな。

歯を食い縛り過ぎて血が出るように。その友達から出た「しんどい」

止血しなければと思い立った私は優しく声をかけ続けてそれが包帯になればと願う。

現在進行形。笑ってくれと笑っても「笑えないよ」と笑われる。不平等でも無駄ではないと信じたい。願う信じるそれしかできない。


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