「その言葉」と「帰りたい場所」noteを日記のようにかいてみる。



お盆休み真っ只中。といっても今日だけしかない。私は実家に帰ってきている。実家と言っても母子家庭の私は実の父の顔を見たことがない。

母方の祖父母に育てられた。そして7年前母は再婚して今は祖父母の元を離れて義理の父と母と姉と暮らしている。

祖父母の家にはバイクで一時間ほど。厳密に言うと「実家」ではないが、なんだか実家という表現がしっくりくる。

祖父母に育てられた私としては場所どうこうより、祖父母が居るところが実家なのだ。


実家に帰ってきて、親戚の子供たちの世話をして皆でご飯に行って、、そんなありきたりなお盆休みだ。

お正月ぶりに合う親戚の子供の身長がぐんと伸びていてとてもおどろいたり、祖父が新しい趣味を始めていたり、祖母はついこの間まで風邪を引いていたらしい。

字に起こすとどうってこと無いようだが          私にとってはどれもとても微笑ましいようなニュースで、楽しくて「定期的に帰ってきたい場所だな」といつも思う。


大袈裟な言い方かもしれないけれど、帰りたい戻りたい場所があることはとても幸せなのだと毎回思う。

祖父母はもう70を越えている。でも現役バリバリに働いているし一気に衰える気配なんて微塵も感じられない。

でも年齢には逆らえないだろう。いつ病気をしたり怪我をしたりするかはわからない。実際、祖父は2度のガンを克服している。生命力が強いのだ。でもその話をすると「運がよかっただけだ」どしきりに言う。どこか自慢気だが私は微笑ましくきいている。


帰ってきたい場所がこんなに近くにあるというのは良いことだ。心の距離も物理的な距離も近く、祖父母はいつも笑顔で迎えてくれるし、帰るときはいつも「またいつでも帰っておいで」と言ってくれる。

その言葉をきくとまた帰ってくるために無理せずにいこうと強く思う。頑張ろうとは思わない。色んな事を思うけど、優しいその言葉を聞くと「体調に気を付けてまたここに帰ってこよう」と思う。

幸せ自慢とかではない。ただ私は恵まれているありがとうと家族に対しては思う。              帰りたい場所、優しい言葉。それだけで生きていく意味になり得るのだ。


お盆の夜はもう終わってしまうし、もう少しで帰らなければならない。またあの優しい言葉が聞ける。生きていく1つの意味、パーツを得ることができる。

次はまた半年くらい空くかもしれな。また半年後には親戚の子供の身長は伸びてるだろうし、飽き性な祖父はまた何か新しい趣味を始め、祖母は健康だったかどうかを嬉しそうに報告してくるだろう。

それら全ては生きる意味と愛しい場所。

帰り際にかけてくる言葉を胸にいつもバイクのキーを回しキックでエンジンを吹かす。      「また来るよ」と呟いて生きるため生きる場所に帰るのだ。その心は普段よ満たされて暖かい。


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