Uターン移住をしてみての現在

我々はいわゆる昨今流行り?の、Uターン移住をしたことになる。
2010年に就職してから約8年の東京生活(厳密には最初の2年は千葉の奥地に住んでいたのだが)を経て、夫の出身県の地方都市にUターンした。
Uターンまでの経緯と所感を書いてみる。

Uターンをしたいということ自体は結婚以降、何度も話が出ていた。
夫は地元大好き、いつも東京は人が多い、多すぎる、どこへ行っても人が多い、満員電車がつらい、家賃高い、住むところじゃない、夕日が沈むのが早くてさみしい(経度の差ですよ…)、などと謎の主張も絡めて東京をdisっていたりした。
私としては、いやあんたそれでいて東京がいい★と上京してきたやん…と思ってはいたものの、まぁ主張の一部には納得できるところがあり、何せ私の両親も夫の両親も遠方のため、相当な時間と費用をかけてわざわざ混雑する帰省ラッシュに合わせて帰らないといけない不毛な感じを度々味わっており、帰省するたびにやっぱりUターンしたい、というムーブメントが生じていた。
というか県民性なのか、彼の地は本当にみんな地元大好き、出たくない、Uターンしたい、Uターンしてきた?いいところでしょう~!という押し付けwがすごい。いや、いいところですよ。もちろん…でもそこまで言う?!というお気持ちもなくはないです。笑

夫は前々職は就職難のところを拾ってもらった医療機器メーカーで営業をしており、全然営業には向いていないのだけれど本人なりには何とか頑張ってやっていた。
ところがやはり適性とのギャップが徐々に露わになり、評価も低迷し、Uターンしたいという思いも相まって、私が長男を妊娠している時に転職活動をしていた。
その時は地方でも同じく医療機器営業ならありそうだったけれど、向いていないだろうし全国転勤有りな職種だし、どうなんだろうね…と思う中での転職活動だった。
そんな中で妊娠前最後にのんびり旅行でもと行った箱根のヴィラ的なところでテラス朝食を味わっていたら、突然ITエンジニアになりたいと言い出した。
はぁ~???という。貴方は一体何がしたいねん…。すごく優雅で幸せな気分だったのに、そこからあんまり味がしなくなった。

ただそう思っていたら、なんか本を買いだして、ごちゃごちゃPCの前に座ってプログラムを書き始め、ふた昔前のホームページみたいな(訪問者カウンターがついているようなアレ)を作ったりして、とにかく好きでやりたい気持ちは伝わってきたので、もうどうにでも好きにしたら?と嫁ブロックを外した(一応ね、子供が生まれるのに経歴を不安定化させることには懸念があったのですよ…)。
後に、プログラマーは消去法や将来性でなるような類のものではなく、好きでやるものであり、なりたかったら自力でいろいろプログラム言語を触っているしそれが苦にならないはず、といった持論を展開していたけれど、まぁそれはそれで本人の様子を見ていると納得できる部分がある。

というわけで、子供が生まれるというときに転職活動をし、ただ未経験で更に地方で働くという選択肢はかなりリスキーだったので(実際相当待遇が低いところでも受けたけれど落ちた。これは正直落ちてくれてよかった)、東京で未経験をそこそこの待遇で雇ってくれるという酔狂なIT企業に転職が決まった。
時は2015年10月、なお我が子は10月初旬に予定日1ヶ月近く前に緊急で出産になったので、里帰りだからしょうがないとはいえちっとも間に合わなかった。転職で健康保険が切れる中で息子がNICU入院もしていたので、息子を私の扶養に急遽入れることになり書類取り寄せから一連の対応を病室でしていた…痛む腹を引きずって病院外のコンビニでコピーしたよ…金木犀の香りをかぐと思いだすよ…。

思った以上に夫への恨みが詰まってしまってまだUターンまでたどり着いてないな。笑
夫は3年近く一生懸命夜遅くまで働きはしたものの、未経験を雇いまくる会社はやはり酔狂なので、プロジェクト失敗と共に急速に会社が傾いていった。待遇もかなり冷え込んだものとなり、怒れる夫は今度こそUターン転職を果たす!と息巻いていた。
はい、その時私は第二子妊娠中。なぜ人生イベントを重ねてくるのか…。
デスクトップPCのある我が家で集中して転職活動をしたいとごちゃごちゃ言うので、悪阻も抜けきらない2018年2~3月は毎週末の土日、何時間もイヤイヤ期の息子を妊婦が連れ出さないといけない羽目になった。
これは本当に、本当につらかった。何も用がないのに羽田空港まで行ってみたり、東京駅で電車を見せたり、新宿で電車を見せたり、スーパービュー踊り子号に東京~横浜間だけ乗せてみたりした。電車だと座れる確率が上がるので…妊婦はつらい。それで家に帰ったら転職活動が上手くいかず苛立つ夫のケア。平日は、仕事に加えて転職活動に集中したいとのたまう輩を慮って家事育児全担当。ボロボロに疲れていた。色々致し方ないとはいえ、私が蔑ろにされすぎていた。ひどい話だ。

夫の転職活動は難航したものの、相性が良い上司の方と巡り合い寸でのところで拾ってもらった。ただし難航しすぎたため私が産休に入ってしまって以降に内定。来年4月にまた戻ります★と挨拶して産休入りしたのに、「産まれました!辞めます!」みたいな感じになってしまった。居たたまれない…。

転職・退職時期が重なったことにより予定帝王切開なのに夫はまたしても出産に立ち会うことはできなかったが(恨…)、どうにか娘2ヶ月の時に移住できた。

このまま専業主婦をしてもよかったのだが、既にこれまで色々あった転職したての夫がまたいつ辞めると言い出すか分からないし、息子も友達と遊ぶのが楽しいだろうし、元気なうちはダブルインカムにしておいた方が無難だろうということで私も転職活動。1個だけ出してさっさと決まったので保活はまぁまぁうまくいった。転職先は思った以上にブラックな職場ではあったが(闇…)。

このように移住までは色々とあったが、移住してみたら当初想定していたメリットはやはりメリットとして享受できている。
・家が広くなり、家賃が下がった
・双方の親元へ行くハードルが下がった
・病児保育も義母にお願いできた
・職場・保育園・家が全て大幅に近くなり、フルタイムで働いてもお迎えが余裕
・一度昼に家に帰って家事ができる
・夫の帰宅時間が早くなった
・子供向けイベントに行ってもあんまり混みすぎていない
・ちょっと足を伸ばせば自然系の遊びも色々できそう
・野菜がちょっと安い気がする

もちろん職場環境や住むエリアなどによるので、移住したからではない要素も含まれるけれど、まぁ東京だとなかなか職場との距離など家賃的なハードルで厳しかったりもするので、メリットかなと。


感じているデメリットはこんなところ。
・年収が下がった(私だけかも。夫はむしろ上がった)
・地方なので職の選択肢がかーなり少ない。望む職種が全然ない。今の職場からの転職を考えるけれど選択肢があと1個くらいしかない。だから辞めたとしても戻ってこられる余地(と理由)を持っておかないといけない…。
・公園の質や道路の質が下がった気がする(インフラへの力の入れ具合)
・博物館、美術館のイベントが限られる(本当にみたいやつは遠征しないと…)
・情報感度が下がる(学会やセミナー、シンポジウムから足が遠のく)
・会いたい友達に会うためには、ちょっと頑張らないといけない
・地方から地方への飛行機発着便数は少なめ(そりゃそうだけど)
・子供の教育の情報感度も下がりそう
→就活大変だし、就職先の選択肢も似たり寄ったりで、私の周りはみんな薬学系か地元で薬剤師だし、コンサルとか金融とかの選択肢があり得ることすら認識していなかった。東大の子に出会ったら結構みんなコンサル受けてるんだよね。そんなものがあるのか!と驚いた。

あ、意識高い優秀な人ももしかすると東京の方が多いのかもしれないけど、今のところ医者と話すことが多いから大体みんな頭がいいな…。

私自身は東京も好き。度々仕事で東京に行くことがあるが、行くたびに自分が地方に住んでいることが不思議な気持ちになるし、好きだが我が家のリソース、キャパシティ上住むことを諦めた街、という感じが未だにある。
子供2人を遠方両親でフルタイムで働くのは、我が家的にはやはりちょいと無理があったかな~と思う。
さすがにこれから数年は腰を落ち着けて生活に集中させてもらいたいところだけれど、結婚後も色々あった我が家なのでまた何が起こるか分からない。数年後もこの地で楽しく暮らせていますように…。

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