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尤古立劇団、1...70...150 ...試訳


朝9時、稽古場で俳優たちが雑巾を手に持ち、足で床を蹴りながら、広い稽古場の端から端まで拭く。そして向きを変えて、また向こうの端まで雑巾がけをする。
5m離れたところでも彼らの息遣いが聞こえる。
舞台劇「カリギュラ」の稽古場であり劇団尤古立(ゆぐり)の一日の始まりである。

01 第一部、第一歩、第一次
本作はカミュが独立創作した戯曲の処女作であり、劇場版カリギュラは劇団ユグリの創立作品であり、この戯曲が観客との出会いとともに正式に中国語で公演されるのは今回が初めてである。
たくさんの「初めて」で構成された作品で、今、すべての人が初めての出会いを楽しみにしている。

70 決して楽ではない旅
「尤古立」と言う名前が「ゆっくり」という意味であるように、舞台劇カリギュラの準備からリハーサルまで、すべての段階には独自のリズムがある。
なぜ、ゆっくりであることが必要なのか?
ユグリのディレクターである金世佳氏は「今はすべてが速すぎるからです」と。彼は現実的スピード感がユグリの世界に現れないことを望んでいる。
「もちろん速いことは便利で良いけれど、多くのことが表面的になりがちです。たとえば、飛行機に乗れば上海から北京まで2時間。このスピードのなかで私たちは本当の距離感や本当の時間の感覚を失います」

したがってユグリのリズムでは時間に追われて俳優の最も重要な「体験」が放棄されることはない。多くの俳優が初めてユグリのリズムを体験したのは「双方向面接」だった。これまでの簡単なオーディションとは異なる。カリギュラの面接はワークショップ形式で三日の時間をかけた。一緒にトレーニングをして、お互いを知り、お互いを選択する。

70日間の創作、仕込み作業は多くの俳優にとって「人生初の体験」で、仕事のペースが速いことに慣れている彼らが「ペースを落として」と言われるとまず変わるのは心構えだ。

「カリギュラはわかりやすい戯曲ではありません。制作につぎ込む時間がたっぷりあるように見えるけれど、実際は脚本を理解して人物像を作り上げていくのに、多くの時間を費やします。この作品はカミュによって1938年に書かれましたが、2000年以上昔のローマ帝国の物語です。古典的な形式と現代的な思考と物語スタイルの両方を備えています。この劇は深い哲学的思考に充ちています。けれど、劇的な構造と物語の論理はハッキリと明瞭です。複雑だけどシンプルで、劇場にいる観衆に眩暈や眠気を与えず、でも、何かを得ることが出来ます。」
カリギュラの登場人物たちの葛藤とストーリーの巧妙さに、皆さんは大いに期待するだろう。

「新興の劇団、世界文学史上不朽の名作、誰もがこの一見到達不可能な山の頂を目指して、最善を尽くしています」

150 肉体が限界に達したときのみ精神の力が現われる
ユグリでは毎日二時間半の基礎訓練、基礎内容である身体訓練で俳優たちは新たな練習状態に入る。
「ひとりだったら絶対頑張れない」
「最初は少し抵抗があったけれど、徐々に体を鍛えることで集中力が増し、力強さが増していくことに気づいた」
「とても簡単そうに見えるけど、実際にはまったく純粋なトレーニングで、これは自分自身を理解しなおすプロセスです」

劇団メンバーは皆、多かれ少なかれ訓練中に自分だけの収穫を得た。

ストリーミングメディアやショートビデオの時代に、何故観客は劇場に足を運ぶのだろうか?「ユグリ」の共通認識は「俳優のエネルギー」であり、日々の厳しい訓練はそれぞれの俳優にとって自分の才能を見つけるプロセスでもある。
「実際、人それぞれにはエネルギーがあり、動物のエネルギーに似ていて、しかし、社会生活が増えるにつれて消されていってしまいます。」

トレーニングの汗は本来のエネルギーを見つけるために流される。舞台の奥儀はエネルギーの伝播、拡がりでもある。自らの限界に挑戦して、得た成果は、カリギュラの創作に使われるだけでなく、広範囲に影響を与えると希望し、より幅広い舞台でユグリの力を発揮することが期待される。
「これが劇団設立の理由の一つです。ある作品のためだけでなく、今後ももっと真摯な作品が増えて、ユグリ一座から良い俳優がたくさん出てくるように願っています」

「肉体的な限界に達したあとの精神的な目覚めを探求し、私たちはあらゆる表現の法則にしたがい、真にカリギュラの舞台に属する段階に到達することを望みます」

1,70,150
これはユグリ、そして舞台劇カリギュラを構成する最初の暗号であり、メンバー全員の希望と汗でもある。
続いていく。

いいえ、私たちは後戻りしてはならず、前進しなければならず、最後まで到達しなければなりません。

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