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光GENJIはバブルの世に愛を伝える「キリスト」だった説。

何を隠そう私が初めてお小遣いで買ったCD、いやカセットは、光GENJIの「ガラスの十代」である。

思い出すのは32年前の秋の運動会。
競技のBGMに「STAR LIGHT」が流れ、当時小学2年生だった私たちチビっこは、運動会後もことあるごとに「夢はピーマンピーマン」と歌うようになっていた。

どうして「夢はピーマン」なんだろう、と思っているうちに1988年元旦、光GENJIの1st.アルバム発売。
早速手に入れた姉と一緒に、ステレオに耳をつけながら一生懸命聴いたっけ。
懸案の「ピーマン」は歌詞カードによれば「FREEDOM」、私にはピーマン以上にわからない単語だった。

そしてお年玉の使い道は、アルバムの中でもとりわけキラキラしたシングル曲「ガラスの十代」となったわけだ。


この「STAR LIGHT」と「ガラスの十代」が共にチャゲアスによって生み出されたものだと知ったのは、また随分先のこと。
さらに続く3枚目シングル「パラダイス銀河」の名フレーズ「しゃかりきコロンブス」について、つい最近作詞者ご本人、つまりASKAがブログにてその意味を解説してくれたところだ。

ASKAという作家は聴く側の想像の余地をとても大事に思っているらしく、なかなか自身の歌詞の意味を公に語ることがない。
それがどういった風の吹き回しか、不意に思い立ったらしく突然の神降臨、となったわけである。


「パラダイス銀河」、テープが伸びるくらい何度も聴いたっけ。
子供の見てる世界について描いた、ということだが、確かにこの溢れ出してやまないエネルギーと時空を軽々超える感じは子供の世界そのものだ。

懐かしさのあまり、光GENJIの1st.アルバムを通して聴いてみる気になってしまった私。
夕飯を作りながら軽く流してみたのだが、なんと思いがけず一曲目のクオリティーにやられ、ぶっ飛んでしまったのだ
子供の頃、散々聴いてきたはずなのに。
家事の手は止まり、慌てて二度聴き、三度聴きしてしまった。

その一曲目とは「THE WINDY」
ライブのオープニングを飾るために作られたこの曲は、サビのコール&レスポンスや間奏のラップ?早口言葉?な箇所、続く「ありがとう、君を待ってた」という王子のようなセリフもありで、ファンを喜ばせる要素がてんこ盛りのトリッキーな一曲なのだ。

その上曲調は美しいマイナーメロディーから、サビでパーっとメジャーに転調する(チャゲアスで言えば「Something There」のような)ドラマチックな構成。
これで盛り上がらないわけがない。

ちなみに今更ながら説明しておくが、アルバム『光GENJI』は、1枚のアルバム全ての楽曲をCHAGEとASKAで制作している
CHAGE曲の作詞クレジットに澤地隆が入っているが、チャゲアス曲ではお馴染みである彼も含めた”チーム・チャゲアス”というところだろう。

こういった同一アーティストで1枚のアルバムを作るというやり方、ジャニーズでは極めて異例のことらしい。
わざわざジャニー喜多川ご本人が依頼のために一人で訪ねてきた、というエピソードが、最近またASKAのブログで披露されている。
ジャニー氏の自分が育てるアイドルへの情熱をビンビン感じて、二つ返事でOKしたという。

これからデビューする「光GENJI」という変わった名前のアイドルに、どうか良曲を。
「YOU達、作っちゃいなよ」とはさすがに言われなかっただろうが、こりゃなかなか難しい依頼だったに違いない。
何せ、キャリア8年目の二人のミュージシャンシップをかけた決死の創作合戦である。
胃の痛くなるようなオーダーだが、チャゲアスは見事にそれをやり遂げた、というわけだ。


1st.アルバムの一曲目「THE WINDY」。
光GENJIの世界観を決める大事なポジションだ。
作詞作曲したASKAは、まず、どうしてもあの「光源氏」を想像してしまう彼らの名前にどう折り合いをつけるか、真剣に考えたことだろう。

そして彼は、ついに最高にぶっ飛んだイメージを導き出してしまった。
どこにも書かれていないので私の推測に過ぎないのだが、それは「光GENJI=キリストの降臨」というイメージだ。

いやいや、ちょっと大胆すぎるでしょ。
あまりにもかけ離れたこの二者がどのようにイメージを重ね合わせるのか。
歌詞全文の中から、ひとまず読み解いていこう。
※<A><B><C>は筆者追記

<A>
幻の国から 神話を連れ出したよ
月灯りの道を 流れる水のように

遠い昔から 呼び帰された 希望のしずく
こぼれ落ちるように 飛び跳ねるように
自由の中を 遊ぶように

今 同じ時代の息をして
新しい歴史を開くため

迷わないよ (GENJI)
君のもとへ (GENJI)
乗り込んだ船の名は THE WINDY
迷わないよ (GENJI)
君のもとへ (GENJI)
ほら 船は空へ走る


<B>
“何処まで行くのか まったく見当もないまま
心の磁石は こんなに感じていたよ
落とした涙が せつない勇気を見た時
光のベールの誰かが僕を呼んだ”

ありがとう 君を待ってた


<C>
輝きの国から 夢を運んで来たよ
灰色に煙った 夕陽を助けるため

人はやさしさを 忘れすぎたよ 坂の途中で
君の涙には 季節を哀しむ
マルセリーノの 愛がある

今 同じ時代の息をして
新しい歴史を開くため

手をのばして (HIKARU)
守ってあげる (HIKARU)
乗り込んだ船の名は THE WINDY
手をのばして (HIKARU)
守ってあげる (HIKARU)
ほら 船は虹を渡る


闇をぬけ Ah Ah 船は行く
星を越え Ah Ah 船は行く
闇をぬけ Ah Ah 船は行く
星を越え Ah Ah 船は行く

今 同じ時代の息をして
新しい歴史を開くため

迷わないよ (GENJI)
君のもとへ (GENJI)
乗り込んだ船の名は THE WINDY
手をのばして (HIKARU)
守ってあげる (HIKARU)
ほら 船は虹を渡る

あえて<A><B><C>というブロックに分けてみたが、それには理由がある。
もし曲の中に潜り込むカメラがあるとするならば、目線の位置が客観から主観へと大胆に切り替わるからだ。

<A>ブロックは客観。宇宙から呼び覚まされた魂たち(!)。
<B> ブロックではその魂の心情が独白調に語られ、そして<C>ブロックでは魂(=光GENJI)が自分のミッションを確認しつつ、徐々に人の形へと変化しながら地球を目指し飛んでいく。

彼らが乗り込む船の名が、「THE WINDY」というわけだ。
ものすごーくぶっ飛んだ世界観。
だが光GENJIというスーパーアイドルの誕生には、これくらいぶっ飛んだ物語がふさわしい。
いわば、彼らが「夢の使者」であることを保証する、天皇家でいうところの『古事記』のようなものだ。

幻の国から 神話を連れ出したよ

ほら、神話と言っている。
まさに『古事記』。

どうやら幻の国=時空を超えた宇宙の中に眠る魂が、何かに導かれて動き出すところからこの曲は始まる。

遠い昔から 呼び帰された 希望のしずく
こぼれ落ちるように 飛び跳ねるように
自由の中を 遊ぶように

この魂は当初、まだしずくのような形をしている。
それらが徐々に集まり、流れとなり、一つの意思を持って何処かへと高速で向かって行くのである。
「遠い昔から呼び帰された」という表現は、古風な「光GENJI」というネーミングに寄り添ったものだろう。


余談だが、私がこの<A>ブロックから連想するのは、折口信夫『死者の書』の冒頭部分。

彼の人の眠りは、徐(しず)かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫(まつげ)と睫とが離れて来る。

遠い昔に死んで墓に入っていた死者が、静かに蘇る場面。
甦りのそばには、水の滴りがセットになっているようだ。



さて、この魂に何が起きたのか。
それが<B>ブロックで怒涛の速さで語られる。

自分たちが目を覚まされた理由は、まだわからない。
けれど、「心の磁石」が強力に引っ張る方へ、魂たちは高速で向かっていく。
彼らの内側にフラッシュバックされるイメージ。
それは「せつない勇気」のために涙を流す、見知らぬ人。
誰だろうか、遠い地球のようだが…
その瞬間、魂は自分たちに再び命を吹き込む”大きな存在”に呼ばれることになる。

光のベールの誰かが僕を呼んだ

このフレーズ、既視感があるなと思ったら、チャゲアスの名曲「PRIDE」(’89)に出てくるシーンと非常に似通っている。

光りの糸は レースの向こうに
誰かの影を 運んで来たよ
やさしい気持ちで 目を細めたとき
手を差しのべる マリアが見えた

「PRIDE」ではマリアと呼ばれる大きな存在が、「THE WINDY」では若々しい神の声で、魂たちにこのように語りかける。

ありがとう 君を待ってた

ものすごい託宣である
こんなにぶっ飛んだ展開を可能にするのは、編曲を担当した佐藤準のアレンジの力が大きいだろう。
キラキラしつつとても自然に前後をつなげているので、実際の音源をぜひ聴いてみて欲しい。



このぶっ飛んだ託宣を受けた魂たちは、はっきりと自分たちのミッションを感じ取り、「光GENJI」へと変身しながらさらに先へ進んでいくのであるが。

ここまでの長丁場にお付き合いいただいた方の中には、まだ解消しない疑問があるだろう。
キリストはいつ出てくるのか?
その通り、ここまではまだ『古事記』感たっぷりで、西洋の香りがあまりしない。
だが続く<C>ブロックから、ASKAという作家の力技が大炸裂していくのである。


輝きの国から 夢を運んで来たよ
灰色に煙った 夕陽を助けるため

人はやさしさを 忘れすぎたよ 坂の途中で
君の涙には 季節を哀しむ
マルセリーノの 愛がある


なんとなく、このブロックで描かれたイメージはわかる。
人心が荒廃したこの世の光景。
だが一つ唐突なフレーズが入ってはいないか?
そう、「マルセリーノの愛」である。


この世を憂いて流す「君」の涙には、マルセリーノの愛があるね…
いや、ちっとも噛み砕けていない。

このフレーズを理解するには、1955年公開の映画『汚れなき悪戯』を引っ張り出す必要があるだろう。
この映画の主人公マルセリーノは、親を知らず修道院で育てられた子供。
修道士たちの愛を受けて天真爛漫に育つマルセリーノであるが、ある日、「人には誰にでも母がいる」ということを知る。

なぜ自分にはお母さんがいないの?
母親に会いたい、という切実な願いにとらわれたマルセリーノの元に、キリストが現れるのである。
マルセリーノの子供らしい純粋な心を、キリストは側からずっと見ていた。
そして彼の願いが切実になった時、その願いを叶えるために彼を天国へと送るのである。

このマルセリーノを、なぜASKAは「THE WINDY」で引用する気になったのか。
それはおそらく、真心を忘れない「君」を助けるためこの世に降臨する光GENJI、というストーリーに、マルセリーノを救うキリストの姿をそのままはっきりと重ねたかったからではないか?


疑問はまだある。
なぜそれがキリストである必要があったのか。

夢を忘れない、というか夢のままで生きている子供たちを大事にしよう、というミッションを、きっとASKAは光GENJIプロデュースの話が来た時にイメージしていたはずだ。

そういうメッセージを曲に込めることはできる。
だが実際、それを歌う光GENJI自身が若々しいティーンズである。
彼らを聴き手のティーンズの主観に寄せるか、それともメッセージをちゃんと伝える役割を持たせるか。
作家としてかなり意識した部分にちがいない。

彼らの楽曲は例えば「ガラスの十代」のように、ティーンズより少し上の目線から話しかけているのが特徴的だ。
リアルな子供達よりちょっと上だけど、全てをわかっている神様よりちょっと下の、ちょうど真ん中くらい。
この絶妙なポジションを、ASKAは彼らに託したかったのではないか。

ティーンズと一緒に恋に悩み、大人たちの無理解と闘ったりするけど、大事な「愛」が何かを知っている。
その光GENJIのイメージがおそらく、神と人との間に位置するキリストに結びついたのではないか。
私なりの解釈ではあるが。


ASKAは1987年より、ジャニーズとの当初の約束である「手がけるなら3曲目まで全部」を果たし、一度その作家陣から抜けるが、1990年に再び「荒野のメガロポリス」「PLEASE」の提供で作家として返り咲く。
この2曲は、それまでのシングル曲「STAR LIGHT」「ガラスの十代」「パラダイス銀河」とは路線を変え、はっきりとキリスト教的世界観で詞を作り上げている。
ASKAの中には90年になっても、「THE WINDY」から自らの手で託した「光GENJIの登場=キリストの降臨」というイメージが、ずっと大事に守り続けられていたのであろう。

光GENJI、昭和と平成のつなぎ目に台風のように現れ、そして消えていったスーパーアイドル。
彼らはなぜあれほどまで熱狂的に支持され、社会現象となったのか。
それは様々な場所で何度も語り尽くされてきたことではあるが。

若々しいスーパーアイドルの輝きの裏で、きっとASKAのぶっ飛んだ作家性と子供の純粋さを信じる強い想いが、彼らの魅力を120%引き出すことに貢献していたのだろう…というのが、歌詞分析を趣味とする私が今感じるところだ。

今 同じ時代の息をして
新しい歴史を開くため

こんな壮大なストーリーの乗った歌詞、近頃なかなか出会えないではないか。
80年代後半、世の中が”ぶっちゃけ”や”リアル”でなく、”夢”を愛していた最後の時代だった。
大人になって再び聴く光GENJIは、なかなか乙なものである。

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