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怒りへの対処

しろです。

ここのところ、花粉症は耳鼻科受診したこともあり、辛さからは解放されたものの、寒暖差や気温差で、疲労度が強いです。

先日は左眼がアレルギー性結膜炎で、充血・眼脂出まくり・涙出まくりの状態が2日間も続くわ、ギックリ腰(の前兆:両下肢の痺れと中臀筋のひどい張り)になり、大慌てで鍼灸治療で対応してもらうわ、と、悲惨な有様です。

体調が良くない時は結構心に余裕もなく、こういう時ほど「怒り」の沸点は低いので、気をつけねば、と思うのです。

介護や看護の業界で働いていると、やはりベースが「対人」商売なわけで、何某かで「イラッ」としたり、伝達不足やちょっとの行き違いで「ムカッ」としたり、と、意見の相違が結果負の連鎖になって大口論になる、など…負の状態に行きやすい傾向があります。

更に、現状では人員の不足もあって、分母であるスタッフ1人が抱える(支える)分子(利用者の数と質の濃さ)が、半端ない、いや、えげつないわけです。

とにかく、ちょっとした(しかもほんの些細な)出来事が、「爆薬庫に着火→ドッカーン」のパターンを辿り易い、いわば「ストレスフル」な環境下の現場に身を置いていると、自分自身の精神的コントロールが大事になってきます(ある意味、精神論的な支えで自分を維持するという感じです)。

ストレスフルになるのは、大概、対人関係トラブルや、自分の思う行動範疇から外れる行動を取られる場面が多いと感じます。

さて。
看護師の職に就いてからというもの。数年に一度の間隔で、「しろさん、一度『アンガーマネジメント』を学んでみてはどうかな?」と、その時々で所属していた病院の看護部長に勧められることがあり、その度に、「自分は怒りのコントロールが、一般の人よりヘタクソなのか? 自分では理論的に言っているつもりなのだが…?」と、逡巡することがありました。

しかしながら、人から「習え」と言われると、「絶対、否(いな)/絶対、嫌(いや)」なもので(笑)、自分の関心がそれに自然と向くまでは、絶対触れない領域で、『アンガーマネジメント』を遠巻きに見てました。

『アンガーマネジメント』という言葉を最初に耳にしてから10数年が過ぎた、そんなある日。

ついに、自然と関心を寄せることとなりました。

それは、ある利用者との関わりにおいての出来事がきっかけでした。

今再び、『アンガーマネジメント』の単語が頭を過る出来事が起きた経緯を、以下に書きます。

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ある日。
夜勤帯に、残業で居残っていた私は偶然、たまたま廊下を歩いていた他利用者に、鬼のような形相で暴言を吐いてで絡んでいた歩行不安定・転倒リスク絶大の認知機能低下が絶大のAさん(ババア)を目にしました。

Aさんは、自室の入り口で杖も持たずに立っていました。

それに気付き、慌てて、他利用者とAさんを引き離し、Aさん部屋の中に入れ、落ち着かせる対応に入りました。

「Aさん大丈夫?お部屋に入ろうな」

と、私は声をかけ、Aさんは素直に応じました。

最初のうちは、Aさんは、

「あ。ああ、ごめんなさいねえ……ごめんなさいねえ……」

と、自身の吐いた暴言行動を記憶していたのか、そのことを振り返るような様子で、しかも(苦笑にも見えるような)笑顔で、こちらを見ながら、謝罪の言葉を言ってました。

私は、Aさんの付き添い誘導をしながら、本人の杖がある傍まで行き、本人に杖を持たせようとした、次の瞬間、Aさんは先程の笑顔がだんだん鬼の形相に変化し(明らかに目付きが変容する瞬間を見た)、私に向かって、大声で暴言を吐き始めたのです。

「なんで私があんたに命令されなきゃならんのよ!親でもそんなことされたことないのに!」

私、突然の(はっきり言って理解不能に近い)暴言に思わず、

「は?(半分怒りも入る)」

と言ってしまいました。

その一言(と一緒に入った僅かな怒りの感情)が、Aさんには「不穏→怒り」のトリガーだったのかもしれません。

Aさんの吐いている言葉の、凡その内容は(言っている内容や言葉の発音が聞き取り難く)意味不明でした。
だけども、大声で話す内容の端々に「〜のクソが!/〜のボケが!」という感じで、暴言も混じった罵声を私に浴びせました。

そして、片手で杖をしっかり持ちながら、フリーの片手で私を殴る、殴る、殴る。

私は、不穏から来る暴言・暴力を落ち着かせるため、ひとまず自分は落ち着きながら、懸命に言葉で「落ち着こう、落ち着こう」と必死に宥めようとします。

が、こちらが僅かながらも怒りや焦りを抱いての対応なので、相手への宥めの思いは通じません。

相手は不穏と怒りの真っ只中。
ひたすら腕を殴られ、更に頭や顔を叩かれる私。
理不尽でありながらも、Aさんの気持ちを代弁した「暴言と暴力の応酬」にはAさんなりの理があると解っていても、身体から伝わる痛みに耐えきれず、遂にキレました。

「ババア、いい加減にしろ!」

大声で反撃した私。
一瞬怯んだAさん。
しかし、まだAさんからの暴力は続きます。

(腕が痛え、顔が痛え。)

職員の高齢者への暴力は完璧な虐待です。
しかし、高齢者の職員に対する暴力を取り締まる法も条例もありません。
ましてや、目の前にいる人は、感情のブレーキがかけられなくなったら、本人が納得するまで、落ち着くまで待つしかない、そんなデリケートな存在の認知症高齢者です。

このままAさんを放置するのも手ですが、転倒リスク絶大な人を放置して、そのまま転倒されたら、職能人として目も当てられない状況です。

しかし、私も人間です。
理不尽な暴力になす術なく、殴られ損なのは、人として許せないわけです。

なので、再度大声で反撃。

「殴るんなら私を殺すまで殴れ!」
「さあ、やれや!やりゃあええが!」

Aさん、かなり怯んだ。

えー、はい。
私の地元の方言は、日本国内でヤクザレベルに汚い口調なので、ほぼ「恫喝」に聞こえます(その分、高齢者の方言も出来上がっているので結構汚かったりします)。

その私の恫喝的大声で夜勤スタッフがようやく事態を察知してくれたか、やっとAさんの部屋に入って来てくれ、「わあ!しろさん、逃げて逃げて!あとは任せて!」と、応対のバトンタッチをしてくれたのです。

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元々、このAさんは、他利用者やスタッフへの暴言・暴力行動が酷く、要注意の利用者であることは把握していたのですが、諸処の事情で主治医への相談が難しい人物でした。

しかしながら、人格そのものが変貌し、その状態で不穏・暴力行為になる認知症高齢者を今まで見たことがなかったので、はっきり言って自分の想像を越えてました。

結果的にですが、この利用者を管理するフロアリーダー(バトンタッチしてくれたスタッフ)と状況を報告・相談し、リーダーから主治医に報告→『ひとまず抑肝散の処方を多くするから、あとは何が本人の暴言トリガーになるか、観察よろ』という甘い対応で、現在も経過観察中……という。

まあ、そういう事案があったのですが、(文章では少し長めに書いてますが、)【Aさん本人の急な変貌〜私が最初の大声を出す】までに掛かった時間は、僅か2分ほどです。

自分の行動を振り返る中、「俯瞰視も、分析も、それなりに出来てはいるけど、怒りに到達する着火時間が人より早過ぎるんじゃないか?」と。

〔罵倒+殴られている〕点がなければ、完全に私の行動は「虐待では?」と思われても仕方ないと思われても仕方ないと思います。

更に、〔罵倒+殴られている〕点を回避したくても、その行動を起こしている本人はいろんなリスク持ちの高齢者という時点で詰んでます。

…どうしたら良かったのか(遠い目)。

そこで、ふと脳裏を過ったのが『アンガーマネジメント』でした。

自分の怒りを少しコントロール(衝動・思考・行動のコントロール)をするのが『アンガーマネジメント』なわけで、このアンガーマネジメントにおける【一呼吸を置いた行動】は高齢者ケアにも通じると思ったのです。

困難な状態の高齢者であっても、人は人。
落ち着いてこちらが動けば、相手も落ち着く。

……学ぼう。

そして、アンガーマネジメントを学ぶこととなりました(ウワァ)。

早速始めた、UーCANの
「アンガーマネジメントベーシック講座」の
テキストでーす。


色々とアンガーマネジメントに関連する本とかあったりしますが、やはり、日本アンガーマネジメント協会に関連付けて学びたかったので、UーCANの「アンガーマネジメントベーシック講座」を選びました。

現在、(社福の勉強と並行しながら)勉強実践中です。

なかなか目から鱗の内容です。
とりわけ「衝動のコントロール」には納得でした。

怒りの沸点が出現した時、6秒待つ。
逆算で心を鎮める。
怒りに反射で対応しない。
アンガーマネジメントベーシック講座

基本編を一通り読んで、何か憑き物がぼろっと取れた感がありました。

今は21日間トレーニングの真っ只中ですが、意識して日々を過ごしていると、むしろ怒ることがないのにびっくりしています。

このまま続けて、少しずつコントロールが出来ていけばと思うわけです。

落ち着いて、生きて、働いていければ、幸せですなぁ……(遠い目)

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