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推しの卒コンを1秒も「見ない」選択をした単純な理由と複雑な感情〜齋藤飛鳥卒業コンサート〜

2023年5月17日と18日の2日間、東京ドームで乃木坂46・齋藤飛鳥卒業コンサートが開催された。

橋本奈々未の卒業以降、唯一の推しにして絶対の存在だった飛鳥の卒業コンサートを、私は1秒も見なかった。あえて、見なかった。

単純な理由。チケットが全て落選したため。一般販売は販売ページにすら辿り着かず。

複雑な感情。配信を見るのは、屈辱でしかなかった。推しであるというならば、最後の勇姿をリアルタイムで見届けるべきだったかもしれない。かもしれないというか、普通はそうだろう。

これまで、ちゃんと計算してはいないけれど、100万近くをライブに、遠征に、グッズに、イベントに、生写真に費やして、挙げ句の果てが、「チケットをご用意できませんでした」

馬鹿にしていやがる。と、ほとんど八つ当たりに近い感情を抱えて、情けなくも右往左往して、神頼みして、南無さん最後の希望だ、一般発売は開始時間の時報と同時にサーバーからシャットアウトされ、ようやく繋がったと思ったら同じことの繰り返しで、支払い期限と思われる時間を迎えて、PCの前で正座して待ち構えて、ままよとリトライしたら、考えることはみんな同じで案の定、シャットアウト。

思い返せば、最初から何かおかしかった。モバイル会員の先行抽選に加えて、のぎ動画会員、メール会員、さらにインバウンドツアー。

2日間の東京ドーム公演は、最大でも5万5千人の2日間で11万人しか入らない。それをここまで細分化して抽選に賭ければ、少ないパイの奪い合いになり、応募すればするほど運営サイドは儲かる一方で、抽選の倍率は跳ね上がる。結果、最終日の倍率は何倍に達したなどと、メディア向けの都合のいい数字は出来上がる。だが、草葉の陰でファンは泣いているのだ。

関係者はさておき、メディアは似たような記事しか書かないくせに(これは自戒を込めていう)、会場に入り、全てが見渡せる位置(つまりファンが立ち見でもいいから入りたかった場所だ!)に陣取り、セトリもコメントももらえる。

おまけに、インバウンド客向けのツアーと聞いて驚天動地でスマホを壊しかけた。インバウンドが悪いとは言わない。これまでの3年間あまり、インバウンド客が見込めないために廃業に追い込まれた人さえいる。

それでも、これは違うだろ?運営よ。

この3年間、耐え忍んだのはファンも同じなのだ。全てが元に戻った暁に、もう一度みんなで、その満願が叶う日だけを夢見て、来る日も来る日も、求めに応じてCDを買い、グッズを買い、有料のアプリやサブスクに課金し続け、ようやく辿り着いた晴れの舞台の東京ドーム2デイズで、これがファンへの返礼か?

インバウンドが1万席を独占したとかいうわけではないけれど、たとえ100席かそれに満たないわずかな座席数であっても、応援し続けたファンのために取っておいて欲しかった。

海外の応援だって欠かせないだろうというけれど、物には順序がある。今回のこれは違うと断言する。


混乱しているのである。どうかしているのである。たかがライブのために、何もこんなに苦しむ必要はどう考えても1ミリもないのである。




それでも。


思った通り、争奪戦が虚しく終わった頃に、「はい、どうぞ」と言わんばかりにライブ配信が案内された。最後の勇姿を見届けよう、だって。

馬鹿にしないでくれ。

見られないよりマシでしょ?どうせ見るでしょ?なんで素直に受け入れられない?自分のくじ運のなさを受け入れたら?しつこい人は嫌い。

そうではない。もう一度言うけれど、馬鹿にしないでくれ。

「配信があって良かった!」と、高い料金を払って見る人はたくさんいただろう。メンバーは配信がある時は、ちゃんと「配信を見ている皆さん」と呼びかける。

でも、今回ばかりは何か違う。

配信しなけりゃクレームの嵐だろう?しないよりしたほうがいいだろう?

そう考えれば考えるほど、私は天邪鬼みたいにムキになってしまう。


見たいのだ、瞬きもせずに。

でも、決して見たくないのだ。


あれは、生で、会場で、LIVEで、実体験として「観る」、「参加する」からこそ最大の意味があるのだ。

仮に、インバウンドツアーなどという枠がなく、一般販売も含めて抽選で、配信などもなかったとして、それでも多分、私は落選していただろう。

そんな気はしている。

去年の夏のツアー、神宮3DAYSはちゃんと参加できた。「ここにはないもの」テレビ初披露も、実は大阪・フェスティバルホールで観戦できた。周囲をジャニーズファンの女性客が埋め尽くす中、飛鳥のグッズを掲げて応援できた。

その時に運を使い果たした、とも言えるし、それらに応募したにも関わらずことごとく涙を飲んだ人たちが今回、生で飛鳥を見送れていたらそれでいい。それが一番いい、私は落選でいい。受け入れる。


けれど、今回、受け入れようにも受け入れられない違和感がたくさんあった。

なんでよりにもよって、「今回」がダメなのか。最初に言っといてくれよと思う。

ラストステージはお預けだからね、と。


乃木坂に関して、東京ドーム公演は過去3回、合計6日間。

これで6連敗である。一度も、東京ドームで乃木坂を見れていない。

神宮も、ナゴヤドームも、京セラも、横浜アリーナも(11thバスラは安定の全滅。もっと前の公演の時の話)、日産スタジアムも、参加できたのに、どうして東京ドームだけはかすりもしないのか。

欅坂も、日向坂も、櫻坂も、東京ドーム公演を観られたのに、乃木坂だけは観られない。縁なし。

お預け。



この2週間ほど、メンバーのメール会員は全て登録を解除し、のぎ動画も解約し、SNSをシャットアウトし、メンバーの公式ブログも一切見ず、公式サイトは最低限だけ確認し、WEBもできるだけ配信記事を見ないようにし、YouTubeも見ないようにし、朝のワイドショーも見ないでおいて、可能な限り情報をシャットアウトした。

職業柄、Yahooニュースだけは見ないわけにはいかず、タイトルだけはいやでも目に入ってくるけれど、見なかったことにして、耐え忍んで、それがなぜなのかもう自分でもわからずに、ただただ「飛鳥」の2文字を避けて、日刊スポーツは買っても読まずに棚の上に上げてしまい、使いもしないのに届いた卒コングッズたちはカバーをつけたままこれも棚の上に上げてしまい、まるで嵐が過ぎ去るのをぎゅっと目を閉じて耐え忍ぶみたいに、この2週間を過ごした。

耐えられなかった。自分の知らない飛鳥に。

これまで癒しであり、元気の源であり、希望であり、目標であり、原点だった彼女と彼女の仲間たちが、今は自分の傷口を深く抉り取る刃に思えた。

これまでと真逆のことをするのだから(情報のシャットアウト)、これは容易ではなかった。机や壁に頭を打ち付けたかった。

おかしくなってしまいそうなので、今回のために働き詰めて拵えた連続休暇(もう取り消しが効かない!)を少しでも有効に使うために、郷里に出かけた。何も考えずに車を運転している間、せいぜい数時間だけれど、忘れられた。懐かしい郷里の家や、風物や、田舎の寂れたショッピングセンターや、海や、隣県に住んでいる転職した先輩との酒宴の席や、まるで生き急ぐみたいに持て余した時間を食い潰して、果たして18日の夜が更けて、19日を迎えた。

二日酔いで頭が割れそうになる。熱い湯船に浸かり、シャワーを頭から浴びながら、考えたのは・・・



飛鳥のことだった。


うまくいっただろうか。


相変わらず、小生意気な顔で「へっ」って言って、笑って、納得して、散々泣いて、もう一度笑って、ステージを後にしただろうか。


唯一にして絶対の存在。

橋本奈々未が残していった、宝石のような女の子。


純粋で、傷つきやすくて、まっすぐで、賢い子。


「飛鳥は真っ白だから」

橋本奈々未の言葉に嘘はなかった。彼女は、最後まで誠実だった。

だから、飛鳥もまた、誠実であり続けた。

何にも染まるな、と言うのは無理筋な話だ。

私もたかが5年間とはいえ、東京で過ごした人間だから、あの街の底知れない魅力と恐ろしさはわかっているつもりだ。

今日という日は明日になればもう古い過去の話になる。明日の話をしていると思ってしたり顔で話していたら、「我々は1週間後の話をしている。今頃明日の話をする君は、てんでダメだな」と嘲笑されるあの街で、彼女は真っ白であり続けた。



君は最後まで宝石のようだった。

美しいのに、触ると冷たくて硬い。

遠巻きに見ていると、どうしても近づいてちゃんと見たくなる。なのに、分厚いガラスケースが邪魔をするんだ。

諦めて美術館を後にする。すれ違う人たちに「君も同じ目にあうぞ」と思いながら、本当は気が気じゃない。奪い取られたらどうしよう。誰かが、いとも容易くガラスケースを破り、宝石を手に取って遠くへ行ってしまったら。

振り返る。不安に駆られて振り返る。駆け足で人並みをかき分けて展示室に戻る。

果たして宝石はそこにあった。変わらない美しさでそこにあった。


僕は、安堵して、でもなんだか肩透かしを食らったようなバツの悪い思いで立っている。

「やっていやがる」



良かった。飛鳥はずっと、飛鳥のままだ。


齋藤飛鳥 インスタグラムより

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