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角野隼斗さんの『KEYS』ツアーで大号泣してしまった。。@所沢ミューズアークホール(2024.2.11)

角野隼斗さんの待望の、待望の!日本全国ツアー!!『KEYS』が1月末からスタートしていますね。
もう、凄まじい並の人間なら殺人的なスケジュールで、日本各地をなぎ倒す勢いでとんでもない公演を日々ぶちかまして下さっている隼斗さん。

ますますより一層の大好き&大尊敬の念を確認して惚れ直している方も、初めましての生公演でかてぃん沼に魂がぶじがっつり召された方も、きっときっとこの瞬間も沢山たくさん日本中に生まれているのだろうなと、SNSをすこししか見てない自分でも肌で感じます。
その公演を観に行った方の生の声に触れると、どれだけの熱量が今各地で湧きおこっているか見えるようでドキドキします。

ほかでもない自分の生きている国に、日本に、角野隼斗さんが生まれてきてくれた事がめちゃくちゃ有難いなあ、幸運だなあって思う。
そうでなければこんなにたくさん全国各地を回るツアーなんかやってもらえないですからね。
韓国と台湾公演に行ったことによって強く思ったのだけど、もし私が海外勢だったらすごく羨ましく感じるなと。日本という公共交通機関が整った国で、行こうと思えば何公演も行けちゃうの羨ましすぎると思う。
だから有難いことだなって、もう今日のこの頃は地球レベルの移動距離を普通にされているかてぃんさんだからこそ、日本で生まれてくれてありがとうと思ってしまう訳です。


私は、当初初日1/31の宮城から参加する予定だったのですが、年明けのある日から突然持病の鬱がぶうわああぁーーーっと悪化してしまい。。
誇張でもなくボロボロのぼろ雑巾みたいになってしまって日々生きていくのも難しく、起きていても寝ていても変わらないずっと布団で起き上がれない状態になり、指一つ動かすのもしんどく、四六時中息をしてるだけでもただ生きているだけでも、目をあけて最低限の事を話すのでさえ辛い……という、重度の状態になってしまいました。
当然大好きな趣味やダンスでさえ全く一切できない。基本ひたすら寝てるだけの時間。

そんなだったので各地への公演遠征を泣く泣く諦めて、死にそうになりながらやっとこさ病院に行って新しい薬をもらって、十分に休んで回復に努めてきました。

そいで、ようやく、ようやく、2/11(日)の所沢のミューズアークホールで念願の『KEYSツアー』を初体験してきました。

感想をすぐ書こうかと思ったけど、まだ観に行けていない関東圏の方は意外と多いのではないかという気がして遠慮したのと、そして私自身が病気の影響があってしばらくまとまった文章を書くことが難しかったので、ちょっと時差が生まれていますがいまさら書いててすみません。
今回は角野隼斗さんのKEYSツアーの所沢公演を観に行くことができたことについてと、自身についての近況を文章にまとめたいと思っています。
ただ公演のレポートではないので角野隼斗さんの公演の情報を知りたい方には、全然参考にならないかと思います。すみません。(とはいえネタバレが部分部分であると思いますのでネタバレNGな方は以下ご覧にならないのをお勧めします)
個人的な日誌のような感覚で、リハビリを兼ねて文章を書いてみます。

初体験のKEYSツアー。

ところで(早くも脱線した笑)、角野隼斗さんのことを私自身は一度として『クラシックピアニスト』と思ったことがないのですが(悪い意味でなくて実際演奏や活動を聴いていると、そのように範囲を狭めて決め打ちできるようなそういう幅の活動スタイルでは全然ないと感じていて。敢えて言うなら『鍵盤を神様みたいに自由に楽しく弾ける音楽家』みたいなイメージ)、割とふわっと知っている方からするとクラシックピアニストと思っていらっしゃるような気がして。

それでいうのであれば、しいて言うなら、前半はクラシカルなピアノで、後半はジャジーなピアノみたいな色分けができるような、できないような笑。
今回のツアーもReimagineと同じように前後半に分けるスタイルで、休憩をはさんで二つの顔を見せるというか趣向を変えるというか。そのような形式になっていました。この形はもう定番のようになってきたのかな……と思ったりしました。衣装を替えるのも物凄くすてきな演出だと思います。

脱線しますが、クラシックピアニスト、という肩書について、角野隼斗さんを語る上で出てきがちワードだと思うのですが、どうしてもなんか絶対に解釈違いがある気がたぶんするのです。(絶対かたぶんかどっちなんだ)
たぶんご本人はご自分が『クラシックピアニスト』だなんて一度も仰ったことないのではないかと思うのです。。(自分が知らないだけだったらごめんなさい)

というか、そもそもクラシック音楽自体の内包するジャンルがあれほど多彩で幅広いものなのに、クラシックピアニストであるとかどうだとか、こだわるのはすでに前提が崩壊してるというか、あんま大きい声で言ってはいけないと思うけどその議論以前に定義が不明で、不毛だなと私自身は思います。
そうやってカテゴライズすることになんの利便性があるのか、肩書なんてのは活動のあとからついてくるものだろうに馬鹿馬鹿しくないかと。
色々書いてすみません。何か、過去にむしゃくしゃしたことがあった気がしたので、そこらへんの気持ちを書いておきたかった、笑


私にとって、鍵盤で遊ぶ神様みたいな音楽家、角野隼斗さんは、このKEYSツアーでもこれでもかと今までにない新しい景色を魅せてくれました。
いや~もう、めっちゃくちゃ大感動で大号泣でした……。
本当に本当に素晴らしくてまじで涙がとまらなかった。
その前まででもめちゃくちゃ最高の演奏すぎて感動しまくっていたのですが、コンサート終盤に角野さん自作のノクターンを聴いたときから、完全にだばーっと感情の蓋外れた感じで泣いてしまって涙が全然止まらず。。
終演後もだばーと滝のように涙が止まらなくてロビーで危うく不審者みたいに泣きじゃくりそうになり、帰宅してからもしばらくだばーっと号泣したままで流れるままめちゃくちゃ泣いて、こんなに泣き続けたことは近年なかったです。感情が感動でいっぱいになってました。

もう、もう、角野隼斗さん凄かった。
演奏の質の高さがえげつなくて、音が弱音からフォルテまでほんとうに美しいし、音色やタッチが楽曲の世界によって伝えるべき色や形や手触りで目の前に顕現されていて、なんて表現していいのか全ての言葉が陳腐になるくらい得も言われぬほど、美しかった。。。

この人の音楽はなんて何ものにもとらわれず、邪念や雑音にのまれることなく、のびのびと純粋で自由でなんて素晴らしく楽しいのだろうって。

オーケストラの曲をアレンジした後半は、本当にもう凄まじくて、角野隼斗さんから伝わってくる音楽の熱量がめちゃくちゃ熱くて、鍵盤に全身全霊で全力投入で、もうえぐい程凄まじ過ぎて。
本当に心の底から感動すると全身身体中からとてつもない歓びと、同時に、肌が粟立つというか、身の毛がよだつような鳥肌立っちゃうような感覚が襲ってくるときがあるのですが。
感動しすぎて情緒が振り切れてしまって、自分で自分の感情がどうなっちゃってるか分からなくなる感覚があって、きっとそのとき今までの人生で体験したことがないようなレベルの感覚で感動してるから、怖くなって戦慄するくらいの気持ちになるときがある。
こういうの自分だけかもしれなくて伝わらなかったらすみません。。

これは凄く良い意味での戦慄で、今までけっこう色々なことを経験してきたと思っていてもその人生の経験からまったく突き抜けている、異次元の、いまだかつて感じたことの無い感動、みたいなものを経験したときにしか味わえない感覚なのだけど、それを今回の「KEYS」ツアーでは物凄く感じた。


本来なら初日を皮切りに、各地に遠征しまくってかなりの数の公演を観る予定だったのが、病気で全然行けず悲しかったのもあり、所沢ではそもそもようやく『KEYS』ツアーを観にこれた、というだけでも本当に嬉しかった。

<<以下、所沢公演後にぐわーーっと感想を殴り書きしたメモより>>

24の魔法みたいな変奏曲が聴けた。音楽を自在に変幻することが出来すぎて角野さんは絶対魔法使いで神様だと思った。
パリのアメリカ人、ボレロ。オケをピアノ1台で具現化してくれる最高のアレンジで角野隼斗さんしかできない演奏を魅せてもらった。
ノクターン、心のやわらかいところにじかに触れてくるような癒やすような音楽……。ようやくとうとう聴けた。今日行けてよかった!!!
ぼろぼろ泣いた。大感動で大号泣だった。ひさしぶりにこんなに感情のたがが外れたようになってしまって、言葉が出ない。

角野さんのノクターンを聴いていたら、年明けから持病の鬱が悪化して夜中に眠れなくて起きても昼でも雨でも晴れでも関係なく気分は最悪で、ずっとずっと辛くて苦しくてひたすら生きてるのがキツいという感じで、24時間毎日がもう息するだけでしんどかったこととか、まだまだ癒えてない痛みとか、自分で見詰めたくもないけど確かに胸の中にある弱さを、「弱さがあることもひっくるめて容認してくれる」ような、そんな感じがした。

ずっとずっと夜にいるような病の日々を、夜明けを映す曲がそっと毛布のように受け止めて癒やしてくれるようで、自分事にしすぎていてこんな感想は恥ずかしい限りだけどきっと音楽は人生のしんどい時のためにもあるのだと思うから、ただただ、寄り添って心に沁みていって、苦しみを癒してくれるようで素直に涙が止まらなかった。
今日行けてほんとよかった。
角野隼斗さん、全身全霊の全力投入の素晴らしいコンサートを本当にありがとうございました!(※メモここまで)


じつはノクターンを聴いている時に、感じていた感覚がありました。
それは懐かしい感覚で、私が初めて角野隼斗さんのピアノにはまったときに感じた高揚感や深い感動そのものでした。

毎晩毎晩、中毒のようにラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を聴いていた時に、ずっと心を捕えて揺さぶって離さなかった魅力に満ち満ちた、あの音。
悩んで眠れない夜や生きることがつらい夜もぐっと心を支えてくれて、心のいちばん奥深くまで触れてくれるような、あの演奏、あの音楽。

あのときの感覚が再び、そのまま襲ってきました。
2020年の8月に初めて感じたあの感激を感動を衝撃を、それをまた同じ角野隼斗さんのピアノから感じることができるのか!と、すごく驚きました。
何度でもこの人は私の感動を塗り替え、更新していくのだなと、角野隼斗というひとの底知れなさをまざまざと思い知りました。
ほんとうに凄い方です。


きわめて個人的な感想になってしまっているのですが、そろそろ体調的に限界なようなので、書くのを止めようと思います。
4500字くらい。大分まとまった思考ができるようになってきたのではないかと思う。病気はおそらく改善していると思う。いまめっちゃ疲れてて今にも倒れそうだけど…。

最後に、ほんとうに余談過ぎて誰も得をしない情報なのですが、なぜPCを立ち上げてこの文章を書くに至ったか、そのきっかけとなった出来事だけ、書いて終わりにしようと思います。

2025年、来年ですね。『グラスハート』という小説がNETFLIXで映像化することが決定したという情報を昨日目にしました。
『グラスハート』は若木未生さんの著書で、若木未生さんという方は私が小学5年位に初めてその小説を読み、そこからめちゃくちゃ本や物語というものが大好きになったという程、人生に影響を及ぼしてくださった大好きな作家さんです。(『ハイスクール・オーラバスター』というシリーズが多分一番有名かと思います)

しかし、これらはティーン向けのレーベルで出されていた小説であり(コバルト文庫)、一般的にはそんなに爆発的な知名度があるとか、記録的なヒットとかそういう訳でもなかったと記憶しています。
そんな『グラスハート』に俳優の佐藤健さんが惚れこんで、自ら若木さんに映像化をお願いし、さらにご本人がプロデュースして作品にする、という熱意溢れる形でこの映像化が実現したそうで。

『グラスハート』はNETFLIXからのあらすじ紹介文を引っ張ってくると、
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所属していたバンドを理不尽な理由でクビになった大学生・西条朱音。
打ちひしがれる朱音だったが、「ロック界のアマデウス」と呼ばれる天才音楽家・藤谷直季から突然、彼が率いる新生バンドのドラマーとしてスカウトされる。
朱音の前に待ち受けていたバンドメンバーは、努力家のカリスマギタリスト・高岡尚と、超音楽マニアの孤独なピアニスト・坂本一至。
壊れものの天才たちー。その愛の共鳴から生まれる音。圧倒的熱量で贈る、至高の《青春音楽ドラマ》が誕生する‼︎
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というような感じで、原作は音楽を正面切って小説にしたという表現がこれ以上ぴったりとくる作品がほかに思い浮かばないほどに、本当にかなり音楽に純粋に特化した青春小説です。

特に私がおぼろげながら記憶していて大好きなシーンは、藤谷が歩きながら即興で作曲をするシーンで。
細かい描写は忘れたので全然違ってたら勘弁なのですが、たしか藤谷が歩いていって、足元からドド、ドン、ドドンというリズムが生まれてきたのを掴まえたら、そのリズムを掴まえたまま左手で今度はそこにあるベースラインを掴むと、ドラムとベースができて。
そうするとギターのリフが自然に右から降りてくるからそれを逃さず掴んだら、もう頭の中には然るべきメロディーが流れてきて曲が出来上がってる。みたいな。

なんじゃそりゃ。魔法か。
そんなのすてきすぎるじゃないか。
紛うことなき天才、アマデウスの芸当やん!と子ども心に思って藤谷にすごく憧れていました。

そんな藤谷直季を佐藤健さんがこんなに魅力的なキャラクターはいないと絶賛してくださり、私は時空を超えて、めちゃくちゃ嬉しい気持ちで一杯です。
しかも御本人がプロデューサーとして自ら町田啓太さんに高岡尚役を、志尊淳さんに坂本一至役を直接熱烈オファーをしてるなんて話を聞いたら、その本気度に原作ファンとしては泣けてしまうほど嬉しかったのです。
もうめちゃくちゃ胸熱で感涙…。オタク丸出しですみません。

私は昨日このニュースを知ってしみじみと思ったのです。

「すてきなものをすてきだと、自分が感じたら、そのことだけはずっと一生信じてもいいんだな」と。

誰に認められたとか、ヒットしたとか、有名になったとか、そういうのは形に見える結果でしかなくて、そこに至るにはかなり運やご縁の要素があったりするもので。
きっと数多のすてきなものがこの世の広く多くの人に知られることのないまま、その存在を忘れ去られていくのかもしれないと思う。

そして、一方でわたしたちは、自分が成長していくにつれて、過去の自分が好きだったものや、はまっていたものに少し照れというか、恥ずかしさを感じて、むりやり距離を取ろうとしたりすることがあるけれど。

一度しかない人生で、すてきなものに出逢って、それをめちゃくちゃすてきだと思って、それにはそのときの自分の人生を変えるほどのインパクトがあって。
そういう事やものに出逢ったら一生大事にしていいんだなと、あらためて思ったのです。

恥ずかしがらず距離なんてとらずに、すてきなものはすてきだと、好きなものは好きだと、自分の気持ちを大事にずっと大切にして信じ続けるのがいい。

だから『グラスハート』、実家にあるけどあらためて買っちゃいました笑。
これから読み直します。すごくドキドキワクワクします。
『幽遊白書』も読み直したいな。こちらは私の人生において、漫画が大好きになるきっかけになった、これも大切な大切な作品なのです。
(こちらも昨年12月にNETFLIXで映像化していました。めちゃ見ごたえあった。そういう大切な作品にふたたび出会う時期なのかもしれない…)

そして今なによりも心を動かされていて、すてきだと思っている『角野隼斗さんのピアノ』。これについても、拙いなりに今の想いを大事にしたくて、それで書くことにしたのでした。
長々とすみません。

『KEYS』ツアー、私が次に行けるのはサントリーホール公演です。
今度はどんなふうに聴こえるのだろう。
今からめちゃくちゃ楽しみで仕方がないです。

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