自己肯定感と自己開示とnote


頭の中が空っぽで、noteが書けない


noteを書くだとか、ブログを書くだとか、なにかを書いて外に出すために、自己肯定感はある程度必要だと思った。


最近書けなくて、書けなくて、そもそも何も考えられなくて、頭の中が空っぽだった。

さすがになんでこんなに何も考えられないのだろうと思って、自分の思考のプロセスを見ていたら、途中で否定が入っていることに気がついた。

普段だったら、
これって○○だよな〜〜→あ、note書けそう!→とりあえず書こう

となるのに

今は、
これって○○だよな〜〜→あ、note書けそう!→いや、こんなこと書いても需要ないし、むしろそんな当たり前のことみんな分かってるからわざわざ書く必要ないな

となってしまう。
すぐに自分の思考に「ダメ」の烙印を押してしまうのだ。

この「ダメ」という自己否定が、頭の中が空っぽ の正体だった。


自己開示のハードル

noteを書くこと=自己開示 は一概には言えないけれど、私の中でnoteを書くことには自己開示の要素も含まれている。

自分はこういう人間でこういう思考をしていると分かりやすく書いてはいないけれど、私のnoteで私がどんな人間かは多少わかったりするはずだ。

でも、それを書くまでに、これはnoteで書いてもいいか、という判定を頭の中でしている。

さらに言えば、私は臆病で人の顔色も気にしてしまうから、考えてるレベルが低いバカだなと思われないかなとか、ダメなやつだと言われないかなとか、自意識過剰なことも思う。

多分、その判定を全て乗り越えるのに、自己肯定感というのはある程度必要だ。

この程度のことなら書いてもいい、この程度なら自分を晒していいい、と思えるのは、その自分を許せているからだ。

許せない自分なら、そんなひどい姿を外に出したいとは思わない。わざわざ自分のネガキャンをするくらいなら、何も言わずに黙っている方がマシだから。

つまり、noteを書くには、自分自身や自分が考えたことを自分で認めてあげる必要がある。


全ては認められないけど、とりあえず書く

けれど、自分が自分を認めてあげられないときって、誰でもたまにあると思う。

私はここ数週間、自分の口癖が気がついたら、「あーもうだめだ」になっているくらい、自分という人間を認められていない。

それはそれで、自分で自分を否定してしまって心が痛いけれど、もっと広い目で見て、自分をすぐに否定しまう自分は認めてあげることにした。

「そういう時もある。」は意外にも魔法の言葉で、ちょっとだけ自分を許せるようになった。

そしてそのちょっとの許しに乗って、noteを書いている。


多分、noteを書き出したら、あ、ここまでなら出してよかったんだなあ と思えるはずだから、書くことで自分を認めたい。

なんて、読み返したら自分本位で嫌になっちゃいそうだから、勢いで次へ公開しちゃえ!えい!!!

#ブログ #note #日記 #エッセイ #書く #自己肯定感 #自己開示 #自己否定




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