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唯一解の幸せは、平成に置いてきたよ。



元号の変わり目について。
平成最後、令和を迎える瞬間。

大晦日のような高揚感もなく、
どちらかといえばわたしは、令和を目前にはしゃぐ人を冷めた目で見ている側だった。

だから特に平成で終わらせたいことも、令和をこういう時代にしたいという気持ちもなかったんだけれど、

ふと自分の生き方を考えた時に、
こうしたい!と思ったことがそれなりにこれからの時代感につながりそうだったから、記録として書いておく。


***


自分のことは自分で幸せにする。
自分の幸せを他人に預けない。

人と幸せを作るなら、半分ずつ作りたい。
私のことを幸せにして?みたいな女王様な考えは好きじゃない。

せめて自分の幸せも、自分の不幸も、自分で作って、自分で消化したい。

一人で生きていきたいわけじゃないし、結婚して子供もほしいけれど、幸せをすべて丸投げにはしたくない。

そういう気持ちで、新しい元号を生きていきたいと思った。

いわゆる「女の幸せ」みたいな概念は、たぶん平成でかなり浄化されたと思う。

でも、まだ押し付けのような幸せ観は、見えないように息を潜めながら、私たちの頭の上を漂っている。

たとえ押し付けだろうと、その幸せを追い求めるために努力が生まれたりするから、それがすべて悪いわけではない。

ただ、幸せを定義して枠にはめるより、目の前の出来事を幸せと言ってしまう方が、たぶん幸福度は高い。

道端できれいな花を見つけることも
お気に入りの靴をはいて出かけることも
おいしいご飯を食べることも
好きな人と他愛もない話をするこたも
全部幸せじゃん。

唯一解に囚われない令和にしたいなあ。


***

令和令和してるときに出すのもなぁと思ってお蔵入りしてたのですが、
完全に時代遅れな記事になりました。

まあそんなこんなでね、
元号が変わることで日々が一変するようなことはないけれど
こういう風にけじめがついたり、なにかを改められる機会になるなら
それはそれでいいなあと思います。

#ブログ #エッセイ #日記 #幸せ

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