犬が死んだ

 犬が死んだ。

 僕の通っていた中学では中3に3万字位の人文系の卒業レポートを書かせるとか言う科目があって、その授業の最初で先生が作文の書き方について語る。曰く「父が死んだ。   これから書き始めろ、読者の心をつかむには書き出しが一番大事だ」まあそんなこんなでもう8年前の記憶だけど。2年前に中学に顔出したときには彼は教頭になっていたからいまはもっと偉くなっているかもしれない。
 さて、犬が死んだ話しでもしようか、ちょうど1年前になる。ふとあいつが死んだのそろそろだなと思ってカレンダーをみたら今日だった。死んだ日時はよく覚えてないけど2021/8/22 23:33だった気がする。ずっとこれを、このnoteを犬について書こうと思ってたんだけど随分先延ばしになってしまい、一周忌にまにあう様に慌てて書いている。あと3時間なので余裕はある。

 どうして犬についてnoteを書かなくてはという脅迫観に襲われているかというと、情報は消えていくものだからだ。

 情報というのは年月がたつにつれ指数関数的に消えていく、そして思い出として美化されることになる。あなたも見覚えはありませんか美化された記憶、いや普通はどこかに当時の記録を残しておかないとそれが美化されているのかも分からないと思うけど。
 乙姫がなぜ幾星霜の時を玉手箱という形で浦島太郎にあたえたかという疑問に答えている本を前に見た。乙姫は浦島に時を経た記憶、すなわち美化された思い出を与えたかったそうだ。ばかげた話だ。今が幸せなら、本当の事も忘れてそのぼやけた脳を慰むのがいいってのか。まあ幸せならいいか、いいか。

 情報とはエネルギーのことであるのはマクスウェルの悪魔の解決が示すところであって、熱的死とは情報の拡散である。
 熱力学第二法則はエントロピーの増大を示していて、巷の書籍によればエントロピーとは乱雑さのことである。僕はもちろん化学を志しているのでエントロピーの意味を理解しているという訳ではなく、熱力学の授業は(も)サボったのでそれがなんなのか全く知らない。
 生き物というのはエントロピーに逆行する物体でめちゃ秩序だっている。だってやばいよ肉の塊が意思をもって動いたり、動いたり、鳴いたり、尻尾を振ったり、こっちをみたり、ひもをひっぱたり、おしっこをしたり、フンをしたり、ボールを追いかけてくわえたり、いっしょに走ったり、庭に穴を掘ったり、それで怒られてへこんだり、箱に体を丸めて入ったり、水を飲んだり、餌を食べたり、歩けなくなったり、尿を垂れ流すようになったり、餌を食べなくなったり、水を飲まなくなったり、俺の手の中でもう二度と動かなくなったり、最悪だ。生き物なんてなんてくだらないんだ失敗作だまったく。

 そういうやつが死ぬのは情報の拡散であって、情報はいつか消えて、いや観測できないほどの量になってしまう。そんなのは嫌すぎるやだすぎる。だからこんなクソ見てーな電子の網に放出するんじゃなくて俺は英訳とかといっしょにこの文面を石碑にしてロゼッタストーンにしなきゃいけない。
 
 けど心の中で生き続けるってのは他の人間存在が保有する内的情報に換算されたってことで、存在を識別する情報は思い出に還元されたってことだ。眠くなってきた。最近は夏休みに入ってからは早寝早起きの健康生活が続いてる。
 情報で重要なのは鮮度と言うことで当時の俺のツイートから引っ張ってくる。いやあTwitterは偉大だ。

1.犬に脱水症にならんように口うるさく水飲め水飲めって言ってるけど、俺が水飲むの忘れて脱水症になりかけてた、水飲む

2.1時間後にバイトが始まります。それまでにレポートが2個あります。頑張ります。バイト22:30に終わって老犬の世話をしにいきます。頑張ります。

3.1日2,3時間寝たきり犬の傷を診ている。ボケかかって犬の世話の仕方覚えられない祖母も,母が嫌いで世話全くしない父も,結局殆ど世話をしない家に居ない母も,仕事で帰ってった大好きな兄も,一番世話はしてるけど自分の用事を優先して淡々としてる俺も,こんな家庭と世界に恵まれた犬も,みんな死んじゃえば

4.今ワンコの世話1番してるの僕なんだろうけど、傷洗ってガーゼ取り替えて目やにグイってとって姿勢かえさせてしてると1番苦痛を与えてるのも僕なんだろうとおもう、愛おしい犬、僕を恨んで死んでいってな

5.おいバカ犬おい水飲めよミルク飲めよこのバカ犬、死んじゃうぞ

6.犬の震える手を握って気付いたら寝ていた

7.犬も猫もあいつら歳取ると段々餌も水も自分で食べれないようになるけど、口の前に匙でいつもより美味しい餌近付けるとガツガツ食うし、ちゃんと糞尿もして、ああ生きようとしてるんだなぁって思わす癖に、それなのに、急に食べなくなってポックリ死んじゃうからもう駄目許さない。いきろよ

 ふむ、大変そうだねこいつは。まあなんやかんやあって最後にくるっと尻尾をまるめたのを最後にぐんにゃりとしたそれを抱いてカラっと泣いて、死後硬直が始まってはいらなくなる前にタオルをひいた段ボールにいれて、夏だからくさくならないように氷をいっぱい入れて、明日を待った。もうそれはもので、命は蒸発していた。
 葬儀場では別の犬の骨を遺族が拾っていて、焼き肉の匂いがして、+1万円で骨が拾えて、+1万円で骨壺が、+1万円で碑が買えた。祖母と母はなにか不謹慎な事をいって僕は黙っていた。+1万で犬は真っ白く脆い姿を現して、俺は尻尾の小骨を小さいジップロックに入れて持ち帰った。
 いまは棚に、首輪と最後の前日に丸ごと食った缶詰とおんなじものといっしょにおいてある。

 なんだか随分と感傷に満ち満ちた文章になったがまあよいよ、犬よ、灰になって共同墓地に眠る犬よ、俺のもつ小骨の大元だった犬よ、お前はまだ俺には覚えられているよ(もうずいぶん忘れたけど)

 情報として少しでも誰かの目に触れさせることで、誰かの心を1mm動かすことで世界に対する弔い合戦をしようとしたが、なにかの意義をこの文章が含めばいいと思う。

 では、おやすみなさい。 またあした。



 ひさしぶり、インターネットにもねむる犬よ。だいたい3年ぶりだ。2周忌を忘れてたみたいだ、僕は。おそくなったが、会いに来たよ。
少し追記をしよう。おまえのことを思い出した時のことを2つ。Twitterのブックマークを探してくるね。

 ひとつめ。犬をなくした漫画をみた。そこでは、最後にいぬが動けなくなっても、人間はいぬを抱えて街を散歩していた。どうして思いつかなかったんだろうぼくは。するべきだったし、しなきゃいけなかったし、思いつくべきだったし、思いつける人生を生活を歩くべきであった。後悔は、先にたたず、いつまでもぼくをみてくる。ああ、いぬよ、すまなかった。本当に。悲しくなってきてしまった。すまない。

 
 ふたつめ。短歌をみた。短い歌っていいネーミングだ。

 愛された犬は来世で風となりあなたの日々を何度も撫でる

 木下 龍也 「あなたのための短歌集」

 ぼくはおまえをいっぱい愛せてなかったかもしれない。けど、そう、なでてくれたらとても、うれしい。ぼくは、気付かないかもしれないけれど。そうだとうれしい。もしくはおれを忘れて、たのしくやってくれてたらもっとうれしい。とっても、自分勝手なんですがね。

 あやまってばっかではいけない。いぬに感謝を伝えていない。いままでありがとう。けど、感謝なんてしたってしょうがない。もういないから。もういないのにこんなことをしても駄目かもしれない。取り返しのつかないことってなんて最悪なんだろう。けど、だけれど、ぼくは、時々ここに来て何かを書くよ。約束しよう。きっとだ。それで手打ちにしてくれないか。そのときは、また、いぬにはここであえるはずだ。おそらく。

 ぐだぐだになってしまった。
 今度来るときはちゃんとするよ。じゃあまたね。


庭でまるまるいぬ


網戸越しのいぬ1


網戸越しのいぬ2


動物病院を怖がるいぬ

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