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「逃げる」という衝動

人生における選択とは、どちらかと言うとプラスのイメージがあるのではないかと思う。
入学、就職、転職、結婚、出産など。
新たなステージを自ら切り開いていくために進んで行くような、そんな感じ。

僕にとっての人生の選択はというと、思い返すと、決してそんな前向きなものではなかった。
計画的に、よく考えて行動した訳ではなく、その場の勢いだけで動いて、周囲に迷惑をかけながら、我を通すような形になった。


僕が今の職場に就職してから12年が経過している。
今は違うが、元々はある専門職としての採用で、その業務を担っていた。
当時その資格は僕だけしか所持しておらず、誇らしい気持ちも無くは無かったが、それ以上にプレッシャーみたいなものを勝手に感じていた。

就職して4年が経ち、同じ資格を持つ後輩が増え、上司が退職し、そんな中で重圧は気付かない内に大きくなっていたのかもしれない。

その資格を取得したということは、その仕事・業務ももちろん自分がやりたいと思ったことであった。それは間違いない。
ただ、「自分がやりたい仕事」と「自分に合っている仕事」は違うのではないか。そんなギャップを少しずつ感じ始めた時期でもあった。

僕には、自分で分かっているのに、どうしても直せない思考のクセがある。
それは、一つの嫌な感情に他の様々なことを巻き込んで、引き込んで、負の連鎖を起こしてしまうことだ。
その頃の自分は、仕事に対する自信を失っていた。ただそれだけ(と言ってしまうと語弊があるが)なのに、他の自分のダメな部分や、過去の失敗なんかを次々に思い返してしまい、自分の悪い点をこれでもかと挙げ連ねていた。

ちょうどそのタイミングで、上司から仕事についての指摘を受けた。

その内容は、筋の通った最もな内容であった。
だけど、その時の自分には、それすら受け止める余裕が無かったのかもしれない。張りつめた糸がプツッと切れるような、そんな瞬間だった。

その日の夜、僕は逃げ出した。

仕事から帰って、普通にテレビを見ていた。
いつの間にか少し眠っていて、目を覚ました深夜のテレビには南国のキレイな海の魚たちが泳いでいた。

どこか、遠くへ行きたい。

そう思って、財布と鍵、薄い毛布を持って車に乗った。
携帯電話は部屋に置いていった。

真っ暗な夜を走る。
職場とは反対の方向へ。

今日がまだ金曜日ということも分かっていた。
敢えて、その日を選んだ気もする。
その選択は、少しズルさを帯びていた。

夜が明けて朝になり、始業時間の8時15分が過ぎた。
でも、僕は車に乗ってどこかを走っている。
何にも邪魔されない。携帯電話は置いてきたから。

それから、特に何をしたという訳でもない。
本当にただ車を走らせて、
疲れたら車を停めてテレビ番組を見た。

気付けば福岡県を越えて、佐賀県まで辿り着いていた。
自分の運転で県外に出たのは、その時が実は初めてだった。

その日の夜は、ナビで温泉施設を探して入浴した後、24時間営業のホームセンターの広い駐車場で車中泊をした。僕の他にも、車が何台も停まっていて、大型トラックも数台あった。
車中泊も、初めての体験だった。その時は、欠勤したことへの後ろめたさよりも、自分がこんなことをしでかしているというスリル、ドキドキ感が何より勝っていた。妙な達成感があったのだ。

ただ、朝起きて、トイレに行き、顔を洗った後、車に戻ると、また違う感情が急に押し寄せてきた。

何やってんだろう、自分。

まだ20代とは言え、いい大人なのに、仕事休んで、ほっぽらかして、本当に何やってんだ自分、とふと我に返ることになった。
そして、ゆっくり車を走らせながら、家に帰ろうと思い立った。

その日の深夜、つまり日付変わって日曜日に帰宅した。

その後のことは、あまり思い返したくはない。
もちろん覚えてはいる。
一番会いたくない親や、職場の人に会うことになった。


このことをキッカケに、僕は一時的に異動のような形となり、資格とは関係ない業務を行うことになった。それが半年ほど続いてから、新しい年度になって正式に違う部署への異動となった。

事務職に就き、採用者や退職者の手続き、その他の庶務全般を担った。
その業務は、僕には合っているような気がした。以前までのプレッシャーみたいなものが嘘のようになくなった。
また、それまでの立場と変わったことで、事務職の仕事のありがたさに気付くことができた。色々な立場を経験するというのは、そういう意味で良いことのように思える。

事務職に就いてから7年が経過し、元々の専門職としての経験年数を超えることになった。
今では、僕の以前の職種を知らない職員も増えてきている。それを寂しいと感じることは無い。僕自身も、あぁ、前はそうだったなぁ、なんて少し離れた位置で捉えられるようになってきた。

たぶん僕自身は変わっていない。
ただ、環境は大きく変わった。

逃げたのも自分、異動を受け入れたのも自分。
これは選択なのか、何なのか。
選択というにはちょっとおこがましい気もするが、僕なりの選択だったのだろう。僕の中にある、本当の気持ちで選んだ結果なのだろう。

僕の場合は、(僕の見えている範囲では)あまり大事にならず、結果的に良かったねと言えるまでになった。ただ、これは正直他の人に勧めるものではないし、むしろやってほしくはない。きちんと段階を踏んでステップアップしてくような、スムーズな流れを作れるようにしていったほうが、たぶん人生は楽に生きられる。

人生の中で、たまには立ち止まったり、後ろに戻ったり、それも選択。
自分で自由に決められる。

周りばかりを見ていては、自分の道は作れない。
自分の歩幅で、速さで、順路で歩くのが、僕の選択。


#あの選択をしたから

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