良い文章が書けないのは当たり前のこと

菅田将暉とドライブしながらオセロをする夢を見た。

朝起きてめちゃくちゃ爆笑してしまった。

え、なんでwwwって感じ。

菅田将暉メソッドの副産物か(笑)

ありがとう菅田将暉。イケメンだったぜ!(^_-)


という超個人的な話はおいといて。

文章が書けない話をしようと思う。

少し前までの自分はまさにそうだった。

書くという作業が続かなかった理由として「伝えたいこと/伝えるべきことが明確でなかった」というのはくどいくらいに言ってきたが。
自分の文章に納得できず、書いては消しの繰り返しの末、結局クオリティに満足いかずに書くこと自体をやめてしまう。それは自分の期待度が高いからだった。
自分ならもっと上手い文章がかけるはずだと根拠のない自信を持っていたせいで、実際の出来の悪さに絶望する。作家やライターの文章を読めば読むほど比べてしまい、誰の目を気にしているわけでもなく自分自身が受け入れられなくなっていく。

ただ、絶望している場合ではありません。むしろ、そこからが勝負なのです。脳から出てきた「粘土」をこねくり回して、なんとかカタチにしていく。そうやって少しずつ文章として整えていけばいいのです。
(上記noteより)

初めから良い文章が書けるわけがない。
だから書き続けることだ。書くという行為は思考することであり言語化すること。堅い粘土をこねて、かたちをつくることで作品ができる。それは繊細なものかもしれないし、どんと大きく構えたような力強いものかもしれない。けれどそれらを作り上げるまでにはたくさんの労力が必要なはずだ。時間をかけて丁寧に扱わなねばならない。
だから焦らず、丁寧に、書き続けようと思う。

しかしもう一つ、足りないものがある。

それが観察だ。
良い作品を観察すること、そして自分が扱うモノを観察すること。

闇雲にぐちゃぐちゃにこね回していても上達はしない。先人たちの良質な作品に触れて、観察し、真似をすることだ。何事も真似から始まり、学ぶのである。そこに個性がプラスされることでより良いものが、その人にしか作れない作品が完成していく。

けれど、そもそも自分が扱っているモノについて知らなければ作品は作れない。文章の場合、それは知識である。
あるテーマについて書こうとしていても、自分自身が無知であればそれ以上広げられない。書けないということは書けるだけのネタがないということであって、リサーチ不足なのである。

それに気が付いたのは、少し前にライターとして仕事を体験させてもらった時だった。

書くことは好き。けれど言語化することが苦手で、さらに与えられたテーマについては無知だった。どうしよう、何も書けないと思っていたが、調べていけば案外楽しくて、触れたことのない分野からの知識を吸収することが面白くて、気づけば大量に書いていた。書けてしまった。

個人的には書くという行為に『調べる』もしくは『観察する』を含めるべきだと思っている。

日記や自分の思考・感情を綴る場合でも同じである。そのときの自分を、自分の本当の感情をしっかり観察して分析してみること。そこからいくらでも話を広げることは出来るし、日常の些細なことでもちゃんと観察していれば何だってネタになる。

つまり書けない人の特徴は3つ。

・自分への過剰な期待
・明確なネタがない
・リサーチ不足で話を広げられない

これらをクリアすれば少しずつ書けるようになるはずだ。
そしてさらに上を目指すなら

・良い文章に触れること
・真似をすること
・とにかく書き続けること(量をこなすこと)

これだけで良い。

結果は後からついてくる。



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