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センバツ優勝投手の696球に思い出す、2人の元高校球児とは?

 ちょっと日にちが経ってしまいましたが、今回はセンバツ高校野球のお話です!今年のセンバツは山梨学院が初優勝!山梨県勢の甲子園制覇は春夏通じて初のことでした!

 日本一の立役者となったのは、エースの林謙吾投手でしたよね!1回戦から決勝までの全6試合54イニングのうち、林投手が51回2/3に登板。投球数にして実に696球を投じました。

 この投球数にはネット上でも賛否両論ありました。「ド根性だ!」「さすがエース!」といった賞賛の声もあれば、「酷使しすぎ」「肩が壊れてしまう」と問題視する声も散見され、意見が分かれたところです。

 この問題、私の意見はといいますと~~~?

みんな!4年前の佐々木朗希投手を思い出せ~~~!

【2019年夏の岩手大会決勝】
 さて、皆さんに思い出していただきたいのは4年前の夏です!2019年の全国高校野球選手権岩手大会決勝。この夏の世代No.1ピッチャーは大船渡の佐々木朗希投手でした!高校日本代表候補合宿の紅白戦で163キロをマークするなど、「令和の怪物」として全国から注目を集めていましたよね!

 しかしご存じの通り、令和の怪物は甲子園の土を踏むことなく最後の夏を終えました。岩手大会では初戦から準決勝までの4試合で435球を投じており、中0日で迎える決勝では国保陽平監督が投球数の過多を考慮して登板回避を判断。佐々木投手は全国切符を懸けた決勝のマウンドに立つことなく、チームの敗退をベンチで見守ることとなりました。

 この国保監督の判断には賛否が分かれました。テレビ番組ではベテラン野球評論家らが非難。高校球界でも甲子園の常連校を率いるベテラン監督らからは異論が唱えられました。さらには学校にも抗議の電話があったとのことでした(←どんだけ暇やねん?)

一方で、国保監督の判断に理解を示す声もありました!現巨人で当時評論家の桑田真澄氏は監督の判断に「賛辞を贈りたい」と発言。また、MLBからはダルビッシュ有投手がTwitterで支持のスタンスを示していました。

 結局、この時の判断は正しかったのでしょうか?正しくなかったのでしょうか?その答えは、現在の佐々木投手の活躍ぶりが示しているのではないでしょうか?

【4年前の投球数は?】
 ちなみに、2019年夏の岩手大会での佐々木投手の投球数は以下の通りです。

7月16日(2回戦vs遠野緑峰) 19球(先発 2回)※初戦
7月18日(3回戦vs一  戸) 93球(先発 6回完封)
7月21日(4回戦vs盛岡四 )194球(先発12回完投)
7月24日(準決勝vs一関工 )129球(先発 9回完封)

4戦合計435球
※7月22日の準々決勝vs久慈は登板せず

 上記の通り、準決勝までの4試合で合計435球を投じています。決勝は準決勝から連戦となる7月25日。ここでエースを酷使して連投させれば、花巻東を下して甲子園へ駒を進めることはできたかもしれません。一方で、酷使すれば令和の怪物と呼ばれる逸材の将来に影響を及ぼしてしまう可能性も拭えません。決勝で完投すれば、5試合合計で550球前後の投球数にまで及ぶことになるでしょう。甲子園切符か、それとも逸材の将来か。究極の選択を迫られた中、国保監督は後者を優先させたということです。

【その後の佐々木投手は?】
 では、その後の佐々木投手はどうなったでしょうか?説明するまでもないかもしれませんね!2019年秋のドラフト会議でロッテに1位指名を受けて入団すると、昨年4月のオリックス戦では史上16人目の完全試合を達成!今年3月には侍ジャパンの一員としてWBC制覇に貢献するなど、「令和の怪物」の異名にふさわしい活躍を見せているのはご存じのとおりです!

 あの時、甲子園切符のために佐々木投手に連投を強いていたら、現在の目覚ましい活躍はあったのでしょうか?もしかしたら現状は違ったかもしれません。最後の夏に連投することなく、肩や肘の酷使を回避したからこそ、球界を代表する投手へと成長を遂げたのかもしれません!ということは、当時の国保監督の判断は正しかったということではないでしょうか?きっと英断だったのだと思います!

 今春のセンバツに話を戻しまして、山梨学院の林投手は甲子園全6試合で696球です。4年前の佐々木投手の435球を261球も上回ります。林投手だって将来を嘱望されるピッチャーです。山梨県勢初の日本一を手にすることはできましたが、佐々木投手の例を思うと、また違った判断があっても良かったのかもしれません。

【センバツの投球数上位は?】
 佐々木投手は指導者の賢明な判断もあって、高校卒業後に飛躍を遂げることができました。その一方で、高校時代の酷使によって才能の芽が摘まれてしまった悲しい例もあります。

 ご覧頂きたいのは、センバツの1大会での投球数上位です。
①     安楽 智大(2013年・済   美)772球(現楽天)
②     丸山 貴史(2004年・愛工大名電)765球(元ヤクルト)
③     筑川利希也(2000年・東海大相模)728球
④     牛島 和彦(1979年・浪   商)719球(元中日・ロッテ)
⑤     高塚 信幸(1996年・智弁和歌山)712球(元近鉄)
⑥     福井 優也(2004年・済   美)705球(元広島・楽天)
⑦     林  謙吾(2023年・山梨学院 )696球
⑧     小川  洋(1988年・宇和島東 )692球
⑨     島袋 洋奨(2010年・興   南)689球(元ソフトバンク)
⑩     小林 昭則(1985年・帝   京)686球(元ロッテ)

上位10人のうち7人はプロに進んでいますが、この中で思い出されるのは上から5人目の高塚信幸投手です。記憶にある野球ファンも多いと思います。

【高塚投手の悲劇】
 高塚投手は1996年春のセンバツに、智弁和歌山の2年生エースとして出場。5試合で712球を投げ、準優勝の立役者となりました。しかし、その投球数は過酷を極めました。

3月29日(1回戦vs鵬  翔)121球(先発 9回完封)
4月 2日(2回戦vs沖縄水産)152球(先発 9回完投)
4月 3日(準々決勝vs国士舘)185球(先発13回完投)
4月 4日(準決勝vs高陽東 )137球(先発 9回完投)
4月 5日(決 勝vs鹿児島実)117球(先発7回0/3)

 上記のとおり、1回戦から準決勝までオール完投、2回戦から決勝までは4連投です。特に準々決勝は延長13回185球を1人で投げ抜いています。日程的に1回戦から決勝まで8日間で712球。気の毒なほどの登板過多です。

 この酷使の影響もあって高塚投手は右肩を故障。以降は大きな活躍を見せることができませんでした。同年夏の甲子園には背番号1でベンチ入りも、登板機会がないまま初戦敗退。最終学年となった翌年夏の甲子園でチームは全国制覇を成し遂げたものの、登板は初戦の2回戦で1回2/3を投じたのみにとどまりました。高校卒業後は近鉄からドラフト7位指名を受けてプロ入りも、一度も1軍に昇格することなく6年間の在籍で戦力外に。活躍を見せることなくプロの舞台を去ることとなってしまいました。

【名将も後悔の念】
 考えてもみてください。智弁和歌山という甲子園の常連校で、先輩を差し置いて2年生でエースになった投手です。将来を嘱望される逸材だったのは間違いありません。しかし、2年春のセンバツで、たった8日間の酷使のために、輝ける将来を奪われてしまったのです。チームのために才能を消費されてしまったのです。もしも甲子園での酷使がなければ、プロの世界でも活躍した可能性は高かったのではないでしょうか?

 この登板過多に関しては、当時智弁和歌山を指揮した名将・高嶋仁監督も「彼には申し訳ないことをした。本当に可哀想なことをした。悔やんでも悔やみきれない」とのちに後悔の念を述べています。センバツでの酷使が将来に影響してしまったであろうことを、起用した高嶋監督自身も自覚しているわけです。

 今春の林投手の投球数は696球。高塚投手の712球とわずか16球しか違いません。林投手も将来を嘱望されるピッチャーです。高塚投手のような悲しい末路をたどってほしくはありません。第二の高塚投手を生まないためにも、投球数は制限されるべきだと思います。

 監督が甲子園出場のためにエースを酷使するよりも、エースの将来を優先させたことで、プロ入り後に目覚ましい活躍を見せている佐々木投手。
 監督が甲子園の頂点に立つためにエースを酷使してしまったため、活躍することがないままプロの世界を去ることとなってしまった高塚投手。
 どちらが恵まれた野球人生なのでしょうか?言うまでもありませんよね?

なによりも、選手の未来を大切にしてほしい!

 と、素人ジョシは思うのでした!

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