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清水さんのみている世界で、陶芸はどういう意義をもって存在しているのか

若者から飛んできた質問です。難しいね。正直そんなたいそうなことは考えてやっていない。笑

あえていうなら色々複合的だから書いてみるにします。

無宗教というのが普通になってきているが、人間は今まで宗教と美術と共に歩んできている。それが生きる道を照らしてくれていた。科学が進み、病気の原因がわかり、ものごとが合理的になり、便利になり、コントロールしてきている。かのように錯覚してしまっている。しかし、震災や津波、豪雨、温暖化、伝染病、結局は自然を支配できていない。昔はそれを神と言ったのかもしれない。

日本のものづくりは素材から始まり、素材を優先する、やきものの産地ももそれぞれの土の特徴をいかしたものになっている。そして、窯で焼く。どんだけ繊細なものや手間がかかったものでもやきものは窯で焼く。一度手を離れ窯に委ねるわけだ。うまくいかないことも多々ある。けれども、土に合わせて窯も焼くし、土に合わせて形もかわる。器は何をいれるのかということを優先する。それは自分がどうしたいかという考えの前に、相手はどうなのかという発想から始まり、根本的なアプローチが違う。その相手を優先するという考え方はこれから、いえ正に今必要な考え方だと思う。

ものづくりというクリエイティブな作業には、自分を癒す力があり、アウトプットの手段にもなる。さらに、控えめに言って人にも喜んでもらえる時もある。

ものづくりの小中高一貫校があってもおかしくはない。大きくいえば宗教と美術にかわる人が生きていく上で必要不可欠な要素がそこにある。対象を観察し、特徴を掴み、行動して、失敗して、工夫する。さらにそれでもてなすわけだから。そこに人の美しさがある。

科学が進歩したり、AIが進んだり、便利になったりすればするほど、日本のやきものは求められるようになると信じている。私達は文化の最先端を担っているわけだ。

なんてね。笑

でも、こんなことをペラペラ話す人より、黙ってついてこいというような人のところで修行をする方が身になると思います。

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