レジャープールとニュータウン

お盆休みに群馬のレジャープールに行って以来、レジャープールが気になっている。ハワイアンズとかサマーランドみたいなやつじゃなくて、もっとこじんまりとしたやつだ。公営だとすごくいい。

こんな感じ。

名前をつけないと面倒なので、2軍レジャープールと呼ぶことにしよう。1軍はさっきのハワイアンズとかサマーランドとかユネッサンとか。としまえんは1軍の下位ということにしよう。

2軍レジャープールたちの何がいいかというと、一言でいうと安心できるということなのではないかと思った。しっかり入り口には自販機があって、雑然とした大きなロッカールームがあって、流れるプールと、スライダーと、幼児プール。ロッカーの100円が返ってくるか来ないか、ぐらいの違いはあるけれど、概ね行く前から何がどんな風にあるのかが、ある程度想像できる。

1軍レジャープールになると、そうはいかない。清潔なロッカールームに、充実した売店メニュー。趣向を凝らしたプールやスライダーには、数々の驚きと感動が待っている。僕はその、驚きと感動というものが、昔から少々ニガテだ。

東京に出てきて16年あまり。東京ディズニーランドも好きになってきたし、行列に並ぶことへの面倒さも薄くなり、驚きと感動を受け入れるだけの器が少しずつできてきたようにも感じるけれど、やはり胸がドキドキするような驚きは少し怖い。

どうしてそんな風になったか、ということについては汗っかきだったりビビりだったり痛いのが嫌いだったりする僕の身体的特徴も大いに関係しているとは思うけれど、環境要因をあえてあげるとすれば、僕の育ったニュータウンにもその一因があるのではないかと思う。

計画的に整備されたニュータウンの安心感はすごい。歩車分離がなされていて、商業施設は効率よくまとまっており、少ない空間の中に確保された確実なプライベートスペースも、実はただの田舎と比べて広い。安心に慣れきった環境で育っていくと、本来ポジティブな出会いを与えてくれるはずの驚きや感動も、ショックの大きさの方を強く受け止めてしまって、苦手に感じてしまうのではないだろうか。

反対にいい部分もあって、誤解を恐れずにいうと、ニュータウン育ちの人は、安心を担保しようとする特性が強い。「無自覚的な帰属意識」とでも呼べばよいだろうか。僕の友達にもたくさんいるのだけれど、なんとなく低温で、なんとなく優しくて、プレッシャーにはとことん弱くて、ちょっとした不満はあっても、自分が所属する組織には従順で、仕事も頑張る。だからはたから見ると真面目で帰属意識のある人に見えるし、上司からのウケもまずまずなのだけれど、本人たちには全然そんなつもりがない。

僕はそんな人たちがたまらなく好きで、それは自己愛の投影なのかもしれないけれど、なんとなく結局世の中回していくのはそういう2軍的な人々なんだよ、という謎の自尊心も抱えている。

2軍レジャープールだってそうだ。湘南の海や1軍レジャープールの混雑に辟易している父母たちの受け皿として、今日も広告費なんて1円も使わずに、たくさんのまったりとした笑顔と、入場料の500円をちょっぴり上回るだけの満足感を生み出しているのだ。

時にボランタリー精神にもすり替わってしまう、ちょっとした付加価値。感動と呼べるほどではない、満足感。凡人の人生には何よりも大切なことで、それに多少なりとも自覚的であるだけで、幸福度はずいぶん変わるのではないかなあ、と思った夏休みでした。

そういう小説が書けるように頑張ろう。

寒くなったら今度は桐生市のカリビアンビーチに行こうと思います。



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