26歳女子、胃潰瘍になる

 2019年3月24日、吉田修一さんの小説「怒り」を読み終わった。

 もともと新聞小説として連載されていたもので、職場の同僚が強く影響を受けたということで図書館で借りてきた。映画化もされているので有名だが、殺人犯の疑いをかけられる3人の男とその周辺の人々の群像劇で、「人は人を信じられるか」という重厚なテーマの作品となっている。その重みは、読み終わって1時間、私の胃や内臓に消化しきれない感覚として残っているのだった。

 ー胃が重い。胃もたれする。きりきりする。日常生活に支障はないが、胃痛は慢性的に続き、仕事がハードになると悪化する。社会人になって半年ぐらいから表れるようになった症状だ。入社からはや4年が経とうとしている。先月胃カメラ検査を受けた結果を3週間遅れで聞くため、数日前に内科に行った。

 てきぱきした女医は「ああ、胃潰瘍あったんだね」と私の胃の写真を眺めて言った。どうやら3つのひだが集まった中心の奥部分に潰瘍があるそうで、といっても写真からはその痛んだ胃の壁の様子まではいまいち伝わってこない。写真にいくつかのアングルから写っている、グロテスクなピンクや赤っぽい臓器が自分の内側にあって、もちろん当たり前なんだけど、ぺらっと一枚もらったその写真をすぐにしまい込みたかった。

 待合室で写真を折れないように文庫本の間、読みかけの吉田修一の「怒り」(上巻)に挟もうとして「いやいや、しおり代わりはダメだから。読んでる最中に落としたら恥ずかしいから」と思い直して適当に布バッグの底に押し込んだ。

 横着な自分が重い腰を上げて病院に行ったのは、主に母親からのしつこい、半ば怒りに近い勧めからだった。今は元気だが昔病気をしている彼女からは、スマホを放り出したくなるようなメッセージがしょっちゅう送られてくる。心配はありがたいが、うんざりしてしまう。特に、仕事が立て込んでくると正直、自分の体調なんてどうでもいい。目の前の仕事に打ち込まないと終わらないし、良い仕事ができない。良い仕事をするために生きているの、私。どうでもいいことで足を引っ張らないでよ、一人にして。

 仕事に少し慣れてくると、闘わなければならないものが増える。社外のライバル、仕事先との駆け引き、社内のおじさん、理不尽な要求、なによりも自分自身と。理想を掲げ、破れ、地べたを這いずり回る。それでもゾンビのようになんとか復活してきた。

 社会人5年目の同世代がどんなワークライフを送っているのか、限られた例しか知らないけれど、みんな似たような感じだと思う。「10円ハゲと胃潰瘍を併発している26歳」もけっこうたくさんいると思う。外側からはわからないだけで。

 離れて暮らす私の元を母親が訪れれば、食事をご馳走する。先日その席で、彼女は私の書いたあるエッセーを読んだ感想を言った。「タイトルは読者ひとりひとりの人生に必ず一つはありそうなシーンを取ったね。このタイトルを付けたのは相当自分でハードルを上げたと思うけど、内容は負けていない。場面が目に浮かんだ。あんたの書いてきた記事のなかでベスト5に入ると思う」。こうも言った。「読者は客観的な記事を求めている。思いが強すぎる記事は自分に酔っている感じがして、読んでて気持ち悪い」。

 書いたものの深く大事なところを汲んでくれたことがうれしかった。それより、ただ手放しで子どもをほめるのではなくて痛いところを突いてきた彼女に驚いた。私たち母娘は、これまでそんな話をしてきただろうか?

 いつも母親から遠く離れたいと無意識で望んでいる。彼女はどちらかというと過干渉で、私たちはこれまでに何度もお互いを傷つけ合ってきたから。取り返しの付かないのではと思うやりとりが何度かあった。それでも私は少し成長して、彼女も社会人の娘と適切な距離を取ってくれるようになったようだ。心配は依然としてやや過剰に思えるけど。

 きょう、お世話になっている仕事先の女性が「あんたはお父さんとお母さんに感謝した方がいいよ、こんなにいい子に育ててくれたんだもの」と言ってくれた。全然いい子じゃないけど、ありがたい。

 胃潰瘍は特に悪性のものでもないので、処方された薬を飲み続けて地道に直すしかないらしい。診断後、食後にきりきりと痛む箇所に名前が付けられたことでより症状を感じやすくなったような気もするが。それはそれで、「無理すんなよ」と私の身体が話しかけてくれているサインになるかもしれない。

 「怒り」を勧めてくれた同僚、胃カメラを強く勧めた母親、転職を勧める先輩、もう一人の母親みたいな仕事先、遠く離れた大切な人ー支えてくれる人に信頼の心で報いるほかないよ、私は。(おわり)

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しいさ

地方在住の27歳女子。日常や生きるつらみ、恋愛、仕事のことを記録します。
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