告白に失敗した日の朝に文章を書けること
文字にすること。気持ちを言葉にして伝えること。
この大切さを昨日ほど実感した一日はなかった。
昨日、およそ1年間片思いしてきた相手に思いを伝えることができた。
悩みに悩んだ。自分が抱いているのが果たして恋愛感情なのか、尊敬の気持ちなのか、感謝なのか…毎日欠かすことなく、その人のことを考えてきた。
モザイクのような気持ちを、少しずつ整理してノートに書き起こした。時にフローチャートを作り、イラストを添える。気持ちをそのまま流せるように、noteやtwitterもはじめた。
友人や知人の力をたくさん借りた。大学や高校の友人、職場の先輩、飲み屋のお姉さん…一人一人が私のことを考えた言葉を、その人たちの言葉で語ってくれた。
告白する2日前には、2人の学生時代の友達と電話で話した。1日前には、私の住む町を訪れた友達に「あす告白する」と伝えた。
「自分が納得するためだけに言っても、一方通行になっちゃうんじゃない?」
「愛するということは、能動的なことだよ」
「精神的なパートナーになりたい、ということなんだね」。
彼ら彼女らの言葉ひとつひとつが胸に収まった。前日の夜、私は紙質の良いノートに自分の思いを書き始めた。場所はその人との思い出のあるバーだ。
2枚に書いたなかから言葉を抽出して、また1枚に書き直し、当日の朝、早起きして清書にした。カバンにノートごと入れて家を出た。
久しぶりに再会できたその人のことがやっぱり好きだった。この町らしさを吸い込んで、どんどん元気になっていく様子がうれしかった。
いざというときに、逃げてしまったら意味がない。歩きながら、唐突に、用意してきた言葉を話し始めた。カバンから出したノートを見て、途中から前だけ見て話した。
どこかで仕入れたのではない、自分だけの言葉を話していた。詰まるかとも思ったが、やけに冷静だった。
どこか自分の声が遠くから聞こえてくるようだった。何十万年の時を経た未来か過去の先から。新しい世界の外側から、ナレーションが降ってくるような。
結局、伝えられたのは用意した言葉の7割ぐらいだったと思う。顔もまともに見られず、少し逃げてしまった。「好きです」とは言えず、「一番大切なんです」としか言えなかった。
返事は「会ったときだけ、大事なことを話す人でいてほしい」というものだった。私の望みはかなわなかった。
頭の中だけだった思いが文字になり、そしてそれが現実の私の身体から外の世界に出たとき、もっとほんとうになった。
激しさが、胸がぎゅっとなる思いが、温かな感情が、その人の不在時に私の頭の中ではより色づいていたのに。一方通行とは、こういうことだったのだと実感する。
実際に言葉で伝えたときには、感情は奥にひっこんでいた。「わかりました」と言って、なにごともなかったかのように、ちょっと疲れて、家に帰った。
帰り道は雲一つ無い空がちょっと白く、西日が強くなって、双眼鏡でのぞいているみたいな潤みで、ガソリンスタンドのオレンジ色が鮮やかなコントラストだった。
覚悟した喪失感は、押し寄せなかった。特に失うものもなかったから。LINEで友人たちに結果を報告した。
「よくやったね。ゆっくり休んでね」
「あなたの思いと形は少し違ったかもしれないけど、その人にとってもあなたは大事な人ということなんじゃないかなあ」
初めて涙がこぼれた。けさも空には雲一つなくて、北国の人間にはとても温かい空気のなか、列車が進んでいる。
その人から、私が自分の言葉で話すことを教えてもらった。文字や言葉は私の味方だ。私の言葉は形になったとき、私をぜったいに裏切らない。
そのことは今、目の前に大きな希望になって手元にあるような気がして、旅に出るような気分で文章を書いている。
(おわり)
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