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地域包括ケア、ナラティブアプローチには、「対等な姿勢」と「切り札」。。

今日は!士載です!

ツイッターで、フォローさせて頂いている、
お医者さんと社会福祉士さんの考えに
インスパイアされて、この記事を書いています。。

そのお医者さんのブログ、社会福祉士さんのツィートを
引用させて頂くコトから始めさせて下さい。。

お医者さんのブログは以下です↓
https://drdm.kotonoha-group.co.jp/entry/2019/08/11/230344

社会福祉士さんのツィートは以下です↓

> ナラティブアプローチ、というものがありますね。
> 専門性を捨て、相手を問題視しない。支援をしない支援。
> ソーシャルワークには様々なアプローチがあり、
> 万能なものはないと私は思っています。
> 相手と自分の状態で柔軟に変化させることが大切だと。
> ナラティブアプローチにおいては
> 専門性をあえて持たない、という考えです。
> しかし、この専門性を持たない、というのは
> 専門職とは何かを理解したうえで、あえてそれを使用しない、
> ということだと私は思っています。
> それは専門職だからこそできる、専門性をもたない、という専門性。
> 相手の語りから問題を見つけ、解きほぐす
> 対等な立場で、ユニークアウトカムを見つける。
> 困っている方にとっては安心できるアプローチだと思います。

これらの記事を総合して考えると、
今までの既存の施設、全て、「敷居の低いモノ」に
して行けばイイ、というコトです。。

「クリニック」、「地域包括支援センター」、
「(障害者の)地域活動支援センターの相談支援部」etc.
を敷居の低い、風通しの良い相談機関にして行けば、
殊更、新たに新しい「居場所」なんて要らない。。

上記の施設が、カフェスペースを備えた、
「居場所化」をして行けばイイ(例えばね)。。

それをして行けば、自然と、
経済学部出身の医師の森田先生の言うように、
基幹病院以外の病院は淘汰されて行くのかも
知れません。。

そして、医師及びコメディカルスタッフは、
対等な同じ目線で、クライエントさんの話を聴きつつ、
何時でも「切り札」を出せるように、
研鑽を積む必要があります。。

「『友達』という支援と言えない支援」という
言葉に、ずっと違和感を感じてきた理由が
分かりました。。

社会福祉学部を卒業していながら、
ソーシャルワーカー資格を、「面倒クサい」から
取得しない、卒業後も研鑽を積まない、、
相談に応じるとき、
「僕は、そこんとこ、良く分からないケド、
話してみて。。」という枕詞から始める。。

やはり、何か、おかしいです。。

「専門的知識」、「専門的技術」は、
「切り札」として、懐に納めておく、、
敷居を思いっきり低くしておいて、
対等な姿勢で相談に応じる、、
必要とあれば、「切り札」を出して活かす。。

それが、本当じゃないかなぁ、と想います。。

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