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絶望的に人前で話すのが苦手だったけど

こんばんは。しそゆかりです。

好きじゃないんです、人前で話すのって。1対数人でも1対多数でも、どっちでもいいけど、どっちも駄目。
苦手だから好きじゃないのか、好きじゃないから苦手なのか。卵が先かニワトリが先か。もはやどちらでも。とにかく人前で話すのなんて無理だ。絶望的だ。

これまでの人生、頼まれそうな気配になってきたら手を尽くしてどうにかこうにか回避してきた。これだけ苦手意識が先に来ているということは、「好きじゃない」というのはたぶん言い訳だろう。

そんなわたしも年貢の納め時と言うか、アラフォー等とかいう特にありがたくないジャンルに足を踏み入れてから、会合の司会だのに駆り出されることになった。1対多数の方。

先日、参加者が200人弱いる会合の司会を仰せつかったのだが、結論としては、場数を踏んで小さな成功体験を重ねていけばそれなりにできる、というあっけらかんとしたものだった。

苦手の理由を、わたしはずっと自分自身の中に求めてきた。
ウン十年間ずっと苦手意識に苛まれ、ちょっとした人前に立つだけで汗が吹き出し、声が震え、何もかもがうまくいかないという最悪な思い出を焼き増すことを続けてきた。
それが今になってラクになったのは、スキルが劇的に上がったからでもポジティブ思考になったからでもなんでもなく、理由を自分自身の中に求めなくなったからだと思う。

四苦八苦していた頃は、どうにかして自分を変えようとした。ポジティブ思考に変わるとか、マインドセットがどうこうとか。こういった類のものは長期的に見た時にもしかしたら多少は影響はあったかもしれないけど、基本的に(わたしには)効果が無かった。

『スタンフォードのストレスを力に変える教室』を読んで、緊張して手が震えたり鼓動が早まるのは身体反応で、身体力を発揮しようとしているからだと自分に言い聞かせたりもした。この考え方はポジティブ思考云々よりは多少は効果を感じたものの、苦手意識はおさまらなかった。
▼「ストレスと友達になる方法」(日本語字幕あり)

苦手意識がほぐれてきたのは、転職した会社の中でいろいろあって、(※割愛)他人にあきらめがついてから。半ば投げやりに、他人のことなんてどうでもいいと思うようになってから、気づいたら自分の思考にばかりとらわれなくなっていた。

急に周りが見えるようになったというと良く言い過ぎだけど、「他人も同じように緊張している」「他人が緊張しているのを傍から見ても、別に気にならない」と気づけるようになった。
自分だけが極端にメンタルが弱いわけでも緊張しいでもない、だから別に大丈夫。それに他人はそこまでちゃんと他人(=わたし)を見ていない、だから別に大丈夫。

こうやっていつの間にか、特別うまくやれているわけでもないけど、それなりに対応できるようになってきた。と思う。
適切な範囲で他人のせいにするし、適切な範囲で他人のことなんてどうだっていいと考える。適切な範囲で自分が良ければいいと考える。文字にすると傍若無人なロクデナシだけど、なんでも原因を自分に求めがちで苦しいならこう考える方が自分原因説とかポジティブ思考とか綺麗ごとを言うよりよっぽど建設的だと思う。

ただしテキストにすると、自分で読んでいてもこのロジックは傍若無人でロクデナシにしか見えないのがどうにも。時間がかかってもいいから、この過程をちゃんと整理していきたい。というところで〆

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