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〜presented by 金髪オンナ〜 シリーズ「カオスからだるま転がるその先へ。」ハードな飲み会編

2019,3,25 ユカリ
(現在、髪の毛は青紫なので青紫オンナです)

さて、勝手に開催中、
だるまのリサーチぶちまけコーナーでございます。

これまで....
1 プロローグ
2 達磨大師超人説

前回は、達磨大師の超人的な話と
達磨大師ファッションチェックをしました。

今回は、この達磨大師がどう流れ流れて
「だるま」になったのか。
という話を、またもやキャッチーに
展開していきたいと思います。

それではスタートっ!!!!

中国のハードな飲み会

今から一千年以上前のこと。
酒胡子(シュコシ)という独楽のように
下の方が尖っている遊び道具のようなものが
あったそうです。

(画像やらを調べても見つけられません
どなたか酒胡子の画像持っていたら見せてください)

中国の飲み会では酒胡子を回し、
倒れた酒胡子の前に座っている人が
お酒を飲み干す、という
ハードな飲み会の道具だったようです。

(今の時代だったらパワハラです)
(絶対、アウトです)

これがどんどん変形していき
酒胡子の下方部分に重りをつけ
倒れないようになっていった、と。

そして、明(1368〜1644年)の頃
この酒胡子に老人の顔を描き
不倒翁(フトウオウ)と呼ばれるようになりました。
これが「起き上がり」の始まりです。

この頃日本は室町時代。
対明貿易で不倒翁も日本に入ってきます。
遂に、日本上陸っ!!!!

日本で不倒翁は独自の変化を遂げていきます!

倒れない老人がいつしか倒れない小法師(お坊さん)になり
日本全国に起き上がり小法師が広まっていくのです。

起き上がり小法師が有名なのは会津ですね。

(ありがとう、google先生)

デコ屋敷本家大黒屋でも
可愛い起き上がり小法師たちがいます。

この顔が堪らなくスキ...
この達観した顔...

ここまでくると、なんとなくイメージがつくかしら...?
しかし、だるまになるは室町よりもっと先、
江戸時代なのです。

起き上がり小法師転身街道

さて、京都から全国へ起き上がり小法師が
おもちゃとして認知され拡散されていきます。

だるまがだるまとして認知され始めるのは
江戸時代の元禄(1688年〜1707年)頃。
起き上がり小法師の顔が
江戸でだるまになっていたそうです。

(急な展開っw)

(なんで作り始めたとかは今のところ調べても
未知!という情報しか出てきません)

赤いもの(赤物)が疱瘡除けにいい...
子供のお守りとして赤物を置く...
達磨大師が禅画として広まっていた...
説は大量にあります。
きっとその全ての説が掛け合わされ、
だるまが生まれたのかもしれません。

(この説、大量にありすぎて
この企画の題名でカオスと入れたのも
この説の一つなのですが、
これも長くなるので別途記事書く予定です)

明から京都を経て江戸でだるまになるまで
約300年間、起き上がり小法師は旅をし
日本を転がっているうちにだるまに転身です。

(上記写真 「新装版 開運 だるま 大百科」(H28) 著 中村浩訳、発行 株式会社 日貿出版社 より)

しかも、面白いことに
だるまは東日本で広まっていきます。
西日本は起き上がり小法師のまま広がっていくのです。

東日本では農業や養蚕が中心の生活。
一年の豊作や蚕の育ちが良くなるよう
だるまに縁起を担いでいたのです。
養蚕は、蚕が寝て起きて脱皮をして成長する、
これをだるまの七転八倒、
倒れてもしっかり起き上がる!と
かけていたのですね。
お正月にみんなでだるまを買いに行き
一年のハッピーをだるまから!!!

のちに京都へだるまが入っていくのですが
西は商業中心。
養蚕地が少なくだるまが普及しなかった
と、いわれております。
神社仏閣へ納められ、開運、商売繁盛...等、
を祈る人たちに季節を問わず買い求められたそうです。

なので、東のだるまと西のだるまでは
顔や、だるまのフォルム、かなり異なります。


だるまは日本で派生し
みんなの生活のそばにいるのが当たり前
それくらいだるまの存在は密接だったようです。


明治時代になると
疱瘡の流行もおさまり、
だるまに縁起を担ぐことも減っていき
おもちゃとしての存在や、
祈願する存在になっていきました。

現代、
神棚の無い居住空間、
マンション暮らし、
様々な生活スタイルの変化によって
だるまを飾るおうちが減ってきています。

しかし、世界では
「Yeah!!!! Daruma-san!!!!」と
有名だそうです。
(ヒゲロンゲ談)

実は、だるまの中には
世界の歴史、日本の歴史、技術...
様々な要素が詰め込まれているのです。

と、かなり駆け足で
だるまがだるまになるまでストーリーを
ご紹介させていただきました。

次回は、仕立屋と職人が密着している
福島県郡山のデコ屋敷の高柴だるまについて
そして、だるまとどうやって暮らしていたか...
等々、そんなお話にしたいと思っております。


内容に関しては
地域や禅宗、歴史等の解釈が様々あります。
その中で、文献等から要約した内容や
伝説を書いておりますので予めご了承ください。


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