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川村卓也への感謝を添えて

※画像は2016-17シーズン、ビーコルにとってのBリーグ開幕節で撮影したものです。

大型連休が明けて、クラブから来季選手編成に関するリリースが出されました。

それは、これまでビーコルを戦力や人気の面で支えてきてくれた細谷、高島、アレクや、今シーズンの窮地を途中加入で救ってくれたアーサー、BCの契約非更改と、Bリーグでの3シーズン「ビーコルの大エース」として君臨した川村卓也の契約非更改と退団を伝えるものでした。

川村卓也が横浜に来てくれたこと
横浜が川村と3シーズンともに戦い抜いたこと

この事実からビーコルに関わる人たちが享受してきたものは数多くあり、その理解を彼が去ってさらに深めるのでしょう。
彼が横浜に齎してくれたものは何だったのか。感謝の思いと共に綴りたいと思います。
勝手ながら親しみを込めて敬称を略してます、お許しください。

■我らが水先案内人・川村卓也

Bリーグは、旧実業団リーグの流れを汲むNBLと、その流れへの反発もあって作られたbjリーグを統合して創設されました。
両者の間にはヒエラルキーがありました。高校、大学で名を馳せた実力者が進むのは専ら前者であり、日本代表選手もその殆どがNBLチームからでした(例外は当時浜松・東三河の太田と当時秋田の冨樫)。
出場機会を求めbjへ移籍する選手はいましたが、bjを見ていた人達の中で、NBLを同時に見ていた人は多くはないでしょう。逆もまた然り。
ビーコルに出会い、bjの中で生きてきた人達の様は、ある意味「内海」で暮らす民のようであったかもしれません。

Bリーグへの新たな航海を始めた当初、漠然と旧NBL勢への敷居の高さを感じていました。興行面で勝れど、競技面での差に伴う気後れが大きかった。そんな中、川村は他チームの多くの選手、スタッフとゲーム前に語らい、時には相手マスコットと戯れ合う姿までみせていました。現役代表選手が弄られる場面を何度見たことでしょう。折茂社長に正座をさせて公開説教できる現役選手は、おそらく彼だけでしょう(笑)。
また、競技の面においても技術、IQ、判断スピードなどB1トップの規格を知らしめてくれました。B1で戦うためのレベルのあり方について明確に認識できたのは彼のおかげですし、チームも大きな刺激を得たことでしょう。

キャリアを通じて多くの修羅場をくぐり抜け、また、多くの仲間を得てきた彼ならではの振る舞いは、いつしか私の中のNBL勢への垣根を消し去り、相手選手、チームへの関心にも繋がりました。Bリーグでの航海を進める当たって、彼のような水先案内人がいたことはチームにもブースターにも心強かったはずです。

■エンターテイナー・川村卓也

卓越したスキルは言わずもがな。彼のもう一つの魅力は、場を盛り上げる、触れ合う人達に幸福感を与える、そんなホスピタリティ意識の高さにありました。それは彼が、プロスポーツ選手に求められるものを理解し高いレベルで実践できる存在である証であり、リーグ黎明期にこうした選手が味方にいてくれたことの効果は計り知れないものがあったはずです。

私は、彼がアリーナで子どもと触れ合う姿が大好きでした。同じ目線の高さまでしゃがみ、語らい微笑みかける姿や、緩くパス交換してハイタッチして去っていく姿。そんな接し方を受けた子どもや家族は勿論ですが、それを見てる側でさえ幸せな気分になりました。
また、ブースターディフェンスを煽る姿や「ブースターのために」を公言する姿からは、我々に対する信頼の現れとして、会場の熱量を大いに引き上げてきました。

生まれて間もないBリーグ。旧リーグはどちらも明確な支持基盤を持ち得ず、社会に対して「新参者」として認知される必要がありました。それは、会場に行くことやゲームを見ることを通じて、幸福感が得られる存在であると認められることであり、ビーコルのゲームのみならず、オールスターやアウォーズなどBリーグにおいて広くそのキャラクターを発揮してくれたことが、今の日本バスケの盛り上がりにも欠かせなかったことでしょう。

■プレーヤー・川村卓也

極論ですが、仮に川村卓也という人物がシャイで無愛想でファンサービス皆無のプレーヤーであったとしても、そのズバ抜けた技量だけで十二分に見る側は「元を取れる」選手です。
高卒で日本のトップリーグに入って15年。18歳で日本代表に選出され、日本人ながらリーグ得点王を取り、リンク栃木ではウィスマンHC、田臥、山田謙治、竹田謙らと優勝も経験。彼の昔のプレーやインタビュー映像を見ることがありますが、何度見ても飽きません。
チームを決定的に救った秋田でのブザービーターは彼の経験値と勝負強さの結晶であるし、そんなキャリアの積み重ねが、ビーコルでの鬼気迫るプレーにも現れていました。
ことプレーに関して多くの言葉は要らないとさえ思います。この点で私が「川村卓也選手」に思う最大のことは

3年間大きな怪我なく、コンスタントにその実力を出し続けられて良かった。

このことに尽きます。

桜木ジェイアールをして「怪我をする前ならNBAで十分通用するプレーヤー」とまで言わしめさせた川村。そんな彼の横浜加入は素直に嬉しかった反面、彼を中心に添えることのリスクを感じたのも正直なところ。川村不在のオプションが成り立たないロスターであり、まずは無事にプレーし続けられたらと願う日々でもありました。

彼が横浜を選んでくれた理由の1つに、メディカル環境を挙げていたとの話を耳にしたことがあります。練習環境では迷惑をかけてしまったけれど、日々のコンディショニングなどで安心してプレーが出来ていたなら、そんな嬉しいことはありません。
日本代表からも離れ、コンスタントにプレーできていない印象のあった川村卓也が、改めて国内一流の実力者であることをビーコルの3年間を通じてアピールできたのではないでしょうか。

この先もまずは怪我なく、その実力を発揮し続けてほしいと願います。

■それぞれの航海は続く

川村卓也は今シーズンで海賊船を降ります。これまでの多くを彼に頼ってきたチームにとって、その損失は決して小さくはないでしょう。
彼と肩を並べるオフェンスマシーンはいないけれど、彼に匹敵する負けん気を見せてくれたり、仲間やブースターに対するホスピタリティ意識を表してくれる選手がビーコルには残っています。
川村卓也がチームでしてきたことの全てを代わりに行う必要はないでしょう。ただ、ビーコルに残る選手や新たに加入する選手、そして川村と時を同じく船を降り新たな道に進む選手たちにも望むことは、プロ選手としての毎日を自分たちのためは勿論のこと、日本のバスケを強くするため、バスケットボールの魅力を広く伝えるために過ごしてほしいということ。

元ビーコル戦士とのゲームは常に楽しみですが、ことさら川村との対戦は早く実現してほしい。その時はガンガン点を取り「お前らまだ全然足りねー」と言ってくれたら良いし、我々は全力でタクを封じに行く。

まだまだ川村卓也はバスケの世界で暴れてくれるはず。どうかこれまでと変わらず明るく楽しく、そして常に全力でプレーする姿でいてくれたら嬉しいです。

タク、横浜での3年間、幸せな時間をほんとうにありがとう。
タクと出会えて、ともに戦えて本当に良かった。
何処にいても、これからも我々は仲間です。

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