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人生を本気で生きていくという気持ちがないうちは、真理など知る必要がない。


前回の内容、自分軸の話から引き続き。


えーっと、わたしが言ってる内容の意味をもっと詳しく知りたい!と思わない限りは、こっちが何を言おうと馬の耳に念仏です、って話の続きです。


わたしがここでつらつらと書いてることは、一言で言えば、この世の真理のエッセンスです。
それは世間の常識を根底から覆すものなので、それに対して強い信用がある人はまず、何を言ってるのか全く意味不明だと思います。その信念がある限り、わたしの言ってることを理解しようという意欲に情熱が灯らないでしょう。それはつまり、今はそのタイミングではないということ。


もうひとつ、この世の真理を腑に落とすためには、最初に「こんな自分はもうまっぴらだぜ!!」という、強い衝動にも似た想いが必要。少なくとも現状に満足しているのなら、それはそれでオッケーなわけで、そのまま生きていってくだされば良いのです。


真理を知るということは、その深みを増すほどに、肚の据わった覚悟と決意が伴います。そこに至るまでには長い時間をかけてコツコツと地道に行うことだらけですし、今まで自分が目を背けてきていたものと直接対峙することになるので、怖れを乗り越える場面に遭遇することもある。だから、中途半端な気持ちではやがて頓挫してしまうのです。(そこから復活したのがわたしですが)



そして、流れに任せて無難に生きていければ人生それで満足、という人が、興味本位で首を突っ込むことではない。知らなくても十分生きていけるからです。
一方でそれを知ると、見える世界が180°変わります。関わる人も変わり、悩みは消え去るでしょう。(正確に言うと、悩みを悩みと捉えなくなる)例えば今のわたしは、以前の自分が何をあんなに悩んでいたのか、もはや思い出せなくなっています。


そんなわけでわたしが当初から思っているのは、このnoteは、誰でも見て来てウェルカム!というものにしたいとは考えていません。(ただしわたしを好いていてくれる人は除く)本気の人だけ読みに来てくれれば、それがたとえ一人だろうが、十分満足。だからフォロワーを増やすような行動には一切出ない。


それはブログでも書きましたが、人生に対する本気度がない人に、何を言ったところでこっちの徒労に終わるだけだし、各人好きに生きていってくれればいい。


ぶっちゃけ本音で言わせてもらえば、こっちは人生本気で生きてるので、今後はそういう人と繋がっていきたいと思うのです。あるいは、自分もそうなりたい!どうやったらそうなれるんだ?と思っている人と。そういう人をサポートしたいという想いは、今現在強くあります。

しかし、ここでのびのびと好きなことを書けることは、実に気分がいい。
アクセス、収益、人数、解析、分析、反応、評価、他人の目。
それらをいちいち気にして、本当の自分を小さく小綺麗にまとめてたことは、ホントいい経験になりましたね。


魂の進化には、必ず体験と気づきが伴う。
これこそが人生の歓びであり、わたしたちはそれを体感したくて、今ここに生きているのです。



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