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人生を賭けた壮大なるゲーム、これにて完結。

頭がおかしいとか変な宗教にでもハマってんじゃないかと思われてもいい。
宗教にも何の団体にも所属してないし、誰に理解してもらえなくても構わない。


本日、ついさっき、わたしはあるゲームを終えた。


昨日・一昨日と次々と明晰なる気づきがやってきていて、昨夜寝ている間にインスピレーションが降りてきて、その余韻を不思議に思って目が覚めた今日。それに従って外出し、帰ってきたらすべてが一つにまとまった。自分の中で、完全なる統合が起こった。


ここ数日、見える世界がまた一段と変わったなと思っていたけど、まだまだそんなもんじゃなかった。今日のそれにより、さらにステージが変わった。そしてそれは、きっと最終ステージだったのだ。


ゲームで言えば、ラスボスとの対峙。
それを終えた感で、今はもう感無量でしかない。
これが、わたしが長い間追い求め、疑念を抱きながらも向かってきた理想のシーンそのものだった。


本当にそんなことがあるのか?
目に見えているこの現実は、本当にそうなのか?
そんな気持ちになることがあり得るのか?


何度もこの疑念にぶつかり、そのたびに後退し、錯綜し、また戻ってきては挑戦の繰り返しだった。トライ&エラーを、数え切れないほど繰り返した。そのたび理解し得ない自分に劣等感を抱き、現実の世界に囚われた。


落胆、失望、苦悩、怒り、嫉妬、敗北感、劣等感、悲哀。
恐怖、不足、欠乏、不満、僻み、不安、心配、不快、苦痛。


そのすべて。
わたしはもう、その全部を十分に味わい尽くしてきた。


これらが自分ではないと完全に理解し、その各々を平等に認め、受容し、その上でそのすべてを体験させてくれたものと、創造してくれたものに心から感謝することができたその時、両者がバチっと一つに合体した。その感覚は、言葉では言い表せない。


その感覚のすぐ後でやってきたのは、喪失感のようなものだった。それが適切な表現なのかはわからない。
これが最後の抵抗だったのか、存在表明だったのかもわからない。
だけど、確かにそれを感じた。そして、間も無くそれは消失した。


これがゲーム終了の証明なのかはわからない。
なぜなら、誰もこれに関する明確な定義を持っていないし、それを記したガイダンスもないからだ。


仮にわたしの中だけの話なのだとしても構わない。
わたしはこれに確信を得たのだから、わたしがそう思えばそれはそうなのだ。


長いゲームだった。
40年もかけてやってきた、壮大なるゲームだった。
ゲーム解読の手掛かりを得てから、今日まで8年ほどかかった。
ある意味、至上最高のショーだった。
どんな映画もオペラもミュージカルも全く敵わない、唯一無二のエンターテイメントだった。


本日これにて、ゲームクリア。
今日は自分に拍手喝采したいくらいの、記念すべき日だ。
すべての経験にブラボーだ。


ここ数日わたしの目に留まっていたもの、心惹かれたもの、それらすべては単なる偶然じゃなかった。


だけど、わたしの旅はこれで終わったわけじゃない。
探求の道はこれからも続くし、どこまで自分がバージョンアップしていくのか、それを見届ける旅だ。そのことを考えると、ひたすらワクワクする。


最終ステージは興奮を得られるような類のものではなく、静かにじんわりと込み上げてくるような、どこまでも穏やかなものだった。だけどこの上ない感謝に包まれた、クリアーで静謐なるものだった。それを上手く言葉にできないことを、今は唯一残念に思う。


次なるわたしの道のひとつは、このことを誰かに伝えることなのかもしれない。
それをわずかでもいいから信じてくれる、誰かに。


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