感情に支配されるな


余談
今日からこの毎日noteの書き方を変えてみる。理由はもっと発信力をつけたいからだ。今のままではあまりにも日記すぎて事実報告の要素が強すぎる。伝えやすい構成等意識しながら書いていきたい。

そして余談2。昨日の分を書き忘れたもう二度とこのようなことはしません、継続は力なり!ただこの2日間セットで考えたことがあるためそれを共有する。


 結果的にこの2日間で私は自身の未熟さを痛感することになった。今からその出来事を中心に考えたことをまとめていきたい。
 まず何において未熟だと感じたかと言うと、
「感情的になってしまうこと」
においてだ。
 私は悪口が嫌いだ。私の身近な人はこれに対する反論があるかもしれない。普段から別に言ってるじゃんとか、悪口言うと笑ってるじゃんとか。実は私もはっきりとどこまでを嫌いなのかわかっていない、これがダメ。
不快に感じる瞬間は、
・さすがにやりすぎ・言い過ぎと思った時
・話題がそれしか出ない時
・特定の人のことしか言わず、ある人には優しいなと感じる時
ざっとこの当たり。
曖昧。だけど私の中にきっと確かな基準があって、それを超えると腹立ってきて感情的になりそれを止めようとする。傍から見れば何こいつとなって当然だと思う。でもその瞬間の私は止めることが正義だと勘違いし、悪口を許容できなくなり不服そうな態度が出てしまう。結果浮いた存在になり何をしていいかわからずその場を楽しくなかったと思ってしまう。

まさに昨日それだった。

そして今日昼寝をした時に夢を見た。友人6人くらいで一緒にいる時、いじられ過ぎて我慢出来なくなりキレる夢。1人に対して普段から思っていることをぶちまけてしゅんとさせて、それを見てるもう1人に「前提ごめん。確かに俺らもやりすぎたんだけど、なんかすごい人たちってこうなるのかな」って言われた。みんな私に気を遣って変な空気になった。

 夢から覚めた私は胸が苦しかった。そして風呂に入って考えて思ったのは、やはり感情的になるのは違う、そして悪口を言うのも違うということだ。

 感情的になっては何も解決しない。その場のいじりに対してたしかにムカつくこともあるし、これはプライドを死守するためにも、誤解を解くためにも言い返さないとと思う瞬間は何回もあるし実際私は爆発はしないまでも少し感情的になりながら言い返してきた。
 これすらも醜いしなりたい人ではない。自分の非を認めて落ち着いて反論しよう、それでもし誤解されるのであれば仕方ないと思う余裕を持とう。

 悪口も、絶対に自分に返ってくる。多様性を認めたいし色んな選択を取りたい私にとっては1つ否定するとその可能性が消されて後々自分が苦しむことになるとわかった。一方で有言実行になるパターンもあると思う。これはしない、ダメと素直な気持ちで言うことで後戻り出来なくして正解を選ぶという方法。一般的エリートのルートを本心から良いと思えるのであればこのパターンもいいんじゃないかなと思う。でも私は違う、色んな選択肢を取りたい。


明日からの私のテーマは余裕、変なプライドを捨てる、俯瞰等になるだろう。最近部活を引退して自由の身になった私は遠慮を忘れて心の底から楽しむことだけを考えていた。そうするとそれを邪魔するものが悪になって、結果闘うことになってしまっていた。遠慮は人間関係において大切。それを苦と思わないために、余裕を身につける。

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