SPテーマ「自分が変わるきっかけになった出来事」

 とにかく面白い、と評価された。でも、これは載せていいか迷う。。。恥ずかしいです。深夜テンションのオタク、こわいっす笑
でも、ちゃんと大学の先生で現役のライターさまから「楽しいです」って言ってもらえたので、、、うん、読んでくれたまえ笑笑

改題『昭和の陰キャオタクが、令和でリア充オタクに変貌を遂げたのは』

 思えば、大好きなものを大好きと言えずに、隠し続けてきた人生だった。令和の今は「推しの子」という漫画が大ヒットしてしまうくらい、「推し、燃ゆ」が芥川賞を受賞してしまうくらい、市民権を得たであろう「推し」のいる「オタク」。自分がそれだと自覚をしたのは、アイドル全盛期と言われる80年代だった。当時はまだ「オタク」という言葉もなく、同等の言葉は「マニア」や「ファン」だっただろう。ただ、それを誰彼かまわずに伝えてはいけないような、隠すもの、という暗黙のルールがあった。それを知ったのは、生まれて初めての「推し」について友人に話した時だった。  40年以上も前の小学校の休み時間。前日テレビで見た歌番組の話になり、ヒラヒラとしたドレスで可愛らしい歌を歌う人生初の推しについて話すと「女のアイドルなんか好きなの?」と言われた。……きっと一生忘れられない。「なんか」には、哀れみなのか蔑みなのか、とにかく否定されたと感じた。そう、自分だけでなく推しも同じように否定されてしまった。自分が気安く、衣装がかわいい、と話してしまったばかりに。ただ、彼女の歌が好きになった、と、それを伝えたかっただけなのに。同性のアイドルを好きだと言っただけなのに。それからは、好きなものを誰かに共有するのを止めた。怖かったのだ。共感どころか、自分の思いも、自分の推しも否定されてしまうことが、どうしようもなく怖かったのだ。  大人になってからも、アイドルはもちろん、鉄道や芝居、映画や文房具、そして小説や漫画、いろんなものを好きになっては追いかけた。でもよほど信用できる相手でないかぎり、オタクであることを隠してきた。好きなものを好きなように楽しむ、それだけで充分だと思っていたし楽しかったからだ。大勢でつるんでいる連中と自分は違う、と思って敬遠していたくらいだ。そんな深すぎるトラウマをこじ開けたのは、なにかと話題になる水色がイメージカラーの、鳥のマークのアプリである。最近マークが変わってしまい寂しい限りだが、今後もあのマークを思い出すだろう。なぜなら、誰にも知られないように生きてきたオタクが、真逆の人生を掴んだきっかけなのだから。
 初めは同じ推しのいる「同担」の中でも、優しそうな人を何人かフォローして始めた「俳優さん応援」のアカウント。そこに届いた1通のダイレクトメッセージには「よろしければ、イベント会場でご挨拶させてください」という文言が書かれていて、ありえないくらいに緊張した。休日の朝から滅多にしないメイクをし、美容院にも行った。この日のために購入した新しい服も着ていた。推しの誕生日を祝うイベントだったからだ。それに加えて「同担さんに挨拶する」という難易度の高い緊急案件が飛び込んできてしまった。なにせ、いろんなものを好きになってはハマり、いろんなオタクとして生きてきた。それでも、昔の教訓を生かして、いつも1人で楽しんできた。現場で誰かとつるむことはない。地方へ行っても、目的地の会場以外に観光することもない、そんなオタク人生を送ってきたのだ。丁寧で、「よろしければ」と前置きする姿勢、きっとちゃんとしているんだろう。自分が会ってもいいものか、と、一瞬でいろんなことを考えた。でも、返事を待たせて失礼があってはいけない、そう思い直して了承の返答をした。文言にも失礼がないかを、何度も確認して送った。すぐに読まれて返信を書いてくれている、この「・・・」という表示を初めて見たのだ。可愛らしい絵のような三点リーダは、相手が入力中なのだと初めて知った。……やはりやめておきます、という返信文だったらどうしよう、と不安に思った。否定された日、隠し続けた日々、そして訪れた「今までと違うオタクとしての出来事」に、パニック状態だった。会場の最寄り駅にあるお手洗いで、震える手を念入りに洗った。そしてスマホを取り出し、鳥のマークをタップすると「お会いできるのが嬉しいです!もう会場におりますので、着いたらご連絡ください」と書かれていてさらにパニックになった。駅からは数分だが、同担さんを、私なんかと話しても良いという寛大な方を、すでに待たせているという事実。とにかく会場まで小走りで向かった。少し日差しが強い日だった。初夏のような陽気に身体中の毛穴から汗がふき出した。それでも階段を駆け上った。…あの日のこともきっと一生忘れない。緊張×緊張と鳥のマークのアプリは、私のオタク人生を一変させたのだから。
 「推し」は30代前半の、舞台出演を中心に活動している俳優さん。あのバースデーイベント以降、同担との輪が広がっていった。一人ずつ挨拶していったり、観劇する会場で、何人かと顔見知りになった。今では約束なんかしていなくても、終演後に集まって乾杯することも多くなった。とにかくお酒が美味しい。年齢差は30歳ほどもある高校生から、アラサー世代が多い同担たちとの推し不在の打ち上げ。同じところで感動していることに、心の底からこみ上げる充足感。そんな細かいところ、同担じゃないと見てないだろう、というような話題でも通じるのが嬉しい。推しの人生よりも長い年月、いつもいつも、大好きなものを大好きと言えなかった。その間ずっと知らなかった幸せを噛み締める。同担との会話は心を解放する。ビールと推しのグッズを並べて撮った写真は、鳥のマークのアプリに投稿済み。つまみを注文し終わると、話題は「推しのコメント」に戻る。言葉の選び方ひとつひとつ、その言葉の伝え方に今日も感動した。……と話すと、同意の言葉が溢れて、また感動する。ここでは、好きな思いを話してもいい。誰も好きなものを好きなことを否定しない優しい世界があった。
 とにかく息がしやすい。存分に深呼吸しなくても、体内に十分な酸素が充満して、心も身体も生き返るような感覚。普段の生活で感じるストレスも疲労もすべて吹き飛んでいく。そして、好きなものを共有できるという幸せな気持ち。好きなものを享受し嬉しい気持ちに加えて、共有することで加わるもの。それは満たされるという、初めて味わう感覚。現実には、何も変わらないはずなのに、身体にも心にも広がる「満足感」を手に入れた。そして、推しの演劇やイベントがない休日に、同担との予定が加わることになった。カラオケやバーベキュー、カードゲーム交流会に、果ては推しが出演している舞台のダンスシーンを一緒に練習する会。今まで体験したことのないものも、推しという共通項があれば何でもできるし何でも楽しい。好きなものを共有できない頃の自分には考えられない、新たな休日の過ごし方に正直戸惑うところもある。リアルで友人を作ることが苦手だったからだ。それは当然だろうと、今なら理由が分かる。本当に好きなものを共有することが出来ないのだ。本当の自分の心を見せていなかったのだから、友人としての関係を築くことなんか簡単なはずはないのだ。それが今は、素の自分でいられるだけで、推しがいてもいなくても休日を待ち遠しいと思えるようになった。
 もうすぐアラフィフの声をきくような年齢まで知ることのなかった、オタクを隠す必要のない世界は、この上なく自由に呼吸できた。そして苦手だと思っていた「友人と過ごす休日」という人生の宝を手に入れた。ありがとう令和。ありがとう、人生最後の推し。そしてありがとう、鳥のマークのアプリ。

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