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「デスストランディング」考察その1:DSはホラーかSFか

 いま生きている人間のひとりひとりの背後には、三十人の幽霊が立っている。それが生者の死者に対する割合である。時のあけぼの以来、およそ一千万の人間が地球上に足跡を印した。

アーサー・C・クラーク「2001年宇宙の旅」伊藤 訳

小島監督が自身のプロダクションを立ち上げる以前、コナミで「サイレントヒル」シリーズの新作を作る予定だった言われている。

この新作ゲームを広めるために、小島監督は「P.T.」つまりプレイング・ティザー(遊べるティザー広告)とよばれるゲームを作っていたんだ。

プレイヤーはある小さな家の中に閉じ込められて、その中で様々な謎解きを行いながら、何度も何度もその家の区画をループしていくことになる。この「P.T.」はその不思議な世界観から世界中の人を魅了して、DL出来なくなった現在でも幻のゲームとして語られ続けている。

どうやらこの開発予定だった「サイレントヒル」の新作には、ノーマン・リーダスが出演予定で、製作にはギレルモ・デル・トロ監督も参加予定だったといわれている。まさにこの「デス・ストランディング」の前身ともいえるプロジェクトだった。

「サイレントヒル」シリーズはコナミ・コナミデジタルエンタテイメントの人気ホラーゲームシリーズであった。ナンバリングタイトルの最後である4以降海外での制作へと変わり、ホームカミングは日本語未対応になるなど展開は下火となっていた。
予定されていた「サイレントヒルズ」はファンからも非常に期待されたタイトルだったが……。

僕も当時は実際にDLしてプレイしてみたこともあったんだが、ろくにクリアできないままゲーム用量の関係で削除してしまって、今では本当に後悔しているよ。

いろいろな権利が絡むゲーム開発のようなプロジェクトは、一筋縄にはいかないということだね。

じつはこのもともとのサイレントヒルというゲームシリーズも、さらに当初はスティーブン・キングの原作でゲームを作る予定だったらしい。具体的には何があったか分からないけれど、当時サイレントヒルのサウンドディレクターだった山岡晃氏がインタビューに応えているアーカイブが残っている。

「サイレントヒル」一作とS・キング原作フランク・ダラボン監督の映画「ミスト」はそれぞれ1999年発売、2007年公開。ある意味ではヴィジュアライズはサイレントヒルのほうが先だけど、両者が驚くほどにキングのイメージを汲み取って、あの「霧」のイメージを作り上げたことにも驚いたね。

この小島監督の「デス・ストランディング」も、もしかするとかなりキングに影響を受けているんじゃないか。はじめてティーザー映像が公開された時、そんなふうに思ったことを覚えているよ。

目に見えない脅威、ヒタヒタと探ってくる何者かの手のひらの跡。近未来的な服装をした登場人物と、その両者の間に感じられる、独特の空気感。

現代的なテクノロジーというモチーフと、どこまでも不条理な超常的存在。キングの得意としたモダン・ホラーのエッセンスがその中にあって、すごいホラーゲームが作られていると当時感じたことを思えている。

2017年のティザートレーラーより確認できる、ゲーム序盤のBT遭遇のシーン。
実際のゲームのシーンとは細かな面で異なるが、当時からも画面の奥からつたわる非常に緊迫した空気感を描いていた。

でもいざこのゲームが発売されて、このゲームの世界観を味わってみると、その印象はガラリと変わった。「デス・ストランディング」はSFなんだ。

確かにゲームをプレイしているとき、実際に恐怖を感じる時もあるし、序盤でイゴールがやられてしまう場面はものすごい緊張感があるシーンだ。でもゲームを通じてDSの世界に没入していくと、プレイヤー自身がBTを感じることができるし、それは決して理解不能な存在じゃない。

普通のホラーでは、そんなふうに化け物の存在を明確化させていない……という訳ではないだろう。実際にはその作品を理解していけば、化け物と思われた存在にも何らかの事情が存在するし、世界観の中でどのような存在化かを説明していることも珍しくないだろう。

でも、DSではさらにそうした化け物つまりBT(ビーチド・シング)の存在を、しっかりと観察してプレイヤー自身が理解しようとすることを妨げてはいない。彼らを掴みどころのない幽霊としてではなく、かみ砕いて理解可能なようなより踏み込んだリアルな存在として描いているんだ。

シナリオ上どうしても対峙しなければならない場所は存在するが、それだって決して逃げ場や対処がないわけじゃない。多くの場所で彼らを避けて通ることは可能だし、そもそもプレイヤーは彼らに追われているわけじゃない。関わりたくないと思うなら、じっと口を閉じて静かに進み、黙ってやり過ごすことだってできるんだ。

BT((Beached Things))たち。
BBと接続したオドラデクセンサーによって感知することの出来る、謎の存在。息を止めると彼らからも見つかりにくくなり、しかし彼らの姿もまた視認できなくなってしまう。彼らは臍帯の繋がった人のような形をしているが、なぜ人間を捕まえようとするのか、何故ボイド・アウトを起こすのかなど、不明なことも多い。

だから「デス・ストランディング」は、ホラーじゃない。ストーリーの中にしっかりとした法則性を描いている、れっきとしたSFなんだ。

たとえそれが、どんなに異様であってもね。

「なぜそのような出会いがまだ起こっていないのか? われわれ自身が宇宙の戸口に立っているというのに」
 本当に、なぜだろうか? ここにあるのは、そうしたもっともな問いに対するひとつのありうる答えである。だが、お忘れなきよう。これはたんなるフィクションなのだ。
 真実は、例のごとく、はるかに異様であるにちがいない。

アーサー・C・クラーク「2001年宇宙の旅」伊藤 訳

2022/12/13

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