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「デスストランディング」考察その4:親子と国をつなぐ物語

 母のこの言葉に、わたしは心の内で、世を去った母の霊をこの腕に抱きたいと思い、抱こうと心が逸るままに、三たび母に駆け寄ったが、三たびとも母は影か夢にも似て、わたしの手をふわりと抜けてしまう。

ホメロス「オデュッセイア」松平 訳

 彼は三度、腕で父の首を抱こうとした。しかし三度とも幻影は彼の手から逃れ去った。彼は空を掴んだだけだった。それは軽い風のようだった。また、翼をふって飛び去る夢に差も似ていた。

ウェルギリウス「アエネーイス」杉本 訳
クリフと接触し、何とも言えない表情をみせるサム。
人からの信頼や期待に応えたいと思いつつ、他者に触れられることを恐れる接触恐怖症を患う主人公サム。非常に複雑なものを抱えた彼の表情や態度は、生半には演じられるものではないだろう。「デス・ストランディング」は彼にかぎらず、実際の俳優を撮影し3DCGに反映させており、完成度の高いドラマ部分も魅力の一つだ。

サムというのは、まったく最高の主人公だね。彼を演じたノーマン・リーダスも、日本語の吹き替えをした津田健次郎も最高の俳優だよ。

ただ彼自身の生い立ちというのは意外とゲーム中では語られず、彼自身が探していたアイデンティティの部分は、当初BBの記憶だと思われていた物語で語られるんだ。マッツミ・ケルセンや山路和弘の演じるクリフ・アンガーという人物も複雑なものを秘めた人物で、このあたりの巧妙な人間ドラマの描き方も、まったく称賛に値するストーリーテリングだ。

彼ら親子の壮大な物語を考えると、古代ギリシャの「オデュッセイア」や、古代ローマの「アエネーイス」を思い出す。

前者は戦争へ行った父が赤ん坊だった息子と再会を果たす物語、後者は亡国の王子が自分たちの国を新しく作ろうとする物語なんだ。なんだか、彼らにピッタリだろう?

ホメロスのオデュッセイアと言えば、苦難の旅の代名詞で「2001年宇宙の旅(2001:a space odyssey)」や「オデッセイ(The Martian)」なんかの宇宙映画のタイトルにも使われているね。原題と邦題はそれぞれバラバラだけど、壮大な物語や苦難の旅を現す表現として英語でも日本語でも使われていることはわかるはずだ。

トロイア戦争をあの木馬の作戦によって勝利に導いたオデュッセウスだけど、その帰国の途中様々な試練や怪物が襲い掛かる。

巨人キュクロプス、魔女キルケ―、冥界の旅や、怪物スキュラオ。デュッセウスは様々な艱難をその知略によって抜けていくけど、旅に疲れた仲間たちはヘリオスの神聖な島でタブーをおかし太陽神の家畜を食べてしまう。一行はヘリオスの怒りによって、とうとう彼一人になってしまうんだ。

漂流した彼を助けたのは、女神カリュプソだった。海の女神は彼に一目ぼれをしてしまい、彼を故郷へ還したくはなかった。それにギリシャの海神ポセイドンは、彼の息子でキュクロプスの一人ポリュペモスのたった一つの目を潰してしまったことを恨んでもいた。

そんななか故郷イタケでは、息子のテレマコスは立派な青年へと成長し、イタケの領主の座を狙い母ペネロペイアへ求婚を申し出る無法者たちに辟易していた。彼は母に聞いた父オデュッセウスの帰還を信じ、彼を探す旅に出るんだ。

それまでの英雄たちの人間ドラマを描いた他のトロイア叙事詩とは一転、この物語は怪物や魔女が登場するファンタジーな作品になっている。しかし回想の語りをシーンとして挿入したり、帰還するオデュッセウスと迎えに行く息子テレマコスの場面を前後させるなど、文学的に巧みな手法にあふれている。

彼ら親子の再開や、冥界のテイレシアスへ会いに行く場面での死者となった母や戦友たちとの再会の場面など、涙を催す場面も多い名作だ。

亡霊となりサムの前に現れた、クリフ・アンガー。
「オデュッセイア」では黒塗りの船に乗り、黒い牝羊の生贄を捧げるなど、冥界のモチーフは黒に関するものに徹底されている。また死した亡者が生者であるあオデュッセウスへ語るためには、生贄の黒い血に触れる許可をされなければならないという掟も。

一方の古代ローマの「アエネーイス」は歴史的にはかなり後年の作品だけど、トロイア戦争直後の同じ時代の物語を書いている。

先ほどのオデュッセウスの計略によって破れてしまったトロイアだけど、そちら側の英雄アエネアスは家族とともに都を出て、母神ウェヌスの導きで新たな国を探す旅に出る。

彼の目的地は地中海を渡ったイタリア半島にあるけれど、途中アフリカ北部のカルタゴにたどり着いたり、イタリア土着の人々との戦いが起こるなど苦難も多い。恋仲となったカルタゴの女王ディードーとの悲しい別れや、クマエのシビュラ(巫女)に導かれ冥界へ赴く場面などオデュッセイアを意識したと思しきシーンも登場するんだ。

こうした英雄にとってはお馴染みの試練だけど、彼の冥界へと下るシーンでは冥界の女王ペルセポネのために金の枝を取るという、特徴的な場面もある。また旅の途中、死に別れた父アンキセスとの再会や同じく死に別れた妻クレウサとの場面では、とくに「オデュッセウス」の関連が指摘されているんだ。

植物の芽にも似た、カイラル結晶。
英雄アエネアスが冥界に行くために折り取った輝く金の枝つまり金枝とは、その後フレイザーの「金枝篇」でも語られ、有名なモチーフとなっている。この金の枝によって、アエネアスは危険な冥界への旅を無事に終えることができた。

作品自体は作者ヴェルギリウスの死で未完となっているけれど、アエネアスの作ろうとしている国について、冥界の父からの神託で予言的に語られている。

トロイアから逃れた彼の子孫こそがあのロムルスとレムスであり、その女神ウェヌスの血を引いた一族こそが、ローマの正当な支配者となる。つまり、実のところ作者ヴェルギリウスのパトロンである、アウグストゥスやその大伯父カエサルたちのユリウス氏族こそがその一族だという筋であり、ある意味でこの作品は彼らユリウス一族ののプロパガンダ作品だということになる。

でも、こうした詩や絵画、映画なんかでも時の権力者を称えたり、その行いを非難するメッセージを含んでいることは、決して珍しいことじゃない。ある意味では僕らの国の「源氏物語」も藤原氏のプロパガンダを含むともいえるけど、そうしたことでその作品自体の感動や美しさがすべて失われるわけじゃない。

それに、2000年も前の前の作品にもそういうものを感じるのは、ちょっとした歴史ロマンを感じさせるんじゃないかな? こうした親子の話や自らの懐かしい故郷や国を思う物語は、いつの時代も人々の心を打つということだね。

クリフとサム。
物語の最後では、この二人が親子であったことが明かされる。そして未来への懸け橋となって人々を繋ぐ誰かになるという彼の使命が、クリフによって名付けられた彼の本名の由来であったことも。サムのつないだアメリカとは、普遍的な意味での人類の共同体や家族のメタファーだと言えるかもしれない。

2022/12/16


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