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ブラッドボーンと西洋文化の血脈 1

さてこれからブラッドボーンと西洋文化の血脈という表題でいくつかの記事を書いていく予定なのですが、今回はまずその事について。ブラッドボーンの世界観と現実の西洋の文化の、類似のようなものを提示していこうと思います。

さほど厳密に語っていく訳ではないのですが、そもそも論としてゲーム『ブラッドボーン』がどれほど現実の西洋文化と似ているのか、その類似によってどれほど還元的に西洋文化の方面から『ブラッドボーン』の設定について言えるだろうかという事を示さなければ意味がないからです。

(以前の記事)

ゴシックホラーとコズミックホラー

とはいえブラッドボーンの世界が、イギリスのヴィクトリア朝のような街並みを意識して、いわゆるゴシックホラーの世界観で描かれていることは、一目見てわかることでしょう。

メアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」がその起源とも言われますが、実際に死体をつなぎ合わせて作られたような「死体の巨人」というボスも出てきますし、ヤーナムの街を徘徊する「狼男」のような敵、カインハーストの「吸血鬼」のような敵と、この世界には洋風の怪奇小説のモチーフがふんだんに描かれています。

多くのプレイヤーが命を落としてきた、ヤーナム広場。
巨大な獣を磔にし手には各々の得物を持ったヤーナム民だが、彼ら自身も獣のような風貌をなし、その多くは血の常習者だとされる。

そのような怪奇小説では多くの場合、キリスト教の文化がその根底に流れており、怪物たちには聖なる十字架や、それを鋳溶かして作った銀の銃弾を撃ち込んで倒すなど、聖なるものが邪悪なものを倒すという構図は珍しくありません。また、「現代のプロメテウス」とも副題のついた「フランケンシュタイン」は、生命の創造という神の権利を侵した青年博士とその被創造物の関係という、ある意味では創世記のパロディのような構成でもあります。

近代になり、科学という価値観によって様々な物事が見直されていく中で、こうした古い価値観に根差しながらも、それらをリバイバルさせたゴシックホラーというジャンルはとても魅力的であり、現在でさえそうした作品は創作され続けています。

しかしそうした生々しく血肉を求める化け物とキリスト教的な正義、理性主義の対立という物語が定番化していくと、さらにそれらを懐疑的に見る価値観というものも芽生えていきます。

それまでの社会では当然のように見なされていた、伝統的価値観。中世やそれ以前から恐れられていた、吸血鬼や狼男と言った空想の存在たち。そうした物語が定番化し陳腐化されていく中で、さらにおどろおどろしく、それまでの価値観を根底から覆すような驚異の登場が求められました。

奇才H・P・ラブクラフトの創造したクトゥルフ神話、コズミックホラーというジャンルは、そうした期待の中で生まれた作品群と言ってもいいでしょう。

ゴシックホラーもかつてはそうであったように、新たな科学知識の浸透によって得体のしれない怪物たちの存在が再定義されます。しかし、コズミックホラーにおいてはさらにそうした存在が、旧来の伝統的価値観をあざ笑うかのように、圧倒的な存在感を持って無力な主人公を破滅的な運命へといざないます。

Howard Phillips Lovecraftの頭文字にも見える、苗床のカレル文字。
彼の産んだ作品群は悪夢的創作の苗床となり、現在も暗黒の神話を生み出し続けている。

20世紀初頭。それまで以上に科学によって様々な価値観が覆され、荒波のように世の中が変化していく中で、こうした物語は一部の熱烈な読者を産み、その流れは現代のゲーム・映像作品にも確かな影響を及ぼしています。

しかしこうしたブラッドボーンの世界観のオマージュ元となっている作品たちが、単にキリスト教文化と科学技術の発展という二つの軸によってのみ成熟していったのかというと、ことはそう単純でもありません。

そもそも狼男や吸血鬼というものは、ヨーロッパ土着の妖怪のようなもので、もちろんキリスト教の聖書にはそのような怪物の存在は出てきていません。さらにラブクラフトの小説から設定を受け継いで現在のクトゥルフ神話としてまとめ上げたダーレスは、この不定形で病的な神話の中にプラトンやアリストテレスのような観念、善悪二元の神々の設定を取り入れたり、彼ら神話生物へ四大属性などの設定などを盛り込みました。

これらヨーロッパ土着の文化からの影響、四大属性などのギリシャ、ローマ文化からの影響は、このような小説ジャンルばかりでなく現在の西洋文化に大きな影響を与えています。

ブラッドボーンの世界ヤーナムで、表面的な文化は「医療教会」という宗教団体の価値観が支配しています。現在の街自体が医療教会の聖堂を中心に統一した様式で築き上げられ、多くの住人たちはその信仰に帰依しているようです。

しかし、よくよくゲーム内の要素やNPCとの会話を聞いてみると、彼らの態度は教会にどこか懐疑的で、内心ではなにか別のものを支えにしながら生活しているようにも思えてきます。

医療協会に感謝するNPC。
多分この人に関しては、すごく感謝しているんだと思う。

また工房と医療教会というのはPCの使用する狩り道具を作っている二大勢力ですが、この地域本来の文化を踏襲しているであろう工房と、医療教会との勢力はそれぞれ独自に発展もし、また度々協力や交流のあったようにも描かれています。

この継ぎはぎのような文化、宗教、民族的アイデンテティ。『ブラッドボーン』でのこの複雑な設定も、おそらく現実の西洋のそれをイメージしたものと思います。

ヤーナムの風景

こうした物語や設定上の要素を抜き出してもそうなのですが、このヤーナムの街並みも明らかに洋風なものです。

それどころか公式サイトにも「19世紀ヴィクトリア時代をモチーフにした数々のゴシック建築や宗教彫刻が立ち並ぶこの街は」と明言されており、単にタークファンタジーと説明される「デモンズソウル」や「ダークソウルシリーズ」よりも、より踏み込んで地域、時代を意識したつくりである事を明示してあります。

PCやNPCの衣装などもこの時代、地域の様式を取り入れており、基本的な服装は概ね19世紀前後のヨーロッパのものと考えていいでしょう。パッケージにもデザインされている狩人の特徴的なコートなどは、18世紀の実際にあった獣害事件をもとにした映画「ジェヴォーダンの獣」によく似た服装が登場しており、よく言われる通りこれは元ネタの一つではないでしょうか。

ブラッドボーンに登場する、様々な狩り装束。
ぴっちりさせ過ぎない程度に、体系にあった袖やズボン。角の立った襟。刺繍や触手によって彩られ、華美ではあるが、動き回るのに邪魔にならない程度の装飾。これらは近代の服飾の特徴のように思われる。

街の真ん中に大きな川(谷)があり、橋とそこから見える塔というのは、ヴィクトリア時代というキーワードを鑑みるに、イギリスのテムズ川とビッグベンをイメージたものと考えられます。しかしブラッドボーンのNPC等の英語読みではない命名、特徴的な天文時計のデザインを見ると、チェコの首都プラハの街並みとも重なります。

おそらくは様々な街を調べ、再構築するような形でデザインされたものと考えられますが、とにかく実在のヨーロッパのどこかをイメージしていることは確かでしょう。その設定の細密さたるや、「Bloodborn考察wiki」では人命の特徴を調べ、ヤーナムがヨーロッパのどのあたりだろうと考察している方もおられるくらいです。

人命に関しては他シリーズでもかなり詳細に分けてはいるようですが、大胆に時代や地域をまたいで装備や建築をデザインしている「ダークソウル」等に比べ、かなり区分を絞って近代ヨーロッパを参考にしていることは確かです。

ヤーナム大橋から望む、時計塔。
現実にはここまで密集した尖塔の並ぶ風景は存在しないのだろうが、こうした石材を運べる川などに沿って石造りの街並みが並ぶのは、ヨーロッパの都市では珍しくない風景だとなんとなく思っている(日本人並み感)。

血の医療という迷信

現代の美的感覚から見てもデザインなどが洗練され、同時に多くの発明がなされ産業も発達した近代ヨーロッパですが、医療のような高度に科学的な分野に関しては、(近代という区分にもよりますが)その半ばまで劇的な進歩はなかったようです。

19世紀ごろでは既に顕微鏡も発明し、肉眼では見えない微生物なども多数発見されていたようですが、未だそれらの存在と人間の身体の問題とははっきり結びついていなかったとされています。

有名な話として、このころ同時期に生まれたハンガリーのイグナーツ・ゼンメルワイス(1818-1865)とイギリスのフローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)の存在が分かりやすい例だと思います。

前者ゼンメルワイスは医者であり、彼が務めているウィーンの産科では医者による分娩と助産師による分娩では、およそ三倍ほどもその後の死亡率が変わることに気づきます。彼は様々な調査の結果、医者が他の患者の処置や診察を行った後、手を洗わずに妊婦の分娩に臨んでいることが要因だと考えました。

当時のウィーンでは病原となる細菌について知られていなかったらしく、彼はこのことを医者が他の患者の死や検体解剖にたずさわっていたことで手についた、「死体粒子」なるものが原因であるという仮説を立てます。この粒子の正誤はともかく、彼は塩素による消毒法も発案し妊婦の生存率を劇的に向上させることに成功したのですが、他の医者たちはむしろ彼を非難したそうです。

はっきりとした原因が分からない中、「医者の手が汚いから患者が死亡した」という彼の説は、とうてい受け入れがたいものだったのでしょう。後世には評価を受け「母親たちの救い主」とも呼ばれるようにもなりましたが、彼自身は不遇の晩年を送ったそうです。

一方でナイチンゲールは、クリミア戦争へ従軍した看護師でした。裕福なジェントリ(地主)の家庭に生まれた彼女は幼少から様々な教育を受け、聡明で思いやりの深い人物だったそうです。

当時、軍の病院は不衛生で、医者自身もその事には頓着していなかったようでした。しかし看護師長として赴任したナイチンゲールは、まずはトイレの清掃から手を付け、院内の衛生を劇的に改善させていきます。やがて負傷兵の死亡率も改善していくと今度はその統計をまとめ、戦場での死因が戦闘によるものよりもその後の感染症等のほうが主だったと突き止めました。

彼女の活躍には当時のヴィクトリア女王も注目し、現代でも有名な偉人の一人でしょう。実のところ看護師長として他の看護師たちの指揮やその後の統計のほうが彼女の大きな功績で、一昔前の”献身的な白衣の天使”というイメージとは少し違うようです。しかし現代の看護学、統計学の祖でもあり、医療における衛生の重要性を示した人物です。

しかしこれらの事がはっきりと知られ浸透していくにはそれなりの時間を要したようですし、ゼンメルワイスへの態度のように反発する医師も多かったでしょう。人を救う医者という職業は現代でもそう見なされるようにある種の”聖職者”であり、彼らにネガティブな批評を行う事はタブーです。

細菌学や現代のような病理学が発達していない当時、医者たちが信じていたものは”目に見えない虫が人体に悪さをしている”という一見怪しげで迷信のような考えよりも、ギリシャの時代から継いでいた伝統ある「四体液説」による病理論でした。

四体液説とはギリシャのヒポクラテスの説をもとにまとめ上げられた説で、人間の様々な状態を血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の四つの体液の作用によるものだと説明する考えです。身体の全体を巡る血液と、脳を保護する粘液、身体の熱の過剰によって分泌される黄胆汁、黒胆汁。四体液説ではこの体液のバランスによって、身体の異常が現れるとされています。

なぜ胆汁が二種類なのか、粘液とはなんなのか、一部内臓に偏っていやしないだろうか。様々な疑問のある説ですが、この四体液説は天動説などをまとめ上げたアリストテレスの四大元素説、占星術やキリスト教の神学等と関連付けられ、長い間ヨーロッパやアラブの医学界の定説でした。

その間にも外科手術や医療器具などの技術面、細々とした医学的なノウハウは進歩していたとは考えられます。しかし実際のところ、このおまじないのような四体液説以上に、何か説得力のある人間の生理機能における学術体系というものは作りようもなかったのでしょう。

ゼンメルワイスやナイチンゲールのような見解が後押しをし、衛生学や、細菌学、それまでに培ってきた解剖学などの知識が結び合わさり、19世紀半ばからようやく現代の病理学が成立し始めます。

それ以前では実際に生きている人間の身体の中で何が起きているのかなど知りようもなく、この四体液説に基づいた何か仮説によって、様々な医療行為が試されていました。

そうした中で中世からヨーロッパで度々ムーブメントを起こしてきたホットな医療行為が、現実における血の医療”瀉血療法”です。瀉血とは人体から血液を排出して身体の調子を整える医療行為であり、刃物で腕を切ったり、蛭や人工蛭と呼ばれる器具で行います。

ブラドーの狩り武器、瀉血の槌。
彼の信じていた「はらわたの、心の底にたまった血」とはどのようなものだったのか。彼の怖れが具現化したかのようなおぞましい見た目だが、それにしてももっと他になかったものか。このような鈍器で腹をついても、たぶん「ウッ」てなるだけだと思う。

おそらく、目に見えて何をしているのかが分かりやすい事、血液が失われる虚脱感がそれまでの痛みなどの感覚をごまかすこと、さらに以上の事で患者自身が感じるプラセボ効果などが、この医療行為がもてはやされた理由でしょう。

瀉血、これ自体は現代でも特定の症状には効果があるとされており実際に行われてもいる医療行為です。しかしその科学的な効用が間違って信じられたり、あまりに乱用されては危険です。こうした間違った瀉血による被害は、18世紀終期のジョージ・ワシントンの最期等を調べてもらえればわかると思います。

ある程度体力の残っている患者への迷信的な医療行為は、一時的に患者の不安が抑えられ、その間に患者自身の自然治癒の効果によって症状が改善するため、一見非常に良く効いたように誤解されることもあります。しかしその事によって本来の重大な疾患が見逃されたり、その医療行為自体によって患者の身体に無理を強いてしまうと、危険な結果になりかねません。

ウッ!!

一方ヤーナムで行われている”血の医療”とは、実のところこの内容について不明な点も多いのですが、その名の通り「医療協会」がその利用を促し、効用を広く謳っていたようです。

だが、呪われた街は医療の街でもある。
数多くの救われぬ病み人たちが、この怪しげな医療行為を求め、
長旅の末ヤーナムを訪れるのだ……。

Bloodborne Special Art Bookより

この血の医療というものが特定の医療行為を指すものか、あるいは血液に関する何らかの理論に基づいて行ういくつかの医療行為の総称なのかは分かりません。おそらくアイテムテキスト等にみられる「灰血病」に対し使われたのが主だとは思われますが、そのあたりの関係は曖昧なままに語られています。

またプレイヤーが回復アイテムとして使用する「輸血液」のアイテムテキストでは、「輸血液」がこの「血の医療」に使われたものであること、生きる力、その意志であるHPという概念がPCのような夢を見る狩人以外にも適応できる概念である事、そして多くのヤーナムの民が既にそうした血の医療を受けたことがある、という事が読み取れます。

アイテム、「輸血液」。
輸血液、水銀弾はアイテムとしては特殊な扱いでインベントリからも確認できないため、実はゲーム中でこのテキストを読んだことがない人もいるかもしれない。これらのアイテムテキストは、使者たちからの購入画面などで確認できる。

この多数のヤーナムの民がすべて「灰血病」を患ったことがあるのか、また明らかに咳き込みながらこのヤーナムに血の医療を求めたことを明かすギルバートが「灰血病」の患者なのか、という事は少し疑わしく思えます。したがってこの血の医療は「灰血病」のみならず、他の病気などに汎用的に使われていたと考えるのが自然なように考えられます。

しかもその血の医療の効果が「輸血により生きる力、その感覚を得る」ようになるという感覚的なものであるならば、先のような現実世界における瀉血療法の例のように、実は迷信的な似非医療であった可能性も否定できません。

上に紹介したゼンメルワイスの例や瀉血療法のような”間違った科学観にる医療行為”が、実はヤーナムを「襲う獣」の病の原因であり、それらの恐ろしい病が人知れず「血の医療」によって血液感染=bloodborneを引き起こしていた。というのは、このゲームの(比較的)表層のストーリーとして、多くの人が考えるものかと思います。

しかしおそらく皆さんが感じているように、このゲームの奥底にあるストーリーはこの程度に単純なものではないでしょう。

自筆つまりPC自身が書いたものだと明言されている、謎の手記。
失った記憶は定かではないが「狩りを全うするため」には、われわれはどこまでも闇へ切り込んでいかなければならない。なお、答えがあるのかは不明。

医療協会はこれら「獣の病」のメカニズムについてどうやら気が付いていたようにも思えますし、そもそも「獣の病」自体が何かの病原が感染して広まっているというよりは、あの世界における人々の内にある何かの発露というように考えられます。

血の医療というものは、そうした人の可能性を発現させるための医療協会の実験的な施術であり、彼らは”確信犯”的にそれを行っているようなのです。

はたして「医療協会」の目的とはどのようなものだったのか、彼らはどのような思想からこれらの事を行い、何を考えてこのような禁忌に触れたのか。それらを改めて考えるため、次回からはこの医療教会と現実のキリスト教とを比較して考察していきたいと思います。

2022/04/18

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