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大阪・矢柄温泉さん (生野区の銭湯)

 大阪の銭湯で「温泉」と書いてあっても、じつは普通の銭湯が多いのです。矢柄やがら温泉さんも例にもれず。温泉みたいな名前の銭湯です。他府県のみなさま、おゆるしください。
(1414文字)



矢柄温泉(やがらおんせん)さん

 「矢柄温泉」さん。天然温泉のような屋号ですが、ふつうの銭湯。なんとも風情ある屋号ですね。
それは、地域のむかしの町名が「矢柄町やがらちょう」だったことに由来します。

矢柄温泉(やがらおんせん)さん
大阪市生野区巽東1-7-16
14:00~23:00
第2・4(水)休み

もより駅は……
●大阪メトロ・千日前線…北巽駅
 徒歩約3分

戦火をのがれた大阪市の東南部。むかしのまちなみも残ります。そして自営業も多い生野区は大阪市で銭湯がいちばん多いのです。



むかしの名前で出ています

農業用水路・加美巽川(かみたつみがわ)

 ほそい水路がまっすぐに。
かつて矢柄町は、ひなびた農村・矢柄村でした。明治時代に、近隣の五村が合併し巽村たつみむらに、戦後の1948年(昭和23)に、巽町たつみちょうとなりました。

むかしのまちなみ「巽南」

そして巽町が、大阪市生野区に編入されたのは、戦後の1955年(昭和30)です。
巽町の名前は廃止、もとの五村にもどるように、巽東・巽西・巽南・巽北・巽中の町名になりました。

矢柄温泉さんは「巽町」になる前の戦前の「矢柄町」の時代から営業されているのでしょう。
もくもくと、いつの時代もお湯を沸かし続けてくれる銭湯。ありがたいものです。


巽町は大阪城からみて鬼門の方向・東南にあったから、大阪市への編入が遅れたのかもしれませんね……。

大阪市に編入後は、大きな会社が転入してきたり、住宅も町工場も増えてきました。

ロート製薬本社 「巽西」

昭和の東京オリンピック開催の前年、1969年・内環状線という大きな道路ができましたが、まだ矢柄温泉さんの近くまで届かず。

むかしのまちなみ「巽東」

当時のわたしの記憶では、このあたり田んぼや畑がたくさん残っていました。
1981年(昭和56)に、大阪メトロ・千日前線が、もより駅の「北巽駅」と「南巽駅」まで延び、まちは発展しました。


このまちは、むかしの町名の公園・公民館などが、あちこちにあるのです。
矢柄温泉さんに来ると「むかしの大阪」の懐かしい空気。
とても、うれしいのです。

大阪メトロ 北巽駅



サウナあります

ビルのようなかたちの矢柄温泉さん。
無料のサウナ・水風呂は閉店30分前の10:30に終了します。ご注意ください。

ジェットバスも大きく湯温もぬるめ。仕事の疲れが吹っ飛びます。
お客さまが多く、地域の人たちに愛されている銭湯と感じます。

浴室の壁面には大きなピンクの花。湯船はブルー。明るくて気もちいい。
ごろんと寝風呂も、ホントいいものです。

高齢者割引入浴日あり

生野区の銭湯の多くは、ビールがあります。やはり町工場が多い下町やがら。

女将さんが、お掃除にやってきて、終われば腰かけて休憩。
そんな銭湯の日常。
まめに、お掃除ワイパーをかけている銭湯は活気がある証拠です。


清潔第一。
むかしから変わらない銭湯のお仕事。
ありがとう。


地味なことを 毎日まいにち。

かわらない風景やがら。


【参考文献など】
・『生野区50年史』『郷土史いくの』
・Wikipedia「矢柄町」

毎週土曜日は
「銭湯の日」

いつも こころに うるおいを
 水分補給も わすれずに


さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。

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