見出し画像

無軌道で、まとまらない、私の内側が、あふれ出たのに、なにも、ない。

書き始める今、多分、ちょうど、なにもない。


 いつも息苦しさに悩んだり嫌になったりして、発作を起こしたようにぐるぐると同じことばかり考えてしまうことが多いけれど、時には、辛いこともなくて、気分が軽く、気が大きくなってしまう日もある。時には鼻歌さえも歌ってしまうくらいに。ただ、相変わらず私は、そんな時でも、いやいや、浮かれていないで、生きるのが辛いくせにと、自分を縛りつけてしまうのだけれども。

 今はどうなのだろう、ここ最近は、詩を書くことも少なくて、noteもほとんど読めていない。読書に没頭していたと言えば聞こえはいいけれど、先日の本棚に挙げた、『本好きの下剋上』を、イチから読み直していただけで。同じものを何度も読むことが好きで、楽しかった、面白かったと感じたものは、何度読んでも、はずれなく、その通りの感情を運んできてくれる。沈んだ心を浮かび上がらせるのに、適した手段だった。

 でもそれも、いずれ、終わりを迎えてしまうと、初めて読み終えた時と同じように、楽しかった余韻に浸りつつも、悲しい気分を味わうことになる。ああ、こんなにも楽しい時間が、終わってしまう、そのことが、これからどうなるのだろうという期待すらも、覆い隠す。

 仕事は相変わらず順調でないようで、クビにならない程度には順調にすすんでいる。そこに私の精神状態は関係なかったけれど、この仕事を続けていく以上、気持ちが晴れるようなことは、ない気がしている。そんな気持ちを晴らしてくれた、『本好きの下剋上』も、全て読み終えてしまった。

 さがって、あがって、またさがって、やすみで上向いて、その分だけ次の日の落差がひどくて。日を追うごとに怠惰になっていく自分を実感していく。食べて寝る。今日も何とかやり過ごせたから、いいよね。一週間頑張ったから、休みの日くらい、好きに過ごしていいよね。そういいながら、埃とゴミと空き缶、乱雑に積まれた本たち、それらに追いやられるようにベッドへ逃げ込む。


 今、辛くはない。でも、晴れてもない。苦しいのかもしれない。すこし、頭痛はしているけれど。何をする気にもなれなくて、眠る気にもなれない。


 ニュートラル、なのだろうか。何も考える気がしないし、何かを読む気もしない。考えることが億劫で、詩を書くときも、やっぱり考えてたんだなと、なんとなく、気づく。

 部屋を片付ければ、すっきり、するだろうか。
 だけど動くことにも、抵抗がある。

 自分のことを、鬱だとは思っていないけれど、こう、辛い辛いと声を上げているような、自分は、多分まだ、平気なんだろうなと、思った。本当につらくなったら、きっと、声も上げられなくなるのかもしれない。それとも、辛いとも、気づけないのかもしれない。きっとそれが、一番まずいんだと思う。


 だから、残念ながら、私は、大丈夫なんだろう。


 考える気がしないと言いながら、こんなことをつらつらと、垂れ流すように書いている、noteの前にいる時は、やっぱり、考えて書いているんだろうな。なんで今この時に、書こうと思えたのかは、わからないけれど。

もう少し、明るい話題を書きたかった。
もう少し、誰かの役に立てるようなものを書きたかった。
もう少し、誰かの心に触れるようなものを書きたいと思っていた。
だけどこれは、私の心を誇張しただけのものだと、わかっていた。

 きっと私は、誰かの目を引きたくて、これを書いているんじゃないかなと、思う。一体誰の目を引く気なんだか、同情してほしいのか、ただの甘えたがりでしかないじゃないかと、書いている端から、自分のことが嫌になるけれど、それでも私は、そんな自分のことが好きで好きで、仕方がないから、そんな自分を、誰かに読んでほしいと、思っているん、じゃないか。

 無駄なプライドばかりなせいで、口にはとても出せないけれど、ここに書いておくことは、できるんだなと、ここでは、プライドすらも、かなぐり捨てて、誰かの気をひきたいのかなと、そう思うと、あまりにも、みじめで。でもいつもいつも、自分が辛いということばかりを、あからさまに、おおげさに、書いているのを見て、やっぱり、そういうことなんだろうな、と。

 指の皮がぼろぼろになる。昔から、いつからかは覚えていないけれど、指の、特に親指の皮を、めくる癖がある。辛いことや苦しいことへの防衛反応だと言われたことが何度かあるし、いろんな人に注意されるけれど、治る気配がないというか、やめる気が、ない。自分にとっては、手慰みのつもりでしかないのだけれど、親指の付け根まで、ぼろぼろで、時には血をにじませてまで、なぜめくらなければならないのか。それこそ、キーボードを叩く手を止めてまで、むしらなければならないことなのか。わからないのだけれど、止めることが、できないし、止める気が、ない。


 煙草と同じだなと、なんとなく思う。


 止めるには、我慢が必要になるけれど、それに関して、私はめっぽう弱い。言い訳をしながらやめないことにかけては天下一品で、そして、あとで後悔するであろうことも、なんとなく、気づいている。

 お付き合いをした時に、煙草をやめろと言わなかったのは、たぶんあの人だけだった。同じ喫煙者だったからだろうけれど。あの細い指先で、なめらなか動きを、思い出して。



 職場からの電話がかかってきて、今台無しでした。

 たぶん私の人生は、こんなものなんでしょうね。



 たぶん、明日か明後日には、沈みきって、noteを書きたいのに、時間がなくて書けなくなっているような、そんな気がしている。指の皮をむしり取りながら、せめてこれだけはと、本を読もうとする私の姿が、ありありと思い浮かぶ。

 同じ日なんてないはずなのに、同じような日が、毎日続いていく、それが、穏やかな日々であれば、どれほど素晴らしいことかと思うけれど、地を這うように、まわりにも、私自身にも、押さえつけられてしまう、現実を、明日も、生きていくしか、ない。

 明日にもめくる皮が残っていますように。



 文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。

 本城 雫

いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。