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仕事が私を追い詰めるのか、追い詰められている私が弱いのか。

 心が休まることなどないのかもしれない。



 仕事が休みだったけれど、祝い事があって、管理職の食事会に出席した以外は、とくに予定のない日だった。管理職の中では若いからという理由で、必要以上に量を食べさせられる、立場的にもNOと言えず、なるべく残さないように、苦しさは隠して食べた。今も胃は満ちている。

 予定がないとはいうものの、何事もない一日ではないのはいつもの通りだった。

 自分が現場にいない分、かかってくる電話は多い。どうしたらいいかと指示を仰ぐものなら、私にわかること、そう難しくはないのだけれど、電話でわざわざ注意叱責を受けると、堪える。仕事に出て用が休みであろうが、打たれ強さをどこかに置いてきてしまった私には、強い言葉の注意や、突き放すような言葉に、深く落ち込んでしまう。

 部下、というには扱えていなさすぎる、社員から注意を受けることもある。苦手なのだ、その人が。気が強い人や、自分の考えを強く伝えてくる人には、どうにもものが言えなくなる。

 思っていることはある。言わなければならないこともある。だけど、この言葉で大丈夫か、こういう風に言えば機嫌を損ねないか、そんなことばかり考えている私は、結局、空気が悪くなるのが嫌なだけで、自分のことしか頭にないのだろう。困ったことに、自覚はないけれど。

 そうして面倒になって、結局何も言わずにいて、上司から、管理ができていないと、もろともに注意されてしまう。


 結局のところ、我が身が可愛いだけなのだろうと思っている。


 もしその部下のことを思うなら、私から伝えなければいけないことも、注意しなければいけないことも、たぶんいくらでもあるはずなのだ。私自身が気づけていないことも含めれば、さらに。そうして部下を成長させて、将来的に備えていく、個人的なスキルアップにつなげていく、それが私に求められている仕事の役割なのだと思う。

 そう、仕事なのだ。やらなければいけないのだ。給料をもらっている以上、与えられた仕事をこなさなければならない。

 ただ、どうしても嫌だった。嫌で嫌で仕方がなかった。傷つきたくなかったし、雰囲気を悪くしたくなかった。働きづらい。どちらにしても。

 人の上に立っていいような人間ではないのだ。そこまで成熟していない、自分でもそのことはわかっている。だけれど私はイエスマンだから、部長になれと言われればイエスと答えてしまうのだ。経験が、浅すぎる。経験するタイミングは、いくらでもあったろうに。

 上司や社長などとも、ろくに会話ができなかった。何と答えれば正しいのか。それがわからなくて。正直にこうしたいと思うことを話せばいいと言われるけれど、私は売り上げのことなど考えていない、そんなことを正直に話せるわけがなかった。次第に、日常的な会話すらも怪しくなっていく。とにかく黙っていたかった。黙って仕事をしていたかった。



 苦手が遠ざかった時だけが、心が休まる時間だった。注意されなかった日、見逃された日、そして休日。だけどその休日に、電話越しに叱責を受けると、とたんに、全てがどうでもよくなる。

 さっきまで面白かった小説も、味わっていた珈琲も、ツイッターやnoteの嬉しい通知も、何もかもがどうでもよくなってしまう。こんなに、大好きなものなのに。

 胸がざわつく。そうして次の日の仕事を思う。あの人の機嫌は良いだろうか。これについて注意されるんじゃないか。あれは大丈夫なのか。それくらい、30代半ばの会社員なら当たり前なのかもしれない。休みの日でも仕事のことを忘れない、仕事のことを考えるのは、至極当然のことなのかもしれない。

 だとしたら、私が子どもの頃、予想していたよりもずっと、私は、社会に適合できないでいる。

 仕事は楽しくない。もはやただの生きる手段だった。できないことをできるようになれない。前向きじゃないから。だから嫌になるし、辞めたくなる。



 このところ、近くの中学校の生徒が、職場体験にくる。一通り仕事を体験した後、必ずと言っていいほどされる質問がある。

 「なぜこの仕事をしようと思ったんですか」

 なんでもない、この、当たり前でありきたりで、当たり障りのない質問に答えることが、今の私には、苦痛でならない。

 本は好きだ。接客も嫌いではない。大学を卒業するころまで、図書館か書店以外に勤める気がなかった。まるで決められていたかのように、当然、そうするでしょうというように、選んでいた。

 今でもそれは、大きくずれてはいない。本は好きだ。接客も嫌いではない。だけれど、書店は嫌いになりつつある。

 思えば、一度書店を辞めた時に、止めておけばよかったのかもしれない。もっと仕事について、働くことについて、良く考え直すべきだったのかもしれない。多分私にとって、好きなことを仕事にすることは、私を幸せにするものではなかったのだ。切り離さなければ、いけなかったのかもしれない。


 たぶん、甘えなんだろう。どうしようもなく、情けない男に見えていることだろう。

 それでも私は、今後、大きな喜びがなくてもいいから、この苦しみから解き放たれたい。淡々と、生きていくことができれば、それでいいと、思ってしまう。

 諦めてしまう前に。どうにかできればと思う。
 まずは、心を、休められる時間が増やせればいいかな、と。



 文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。

 本城 雫


いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。