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リクルートを退職&香川県三豊市教育委員会で働く話

小玉祥平です。note始めました。 

と言いますのも、実はこの4月に独立+転職することになり、一つ区切りがついたというのと、色々な方から色々なお誘いを頂くたびに事情を説明するのですが、一言では言えないことが多く、なぜ移住+転職するのかをしっかりまとめておきたいなと思ったので、せっかくだからnoteに残します。

この4月で、新卒から2年間勤めたリクルートという会社を退職して、香川県三豊市というところの教育委員会で「指導官」として働きます。なので、25年間過ごした東京を離れて、香川県に移住することにもなりました。

なぜリクルートを辞めるのか

嫌なことがあってリクルートを辞めたいという気持ちは、全くありませんでした。

段々と裁量も大きくなり、大きなチャンスも頂き始めていたので、退職するにあたってはものすごく大きな心残りがあります。特に何も結果を出せなかったので、その点でもぬぐいきれない悔しさがあります。

リクルートは本当にいい会社だと思うし、もちろん人によりますが、入社したいという人がいたら自信を持ってお勧めします。リクルートについて言いたいことは山ほどありますが、長いのでここで書くのはやめます。

退職したのは、純粋に、新しいチャレンジの機会に恵まれたからです。

三豊市の教育委員会とはもう2年ほどお付き合いがあるのですが、今回様々なタイミングが重なり、これまでやってきた教育プロジェクトを本格的に展開していくというお話を頂きました。

こんなチャンスもう二度と無いかもしれない。

そう考えたら、不安もありましたが、難しい判断ではありませんでした。

なぜ教育委員会で働くのか

ずっと教育の仕事をしたいとは思ってました。だから、3年ほど前から、盟友の亀岡・谷口とともに、Schip という団体を作って活動してきました。そこで掲げているのは「解くから問うへ」という理念です。

情報化と人工知能・ロボットの社会実装が進んでいくこれからの社会では、今まで以上に、問いを立てる力が必要となっていくと思ってます。だからこそ、教育観・学習観もまた、解くこと中心から問うこと中心へと転換していく必要があります。

ぼく自身、何が本当に好きなことかと問われば、その答えは「学ぶこと」です。対象は何でも、学ぶというプロセス自体が本当に好きです。

段々と社会に出ていくにつれて、自分の学び方がちょっと他の人と違うことに気づきました。いつ身についたのかわかりませんが、どんな本を読んでも、どんな人の話を聞いても、まずぼくの心に浮かぶのは、「もしかしたら間違っているんじゃないか」という疑念です。別にそれは相手を否定したいとか、間違いを見つけて悦に入りたいとかいう負の感情じゃなくて、自分にとってごく自然で素直な反射神経みたいなものです。大抵の場合は、そうした自分の反射反応の方が間違っていることに気づきます。ただ、一度疑ってみるということが、とても大事なんじゃないかと思うのです。

もう一つ学び方について言えば、自分はあまり具体的なものや個別の事例に興味が持てず、常に目の前のものの抽象的な姿・上位概念を探してしまいます。これも癖みたいなもので、抽象から具体へと広がっていくピラミッドがあるとしたら、どうしても上を向いて登ってしまうタチみたいです。

いつも自分のダメさにうんざりする日々を送っていますが、学習能力についてだけは、高い方なのではないかと思っています。それを支えているのが、上に挙げた二つの癖だと思っています。もちろん、この二つのやり方が全てでは全くありませんし、誰しもに当てはまるとも思いませんが、無類の学び好きの人間として、自分の能力を社会への価値に還元することを仕事にできたらいいなと思って、今の仕事を選びました。

何をするのか?

Schipでは、イチオシ商品として、問題演習を題材としてグループ議論をするための方法論である「採点演習(仮称;本当の名前は訳あって明かせません)という学習メソッドを作っています。

採点演習では、学習者に問題を解いてもらった後、教師が提示する見本答案例を採点してもらい、その採点結果と採点理由をグループで共有して議論してもらいます。

採点演習で行う授業は、今までのような「教師から正解を教えてもらって学習者はそれをしっかり理解しようと努める」という世界観ではありません。学習者には、正解の不明瞭な世界のなかで頭を捻りながら正解を自分の手で紡ぎ出す体験をしてもらいたいというのが願いです。もちろん、見本答案例の内容次第で、学習者のレベルや状況に合わせた調整やアシストをすることができますので、別に常に無理難題を押し付けようということではありません。

採点演習では、もはや教師の考えていた正解が否定される可能性もあります。実際いままで授業していても、こちらが考えていることを上回る議論を中学生が展開している様子に出会ったことも何度かあります。

個人的には、学習観が変わるにつれて、教師や先生という存在も再定義されるべきだと思います。学校の先生というのは(教科指導についてだけ言えば)本質的には生徒と変わらない存在だと思うのです。先生とは<一番学習が進んでいる(はずの)の生徒>であって、生徒にとって教室の中で共に学び新しい知識を生み出していく仲間であると思うのです。

三豊市では、このメソッドを中心として、学習科学の知見を活かし、「国語」の授業における真に主体的な学び・対話的な学びを作る支援をするのが自分の仕事です。現場の先生と共同して、世界に誇る教育を三豊市で作るというのが目標です。

最後に

色々書いてきましたが、具体的にやることは見えてないことばかりで、先例も全然ないことなので、これから少しずつ詰めていくという形になります。

個人的には、自分の活動が、今後教育現場にもっと外部人材が入りやすい環境を作るための礎にもなったらいいなとも思ってます。教育現場にもっといろんな人材が増えて、現場の教師の方は持てる才能をもっと発揮して、学校教育が変わり、それが社会に還元されて、教育にどんどんお金が流れるというサイクルが回れば良いと思っているし、その端緒になれたら嬉しいです。

まずは結果を出せるように頑張ります。

ご興味ある方は、ぜひ三豊市にも来てください。最高のうどん屋さんとか、驚くように美しい景色とかあります。紹介します。

では。

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