見出し画像

“優しさ”と聞いて、
あなたはどんなイメージを持ちますか?
電車に乗った時に、お年寄りに席を譲る“優しさ”
どんな時も微笑みながら話に耳を傾ける“優しさ”
悩んでいる人に適切なアドバイスをする“優しさ”

最近、私が感じたのは一言に“優しさ”と言っても
いろんなカタチがあるなーということ。
どの“優しさ”も間違いではない。
けれど、どこか違和感を感じてしまう
“優しさ”もあるなーと。

そこで、今日は少し“優しさ”について
考えてみたいと思います。



どれが本当の“優しさ”なんだろう?

例えば、職場に先輩Aさん、Bさん、Cさん、
そして新入社員のSさんがいるとします。

Sさんは初めて任された仕事の段取りがわからず、
手こずっています。

そんな時、先輩Aさんは
「大変そうだね、どこまでできている?
後は引き継ぐから、別の仕事をお願いしてもいい?」
と声をかけました。

一方、先輩Bさんは
「進め方はわかる?」と尋ね、
わからないところを説明したりアドバイスをしながら、
仕事が完成するまで並走しました。

先輩Cさんは
「なぜ、まだそこまでしかできていないの!
他の人はもう提出してるよ。
やり方がわからななら調べたり、
勉強したり、
先輩に聞くなどしなきゃダメでしょ。」
と、Sさんのやる気を刺激しようと
激励の声をかけました。



受け取り側が求める“優しさ”で本当の“優しさ”は異なる

あなたは、3人の先輩の“優しさ”を
どんなふうに感じましたか?

優しい手を差し伸べ、
仕事を引き受けてくれたA先輩

最後まで自分でやり遂げるための
アドバイスをし、並走してくれたB先輩

他人と比較しやる気スイッチを押そうと、
激励をしてくれたC先輩

きっと、どの先輩の“優しさ”も
間違いではないでしょう。

でも、新人Sさんが
どの“優しさ”を求めていたのか・・・。

もし、時間が迫っていて、
これ以上自分にはできない!
と感じていたのなら、
A先輩の声が一番優しいと感じたことでしょう。
B先輩やC先輩の声は、
冷たいとさえ感じたかもしれません。

もし、最初はできなくても
次はできるようになりたい!と
思っていたのなら、
B先輩の声がありがたいと感じたことでしょう。
A先輩の声は、お節介と感じるかもしれません。

もし、負けず嫌いで弱音を吐いたり
妥協をするのが嫌い!と思っていたのなら、
C先輩の声は応援に聞こえたことでしょう。
A先輩やB先輩の声に、
プライドを傷つけられたかもしれません。

つまり、受け取り側が
どんな“優しさ”を求めているかで、
本当の“優しさ”は異なってくるんです。


挫折や苦労を知っている人の“優しさ”は、深みが違う・・・

私は、サラリーマン時代、
A先輩とB先輩を組み合わせていました。
最初はB先輩を演じ、
時間がなくなってくるとA先輩になりました。
ただ、その後
どういう経緯で最後どうなったか、
何が大切か、必ずフィードバックもしました。
過保護だったかもしれません。
後輩がなかなか自立できないという結果を
生んでいたかもしれません。
でも、私の思う“優しさ”のカタチは、
変えることができませんでした。

同じ職場にC先輩もいました。
C先輩は完璧主義者で、失敗を許さず、
自力で這い上がることを望む人でした。
でも、C先輩の優しさは
ほとんどの人に届きませんでした。
みんな厳しさに耐えられず、
逃げていきました。
なぜC先輩の“優しさ”が
受け入れられなかったのか。
それは、C先輩が“できない人”の気持ちに
寄り添えなかったからです。


挫折や苦労を経て成功を手に入れた人は、
過程の苦しさを知っています。
知っているからこそ、
苦労の取り除き方がわかり、
寄り添いながらその人の求める“優しさ”を
適度に与えることができるのだと思います。


包み込むような優しさで接していきたい

C先輩の“優しさ”に憧れることもあります。
時には突き放し、這い上がるまで待つことも
必要なのかもしれません。
でも、C先輩の言葉は人によっては凶器となり、
心をえぐることもあります。

私は、できない人の辛さやもどかしさを知っているから。
手を差し伸べると決めたならば、
途中で投げ出したり見捨てたりせず、
とことん寄り添いたいと思っています。
それが私にとっての“優しさの美学”だから・・・・。


あなたの思う“優しさのカタチ”は、
どんな姿をしていますか?


この記事が参加している募集

スキしてみて

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?