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26歳の理学療法士、サッカー特化型フィジカルコーチで、大学サッカー経験のない僕が、長崎成年国体に挑戦した中で見出したもの

はじめに

この休養期間とお盆休みを活用して、ゆっくりと読書をしているのですが、そこで触発され、気になっていたことの1つであるnote を始めてみようと思い行動に移した次第です。要するに勢いです。こいつ意識高い系かと揶揄されるかもしれませんが、『意識くらい高くもて』と"死ぬこと以外擦り傷"の著者、箕輪厚介さんも述べているので、そっち側からの視線は気にせずに、誰かしら1人には届くのではないかと薄っすらとした思いを持ちながら夏休みの作文気分のようにラフに書いて行きます。(10代の頃の僕にとって作文なんて地獄。言語化する事が大の苦手だった。今でも下手くそな文章だが。)

きっかけなどはさておき…

何者かが分からずに発信する情報は信憑性や価値が下がりますが、何せ勢いなので自己紹介は省きます。あ、でも一度はプロを目指しながらも諦め、現在は理学療法士であり、サッカー特化型のフィジカルコーチを仕事にしているということは最初に言っておきます。でわ、去年の落選から約1年間にわたり2019年度長崎国体成年サッカーメンバー入り『長崎県代表』に挑戦した過程と結果、その中での思考過程を書いていきます。

でわ…

そもそも国体とは。

国民体育大会の略であり、昭和21年京都府を中心とした京阪神地方で開催され、現在は都道府県持ち回りで毎年開催される国内最大のスポーツ大会のことである。

その伝統ある国内最大のスポーツ大会に長崎県代表として、8月10日にあせる九州ブロック予選に出場するべく、理学療法士・フィジカルコーチでありながら、アスリートとして目標を掲げ、長崎県のサッカーに熱い社会人・大学生サッカー選手が集う国体選考会に挑戦した。

その輪の中にいる姿を何回イメージしてきたか。

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答えは毎日何回も…だ。

イメージを数多くしたからと行って選ばれる世界ではない。しかし、イメージは自分のモチベーションを高める重要な要素の1つだ。それはサッカーだけにおけるものではなく、生活においてもそうではないでしょうか。

サッカーをしてきた20年間の中で今の環境で何ができるのかを1番考えながら、これまで仕事(理学療法士・フィジカルコーチ)で得た情報・知識を駆使しながら生活、トレーニングをしてきた。

結果は『バックアップメンバー』

結果は15人には入れず、誰かがアクシデントがあった際に登録される16人目の選手(バックアップメンバー)であった。この報告から5日後に最終トレーニングがあり、まだメンバー変更のチャンスがあったのだが、バックアップメンバーと連絡があった2日後に扁桃炎が再発し高熱が出てしまい、数日間熱が下がらず、無念にも辞退する形となった。(そこから1週間経ってもなかなか回復ペースが遅く、職場の皆さんやチームスタッフの優しさに助けられました。)

あと1人の壁。スタメンになるなら5人の壁。相当悔しかった。(お前のレベルで長崎の代表になれないだろうという、誰が思ってるかもわからない自分で作り上げたアンチに立ち向かっていた)

無名の僕が刺激的なこの期間で得たもの。

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1.2.3次の選考会後20名の強化指定選手まで残ることができ、そこから約2ヶ月間国体練習に参加した。

大学サッカーは経験していない。怪我を言い訳に強度の高い大学サッカーでやっていける自信がなく、(本気でプロになりたかったら行く人は行くだろう)地元で理学療法士を志した。(1番高いステージで高校サッカー選手権長崎県大会決勝くらいだろうか。国見高校に0ー6で完敗したが。全国の壁は高かった。)そんなこの僕が理学療法士でありながらこの歳で、全国出場経験のある大学生やレベルの高い社会人と同じピッチでサッカーが2ヶ月間毎週やれるなんてそんな機会はそうそうない。もっと言えば、九州でもトップクラスの福岡大学サッカー部とのトレーニングマッチまでも経験できる。(講習と重なり参加できていないが)さらに言えば、国体では元プロやJリーグ参入を目指している選手を相手にプレーができるチャンスがある。そこに高校時代無名の僕が理学療法士とフィジカルトレーナーをしていくなかで学んだ今ある知識を駆使してチャレンジした。そして、本当は理学療法士・フィジカルトレーナー・『現役国体選手』この3つのビジョンを描いていた。(現実は強化指定選手で止まった)

その期間、普通に90分間強度高く走れたとリーグでの実感はある。(勝敗は別として)
認知、身体操作、ストレングス、スピードは学生の頃より今の方が確実に成長している。それはそうだ。高校生の頃は認知や身体操作なんて言葉すら知らないし、トレーニングの方法なんて薄っぺらい知識でベンチプレスで上半身鍛えるだのスクワットして下半身を鍛えるなど、なんとなくやっているだけだったのだから。(情報にもっと目を向けるべきだった)ただ、昼食を食べる前に筋トレをするという時間の使い方は今現在にも通ずる。学生の頃は自分が怪我している時期や復帰直後、大会前などやる時期にバラツキがあった。そりゃ、知識も曖昧で継続力もないとなればそこまでのことだ。逆に知識と継続と明確なビジョンがあったとすれば、また、それをサポートする人がいればどんな自分になっていたのだろうか。(今もまだ知らないことは山ほどあるので必要な情報を収集する作業は続けなければいけないと言い聞かせている、そしてそれを伝えなければ宝の持ち腐れだ)話が高校時代にズレたが、講習や実践を経て思ったことは

間違いなくトレーニングの知識とそれに基づく実行は基礎の土台を拡大し、パフォーマンスを向上させてくれる要素の1つである。しかし、そこに目的がなければ意味はない

と言うことだ。結果は掴めなかったが、動きの質的な部分では成長できたことは間違いない。

『サッカーはサッカーで上手くなる』と言われるが…

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僕の場合のひとつの問題はサッカーをする頻度。『サッカーはサッカーで上手くなる』というようにサッカーをやる時間が相手となる選手よりも遥かに短いということだ。それならサッカーをやれる環境を探すか、作ればいいということにはなるが、現実的に理学療法士であり、フィジカルトレーナーとして務める以上、その限られた時間とそれ以外の時間をどうマネジメントするかということ。僕自身はそこで勝負をしようと考えていた。自分を使っての実証だ。

ほぼ毎日サッカーをする機会がある大学生選手やJFL選手に対して、自チーム練習週1回、国体練習週1回の僕がどこに活路を見出して、狭き15人さらに11人の中に入り込み、闘えるようにするか。サッカーがスーパーに上手ければ自然と選ばれるが僕は凡人でほぼ無名。もう考えて取り組むしかない。

サッカーから分解した僕に足りない必要な要素を構造分解し、それを改善するエクササイズを構築し、それを日常とトレーニングに落とし込むのだ。

今何をやるのか『タイムマネジメント』

サッカーをやるときはサッカーをやり、仕事をするときは仕事をやり、フィジカルコーチの時はフィジカルコーチとしてグランドに行き、学ぶときは学ぶ。そして、アスリートとして動けるときは動く。(仕事や日常生活でも軸や腹圧、呼吸、階段登るときは臀筋とハムストリングスを意識するなど地味なことをしていた。地味なトレーニングを日常に落とし込むのだ。さすがに四六時中ではない。そこまで変人にはなれていない。)

平日の滑動はだいたいこんな感じだ(水曜日を除く)

朝5時30分起床→7時頃職場→学習・トレーニング→9時業務(理学療法士)開始→13時〜14時30分昼休み(15分のトレーニングと15分の情報収集、あとは昼食と昼寝とフリータイム)→18時30〜19時30分の間に業務終了(稀に20時頃もある)→直帰orラン(終業時間次第)→晩御飯・お風呂→20分間ストレッチとながら情報収集→22時30分頃就寝
水曜日は午後からは高校のトレーニング指導に行き、6月からは夜は国体の練習と水曜日はなかなかハードだった。土曜日は朝7時から石田塾(所属チームの希望者が参加する伸び代づくりの時間)で9時から13時まで仕事をし、それ以降はグランドに行くかジムかスタバか。そして帰宅後は同じルーティン。

誰が凡人のスケジュールを知りたいんだ。となるが、伝えたいのはそこではない。時間は有限だからタスクや目標に応じてマネジメントをする必要があるということ。(しかし、僕の場合はこのマネジメントで最終的に内科的なコンディション不良を引き起こしてしまった。国体活動期間に4度の大阪講習と最後のトレーニングマッチ当日は対馬で前日から講演をしていたので、終わってから飛行機で帰ってきて高速飛ばして参加した。)振り返ると睡眠の時間を8時間確保しておけばよかったと思う。(科学的に睡眠時間が8時間未満の選手は障害リスク1.7倍、コンディション不良を起こしてしまうリスクがあると報告されているから)後は、スケジュール管理だ。詰め込みすぎでルーティンが崩れる事は僕には合わないと身体が証明してくれた。いつかはそのルーティンが崩れても大丈夫な身体をつくるか、ルーティンを崩さなくてもやりたいことがやれるようにするかの二択だ。


この経験をポジティブなものに変換する。経験したからこそ語れるものがある。

結果的に、去年は25人で落選から今年は16人のバックアップメンバーの段階で離脱。いやいや、結果出ていないじゃん…と。そう、出ていない。全く満足していないし、めちゃくちゃ悔しい。扁桃炎が再発していなければ長崎県代表としてレベルの高いサッカーを選手として体感できる環境が手の届くところにあったのだから。この日のために生活してきて、自分のコンディション不良が要因で目標を目の前にして実現せずに終わってしまった。

学生時代に怪我でつくづくコンディションは大事だと嫌ほど経験し、理学療法士・フィジカルコーチとしてもコンディションは大事だと医学的に学んだ(ましてやその方法までも学んでいる)のにも関わらず、自分自身の内科的なコンディション不良までも経験する事に。(一昨年に右膝内側側副靱帯損傷+前十字靭帯損傷、大腿骨内顆不全骨折。去年は左足関節外側側副靭帯損傷しどちらも自分でリハビリをしている。予防しろよって話だが。膝に関しては広島国際大学の蒲田先生に奇跡的に講習中に治療少ししていただいた。)でも、ここまでの怪我やトレーニング過程からコンディション不良での離脱も含めての経験が今後、理学療法士・フィジカルコーチとしての糧となることは間違いないし、そうしなければいけない。

国体出場し、上のレベルは高かったと肌身で感じて、高校生の選手たちにリアルな情報を届けれれば1番良かったのだが。でも、少なからず九州リーグに所属する大学生のレベルはこの短い期間で体感できた。
このことはフィジカルコーチをする身としても、進路相談を受ける身としても、大学でサッカーをしたいという選手への対応の幅も広がるし、経験値0の段階よりも言葉の選択肢は増える。生徒は出会った人によって作られる。(生徒だけでなく、成長が終わることのない大人もそうかもしれないが)学校では担任の先生を選べる訳ではない。出会うべき人を選択する思考を持ち合わせている学生、出会った人から何かを得ようとする学生は普通に生活を送る学生よりも成長度合いに差が出るのではないでしょうか。(勘違いして欲しくないが、あの人は駄目だと批判するのではなく、人はすべての人によって生かされている。高校時代に聖書でこんな感じのことを聞いたたような覚えがある。)話が逸れましたが、進路相談を受けるということはその子の人生の選択に関わるということだ。そういう立場に就かせてもらっているからには、今の経験値のまま僕が簡単に口を開くことはできない。(とは言っても、今でも慎重に言葉を選びながらコミュニケーションはとっている。この記事を見た選手の中で、しょうさん言葉選んでないときありますよって時があったら直ぐに教えてくれ。)

なかなか長くなってきてますが、もうしばらくお付き合いください。

ここまで長々と書きながら、ただの理学療法士、ただのフィジカルコーチ、ただのアマチュアプレーヤーが何を書いているんだと思う人がいるでしょう。(いや、そんなに多くの方の目にとまることはないからその心配はそうしなくていいかもしれない。ここまで長くなるとは思わず読み始め途中で読む気力がなくなった方もいるかもしれませんね。)そんな視線よりも、本当に理解してくれる人は、自分の為の情報だと理解してくれるはずです。(僕が弟の同級生でクラブの後輩でもある、元大分トリニータユース出身の福田将太さんのnoteに物凄いパワーを感じたように。)

人を変化させる前に自分を変化させる

今回のチャレンジで国体成年サッカー競技の長崎県代表を目指しましたが、全ては自分の身体を使っての実証のひとつ。

3月から日本アスリートリハビリテーション協会(JARTA)の講習を受講していますが、その際に『自分の身体の変え方を分からない人が他人を外から見て動きを変化させることができるのか』と、自分が思っていたことを発信する人がいると勇気をもらった(実際に変化させれる人はいるのでしょうが)。それ以来、講習での学びがおおいに活き、身体に関しての成長は日々向き合いながら感じていた(身体の成長は各選手で求める動きが違うのであくまでも僕がこうなりたい、こう動きたいというものに関して。前にも述べたが、それに必要な要素を分解して、そこからトレーニングを構成した結果)。どこで変化を実感したかは、去年の国体選考の時よりも高い強度でトレーニングを課されても、大学生相手にプレーできたというところ。去年はめちゃくちゃしんどいながらプレーしていた。持久力があればやれる問題ではない。相対的なフィジカルが必要となる。現に20分を超える長距離有酸素トレーニングは基本的にしていない(素走りを否定しているわけではない)。時間が限られる中でサッカーに近づけたトレーニングをサッカー以外で実践し、サッカーができるときはアクションを意識し強度を自分で上げていた。(それでも選ばれなかったが)。去年の経験があったから今年の準備ができたことは確かだ。その場に足を踏み入れないと自分の立ち位置なんてわからないし、変える基準もわからない。先ずは自分を知ることから始まる。

JARTA×手本力と武器を備える

目指しているところに対して、自分に必要な事を考え抜くことができ、計画を立て、遂行できるかどうかが重要ではないかと言うこと。(本当は国体メンバーに選出されてこの発言をしたかった。負け惜しみや言い訳と捉えられても構わないが、挑戦したことが叶わなかった人の発言も誰かしらのエネルギーになることもあると勝手に思って発信します。)


そうは言っても、サッカー選手が自分でそこまで分析して自分でトレーニングできますかって話。それは難しい。そこがアスレチックトレーナーやフィジカルコーチの役割。
様々な意見や情報がある中で、僕は長崎県でサッカー選手に特に強い理学療法士であり、フィジカルコーチであり、"手本力"を備えた理学療法士・フィジカルコーチでありたいと思っている。(もちろんサッカーに必要な要素は他の競技に通づるものもあるし、他の競技から得られるものもある。)

歳を重ねれば手本力は下がるとの声が聞こえそうだが、そうならないように向き合うし、それ以外の武器をその時は出すまで。まあ、準備していなければ武器なんて簡単に出ないんだろうけど。

書き出したら止まらず、ダラダラと何者でもない僕がここまで書いてしまった。(まだ続きますが)

自分の価値と人が求める価値。何に価値を感じ選択し、行動するか。

武井壮さんが『人が求める数が価値』だと言っているように、世間から見ると国体選手はお金は発生しないし、側からすると価値はなく僕にファンがいるわけではないので一つのステータスに過ぎない。ただ僕はそれまでの思考過程に僕なりの価値を見出した。これは自分だけの価値観であり、財産でもある。
側から見れば、サッカーなんてやらずに真面目に医療・トレーニング・治療のことを勉強しろという人もいるかもしれません。そう言われないために勉強も少しはしています。少しじゃなくてガッツリやれよって話なんですが。少しの基準なんてその人次第。(本当に少しかもしれません)

まだ続くのかと思われてるはずなのであと少しにします(本当に少しかはわかりません)

選手目線でいることで得られることはたくさんある。

メンタル的な要素でいうと、こうやって本気でメンバー入りを目指し落選したことで、高校生のメンバー外の選手への向き合い方のヒントを得ることができる。成功者には話せない部分。(負け惜しみです少し。そう、非常に悔しいのです。)

その他にもあるが…

『何が最適か考え、考え抜いたうえで提供する人のトレーニングメニューを受けるか』
『何も考えず提供する人のトレーニングメニューを受けるか』


僕が選手なら間違いなく、迷いなく前者を選ぶ。と言うことは、選ばれる理由を作り出さないといけない。逆を言えば、選ばれない理由を可能な限り排除し続けなければいけない。
僕は今はチームに所属させてもらっていたり、クリニック勤務なのでそこに対象者がいます。そのチーム契約が解消されたり、クリニックの名前が外れた時に生きていけますかと。

お前は何者か。『理学療法士であり、サッカー特化型フィジカルコーチであり、アスリートである。』

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僕が知らないだけで元Jリーガーで理学療法士でフィジカルコーチなんて方が他所にはいるかもしれない。僕が学生ならその人が情熱も兼ね備えていればトレーニングをお願いしたくなる。残念ながら僕は元Jリーガーではない。1度はプロを目指しながらも理学療法士の道に進み、未だアマチュアサッカーを本気でやっている、理学療法士であり、サッカーに特化したフィジカルコーチで、僕が小中高でプロを目指していた時に出会いたかった人を目指している人間だ。

現代でいう数多くのプロサッカー選手とパーソナル契約を結ばれている樋口敦さん(ヒグアツさん)、KOBAトレで長友佑都選手や久保建英選手などの数多くのプロサッカー選手を指導する木場克己さん、日本アスリートリハビリテーション協会の創設者であり、プロサッカー選手やその他のプロ競技の選手と契約をしている中野崇さんのような存在だ。(中野さん以外はお会いしたことはなく、勝手に実名をお借りしてすみません。)

もちろん長崎にも素晴らしいサッカー指導者の方々がいますが、身体の事を教える人はそう多くいない。サッカー特化型となると尚更なこと。(僕が知らないだけでそういう活動をされてる方がいるかもしれませんが)このままでは僕も知られないまま月日が経ってしまうかもしれない。僕が知られることが目的ではない。長崎でサッカーで高みを目指す子のフィジカルと思考のスタンダードが変わらない、変わらないどころか自分を高めるヒントを知らないまま成長するのは勿体無い。(僕は子供目線・親目線・指導者目線いろんな目線からできるだけ客観視するように努めている。自分の中に複数の目を持つのだ。僕がそのそれぞれの立場で見たときに選ばれるような人間である必要があると思っている。自分が自分を選べないようであれば他人から選ばれることは難しい。)

ただ、何者か知られていないのが現状だ。

まだまだ知られていない凡人。選手のために土俵に今すぐ上がれ。

このままでは、情報を求めている選手に出会う機会は限られてしまう。(僕が強烈なサポーターに出会えてなかったように。いや、知る人は知っていると思うが最も強烈なサポーターは両親だ。そこは置いておいての話だ。)子供達や選手がどんな情報を求めているかはわからないが、サッカーをしてきて、医学的な勉強もしてきた中で"身体の土台づくり"は本当にサッカー人生を大きく左右すると感じている。

長崎でプロを目指す、サッカーが上手くなりたい選手の身体的土台をつくる人”石田將”


無名の若造が何を言ってるんだと言われそうですが、再発した扁桃炎による高熱で頭が少しおかしくなったということにしておきましょう。(でも前から思ってます。それか前から頭がおかしいかですね。)

そろそろ終わりますね。
この分を書いている今も安静を強いられている。本当は暑さなど気にせずグランドに行き、選手とトレーニングをしたい、ジムでトレーニングをしたい。その思いを紛らわすというか、今の状況でもできることがあると読書をして触発され、誰も求めていないであろう僕の国体落選とそこで得た思考過程、JARTA講習を踏まえての思いの丈を書いてみました。(安静を強いられてなければこのnote は存在していなかったかもしれません。誰が求めてるかわからないですが。)コンディションさえ良ければ入っていたとかそういうことを伝えたいのではない。伝わる人には伝わってくれますかね。

ビジョンを描け。そして邪魔をさせるな。

僕は縁あって理学療法士になって半年でスポーツ現場に携わることができました。しかし、専門学生時代、スポーツの道は狭いからやめろと言われたり、実習地の先生に悪意は無いにしろ、サッカーやりながら理学療法士なんて無理と言われてきました。

だが、社会人生活4年半。理学療法士、サッカー特化型フィジカルコーチ、アスリートの3つのステージでいろんな経験をしながら日々楽しんでいる。誰しも経験したことがない領域は否定したくなる性質を持っているもの。悪意あるドリームキラー、善意のドリームキラーどちらもこの世にはいますが、(ドリームキラー:夢を邪魔する人)決めるのは自分です。(プロを諦めてこの道を選んだのも自分です。その道を進む中で道を阻む人は時々現れます。)
ぼんやりと過ごしていたら、10年目なんて直ぐそこ。経験年数が経過年数にならないように。
とにかく自分がやりたい分野で動く。熱量を持ち続けながら。ただ、火はだんだんと小さくなるもの。時に油を注ぎながらその熱量が冷めることのないよう向き合っていかなければいけない。

散々、意識高い系で書き走ってきましたが、馬鹿真面目に長文を書いて自分にプレッシャーをかけたので、そのプレッシャーとしっかり向き合うために、まずは体調を治します。(治ってないのかって話なんですが、慢性扁桃炎に移行し手術の話もでています)

価値を理解し、人として尊重してくれる。たどり着いた先は…

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選手にコンディション整えろと散々選手に言ってきたこの僕がこんな状態であることは伏せてましたが、チームの理解もあり、選手へ言葉を選びながら僕の状況をスタッフが伝えてくれたようです。(選手の中で、あいつ自分の体調管理できんのに、俺らにそんなこと求めんのかとなる可能性もあります。いや、出来ないことを人に求めるとそういう流れになるのは自然のこと)様々な思いを抱える中で
『体調崩す時は崩すさ、お前も人間やもん』『からだが資本』総監督、監督からの言葉。申し訳なさと、感謝と、その他様々な感情と…
とりあえず早くグランドに行きたい。そして、このチームで全国に行く。選手のみんな行くよな?去年、新チームスタートした時にみんなで話したこと覚えてるか?埼スタでプレーするんだろ?思うのも目指すのも自由だ。

締めないといけないのに熱さが邪魔をしてくる。(熱さに邪魔をさせてはいけない)こんな思いを感じれるのも、経験ができるのも、職場の理解やチームスタッフ、保護者、親、関わる人達のおかげです。

そして対象とする人、チームがいるから理学療法士・フィジカルコーチが存在できるのです。全ての基準は対象者ありきです。

その対象者に、選択され続ける者であるためにこれからも日々を楽しんで成長していきます。いずれは僕らをマイナスのアクシデントで必要とすることがなくなる日を想像し、実現に向け動き続けます。

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ここまで読んでくれた熱いモノ好きで優しいかたはいるのでしょうか。

最後までありがとうございました。

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少し休んでまた走り出します。(歩くかもしれません)(効率のいいトレーニングは考えられたレストが必要。人生も同じ。)

次回の投稿があるかは未定です。












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