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私のアナザースカイ

四国は伊予・松山に3人の男がいた
-坂の上の雲 オープニング-

渡辺謙のナレーションで静かに始まる壮大な物語が描かれたNHKスペシャルドラマを覚えているだろうか。

司馬遼太郎を知らない私であるが、なぜかこの冒頭のナレーションは放送されてから何年経っても耳に残っている。

それはなぜか。

このドラマの初めは松山を舞台にしている。道後温泉も松山城も出てくる。

かつて私は昔、一時期松山に滞在していた。治療のためにだ。

だが、その当時の松山を残念ながらあまり覚えていない。

微かに残ってる治療施設の記憶と、熱々の道後温泉と坊ちゃん団子、市電、そして故郷に帰る前にプラネタリウムに連れてってくれたことくらいであった。

なんべんも親から松山時代の話を聞かされたり、アルバムを見返したりしていたからだろうか、松山を舞台にしたこのドラマが放送されたとき、惹かれるようにストーリーと、かつて過ごしたあの街がすごく気になった。

明治時代の話が好きで建物も好きでという風変わりな興味もあったが、なによりもかつて過ごした、けれど記憶の向こうにある街の話だ。

学生時代にふと思い立って松山の街写真を検索したら記憶の底からかつての思い出が次々に蘇ってきた。いてもたってもいられず1日後にはゲストハウスを探していた。3日後には松山行きの切符を手にしていた。

人生初の1人弾丸旅行の行き先は、そう。松山。私のアナザースカイ。

それからは卒業するまで年に一度、春に訪れた。記憶の底にあったゆかりの場所を巡り、卒業直前に訪ねたときはやっとプラネタリウムの扉の前まで辿り着けた。

もちろん坂の上の雲ゆかりのところも外さない。お城ではマドンナが桜の向こうに立つ姿があまりにも美しくてため息が出た。

そしてゲストハウスを毎回同じところにしていたらオーナーさんと顔見知りになり、お友達も知り、全コンの繋がりでろうの友達とご飯を食べに行き、その席でまさかの共通の先生を知っていたという奇跡も起こった。

いつか戻りたい、一度は暮らしてみたいと何度も松山に想いを馳せていたが、今は行けれない。自由に旅ができないが、それでもあの街を、空を思い出すと心がどういうわけか暖かくなる。

ありがとう。坂の上の雲。ドラマが放送されたから、あのどこか心焦がれるような夢を追う物語があったから、ここまでやって来れた。私にとっての大切なアナザースカイを想うことができた。

旅ができるようになったら再び訪ねたい。今度は松山のどこへ行こうか。会いたい人に会いにゆこうか。

そしていつか松山をゆかりの地として関われたらいいなと思う。

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