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たまたま残っていた下書き

「あれ、下書きが残ってる」

ふと開いてみると、そこには何も書いてない、ドラフトでも何でもない、ただの白紙が広がっていた。これは、下書きでも何でもないな...。

冒頭、カギカッコに閉じられた話から始めると、印象に残りやすく話に乗せやすく、課題が明確で落ちがつけやすいだのなんだのと、困ったときの手法の一つとしてあるようだ。そんな事を言っている記事を一つしか見たことが見たことがないので、心底信じられないが、記憶をたどってみれば、そんなこともあったかなぁと思い返せる。

たまたま見かけたものが、自分の想定外だったときに、それをどうやって生かしていくのか。若いころはとても難しい問題だった。準備されたものを、ただ進めていくことはとても楽だった。ただ、周りも見えていなかったので、終わらせることに必死だった。今は。今は、そうじゃない。

アドリブが楽だ。

気がついたら、見たことのない資料でも、目の前に出されればなんとかしのげるようになった。時間を指定されれば、その時間の中でうまく立居振舞えるようになった。昔はどうやってもできなかったことが、自由にできるようになった。話を聞いている人たち、みんなを見ている余裕ができた。与えられたものを、うまく自分のやりやすいように調理して振る舞えるようになった。いつからだろうか。

笑わせたら勝ちだ。

昔は、ただただそれだけで、内容がどうであれば笑わせられれば良いと勝手に考えていた。それは、一つの側面では当たっているけれども、視点を変えたら大まちがいだ。重要なのは笑わせることではなくて、伝えたいことを聞いてもらって、理解してもらうだけでいいのか。行動させられればいいのか。自分の代わりに、すべてを、一人だけで、すべてを成せれればよいだろうか。どうであろうと、目的を達成できればよいのであれば、別になにかをする必要はないかもしれない。にんじんがあればいいのかもしれない。

伝えることは何だったろうか。

白紙を前に自分が思ったことは何だったろうか。今、ここに書いて消えてしまった言葉が一番重要だったかもしれない。もしかしたら、とても大切なことを書いたのに、すべてを消してしまったのかもしれない。

でも、それは、消してしまったら何もわからない。だから、下書きを残しておくのだ。たとえ白紙でも。

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