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一度だけあった、私の人生の大きな分岐点

科学的にどうかは置いといて、いわゆる右脳人間として生まれ育ちました。遠い記憶の彼方で思い出せることは、絵を描いているか、工作しているか、音楽番組を思い描きながらギター片手に歌ったり、踊ったり。与えられた何かを作ることもありましたし、自分で創造して設計して新たな何かを作るマイブームもありました。

時はすぎて、今ではしっかり理系として、論理的に受け答えができるようになったかもしれません。たとえば、理知的に行動できるようになったり。理性的でもありますし、分析を行い、仮説を立て、計画を立てて行動できるようになりました。それでも、ほとんどの問題の解は直感です。過去の多くの経験から直感は思い描かれるものだそうですから、この直感は右脳的ではなく、左脳的なもので論理的に瞬時に導き出されたのかもしれません。ただ、経験のない頃から、直感は大事にして生きてきました。若い頃はそれでよく失敗しましたが、学習を重ねることによって、直感に論理的に肉付けをしていくことで回避できるようになりました。私個人としては、それでも、今でも右脳的に生きているなーなんて感じています。ただ、ちょっと大人になっただけ。絵を描いたりすることもほとんどなくなったし、踊るのはPerfumeに強制されるときだけだし、工作も数年に一度ガンプラを触れば良い方でしょう。ギターの練習も諦めました。ただ、単純にコンピュータの世界が好きになっただけなのです。

でも、この世界に生きるつもりも、来ることも考えてはいなかったんです。

人生は選択の繰り返し

これからする話は、三女の中学校の卒業式のとき、わたしがPTA会長として中学生へ贈る言葉の中の一説にも出てきた話です。

「人生が変わった」なんて時は突然やってきます。ただ、その道程が変わるのは、もともとその道があったからです。突然存在しない道に飛ばされて、致し方がなく、なんて事故も人生だもの、あるかもしれません。でも、人生のほとんど大半は自分が選択を繰り返して、自分の人生を歩んできているんです。人生が変わったんではなくて、ただそれを選択しただけです。その選択は、人生に大小数あれど、選択を繰り返してくることが人生そのものです。だから、日々の小さな選択も大きな選択も、自分が選ぶことができることに感謝しながら、最良の選択を考えてほしい。そんなことを生徒たちに伝えました。偉そうに。

先生に言われた、一つのこと

わたしが、人生を大きく変える選択をしたのは、そんな言葉を送った中学3年生と同じ年の頃。15歳のときでした。当時はまだイラストレーター&デザイナーを夢見る、一人の右脳型中学生でした。その頃にはもうバブルも弾けて、就職も難しくなるであろう、そんな世界であることも知らない、社会を知らないバカでした。それでも、直感だけで生きてきたわたしは、ずっと絵を描き続けるんだと信じていました。だから、志望校の工業高等専門学校も「工業デザイン科」と記して担任の先生に提出しました。「お前は、パソコン好きなんだから、情報工学科じゃないのか」と藪から棒に言われました。トンカチでガーンと頭を打たれたとか、雷に打たれたとか、ありきたりな形容しか思い浮かばないというくらい、ひどくびっくりしました(当時のしょっさん少年談)。

このときに思ったことは「あ、そういう風に見られてたんだ」です。その直後か、しばらく経ってからかは忘れましたが、先生から、次のような話を聞きました。

志望校提出のもっと前、家庭訪問で、先生が家にやってきたんです。たまたま前倒しで進んでいて、先生が少し早めに着いたことと、母親が仕事で少し遅れていて、担任の先生と二人きりでしばらく家にいる状態になったんです。ちなみに残念ながら、担任の先生は若かった気がするくらいの、もうすぐおっちゃんになろうかというくらいの先生です。いい先生でした。遠藤先生元気かな。生きていたら、もうおじいちゃんだと思います。さて、その先生が来たとき、私と言えばいつもどおり MSXで遊んでたんです。遊んでいたと言うか、プログラム書いてたんです。そう、中学生の頃には、絵も書くわ、プログラムも書くわという二足のわらじ生活をしていたんですね。それで、実はコンピュータに興味があった先生、色々とMSXについて質問をしてきて、それで一緒に遊んでいたんです。しばらくして、母親が帰ってきて、われわれ二人を見て何してんだとびっくりしていたの覚えています。そのとき、そのMSXをいじっていた私を見て、遠藤先生は「コンピュータがほんとに好きなんだなー」と感じたらしいんです。それからしばらくして、先生は FM-TOWNS買ってました。憎たらしい。しかも「子どもが生まれたばっかりだから、お前らは遊びに来るな」とか、仕方ないにしても、なんで遊びに行こうとしたのバレてんだ。エスパーか。

まぁ、そんな感じの先生でして、多分、当時はある程度尊敬していたんだと思います。自分はずっとその頃から中二病のままなので、人を尊敬するとか、ロールモデルを見つけて目指してるんだ、なんて事は考えてません。自分が尊敬される側で、俺がロールモデルになってやるんだ、って側です。中二病なので。だけど、今思い返すと、「遠藤先生が言うんだったら、そうなんだろうなー」って、瞬時に志望学科を変えたんです。提出して「ちがうんじゃない?」って言われての、眼の前での即修正です。母親は、今でいう生活全般以外に関しては、ネグレクトたっぷりの人だったので、どこを選択するかとか、勉強をするとかしないとか、教材が必要とかどうとか、そういうのは一切気にされない人でした。だから、親のことを考えるまでもなく、とっとと学科を自分の意志で選択して、決めることができました。今考えると、人生を大きく変えるような選択を、こんなカンタンに決めてしまったんだなーと思いながらも、良い選択したぞと中学生だった自分を褒めてやりたいです。たくさんの人生の選択の中でも、最良のチョイスだった。中二病だったくせに。

選択を直感に委ねてしまっても良い

直感野郎が、なんで論理的構造物のようなコンピュータを持っていたかについては、今度機会があったらどっかに残しておくつもりですが、こうやって私は人生の道を大きく変えることを選択しました。変えたことによって、今の妻と出会い、どんなに頑張っても天才には大きく及ばないんだという経験をさせてもらい、名うての外資系企業で働くに至りました。今ではもう成人した子も含め、娘が四人います。この人生の流れは、志望学科を変えたことによってできた、新しいしょっさんの人生だと考えています。そんな大きな選択を引き起こした、一人の担任の先生は、ほんの一年の付き合いだけだったにもかかわらず、今でもこうやって私の心の恩師として生き続けています。理科の担当で、ちょっとぼーっとしてて、何か良いことを教わったような気は全くしてないんですが。ただ、あの先生の言うことは絶対正しい、という直感が今の私をここにいさせてくれています。

未だに、そんな直感で人と付き合ったりしていますが、このような変化をもたらせてくれる人と、また出会うことはできるでしょうか。これからの人生も楽しみに生きていきます。

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