続・うちにはテレビなんてなくていい。
noteで記事を書かなくなって半年以上が経過した。
それでも他の人の記事を読んだりはするし、
1週間に数回はnoteにアクセスをしている。
そこで驚くのが未だに通知バッジが付くこと。
・あなたの画像が他のユーザーに使われたよー
・前に書いた記事にスキがついたよー
・ずーっと前に書いた記事にコメントきたよー
って教えてくれる。
そんな中で一番多いのが「画像使われたよー」っていう通知で、これが数百回使ってもらえてて何気に嬉しい通知なのです。
△よく使われている画像
そして2番目に多いのが「記事にスキがついたよー」っていう通知なんですが、未だに多くスキが付く記事って決まってこの記事なんです。
もう10年くらい自宅にテレビがない生活をしてきて、改めてテレビの不要さを再確認させられたことを書き留めたものでした。
この記事を書いてから1年半が経過して思うこと。
テレビ、おもろいやん!
Youtubeとか普段触れることのできる映像メディアの選択肢が増えた現代でも、まだまだテレビにしか出来ない領域、テレビにしか出せないコンテンツ、もしくはクオリティがあるんだなーっていうこと。
それでも結局は
うちにはテレビなんてなくていい。
そう言い切れる。
その理由について最近感じていること。
それは...
視覚を使う媒体には行動を縛る作用がある
テレビを観ながらできることってすげー限られるくない?
これはめちゃくちゃ大事なことだなーって感じてて
テレビでもYoutubeでも新聞でもウェブメディアでも本でも
視覚を使う媒体から情報を得ようとすると
その媒体がある場所に自分の体を縛り付けることになる。
対してラジオとか聴覚だけを使う媒体は
聴きながらできることが視覚を使うものよりかなり幅広くなる。
人間はマルチタスク処理ができる生き物だけど,,,
見える情報と聞こえてくる情報と触れているものの情報など
人間は生まれながらにしてマルチタスクに情報を処理している。
それでもどれか一つの感覚から得る情報を最大化するためには
他の感覚を閉じなければいけないという特徴がある。
観ることに集中したり、
聴くことに集中しないと
中途半端な情報しか処理できない。
少なくとも僕はそうだ。
そんな人間という生き物が目的もなく、ただ習慣になっているというだけでテレビに時間を費やすって時間もったいなくない?
仕事行って
帰ったら家族との時間を楽しんで
気付いたら寝る時間で
やらんとあかんことが後回しになってて
もっと自分の時間も欲しくて
行きたいとこもあって
ただでさえ時間足りないなーってなってんのに
テレビなんて観てたら
そら家族とのコミュニケーションもなくなるわ。
面と向かって夫婦で話す時間だったり
子どもと一緒に遊ぶ時間だったり
将来のことを計画する時間だったり
友達と会う時間だったり
「なんとなく」テレビを観る時間が増えるくらいなら
他のことに集中して感覚を使う時間を増やしたい。
僕がテレビなんてなくていいという結果になる理由はこれだ。
「なんとなく」で感覚を使うことも必要だ。
でもそれが習慣になるのは自分の中では違った。
だからこそテレビを見ないことを
生活領域にテレビを置かないことで習慣化したんだ。
よろしければ、サポートお願いいたします! 家族に美味しいものをご馳走しようと思います。