なんだか気持ち悪さを感じた話

ノー編集 ノー推敲の読みづらい記事

写真の勝手な投稿をするファン

僕が「あ、気持ち悪いな」と思ったのは以前オーディションの時にあった制度でたまたま選ばれただけのオフィシャルサポーターが、その後のオーディションでも何か特別な役割を担っていると勘違いしている様子だ。一部の元オフィシャルサポーターではあるが、なんの権力もセンスもない一般人でしかないのは自明なのだが、勝手にオーディションの参加者の女の子を選んで恐らく許可なく写真を保存・投稿し、俺は応援してるぞと宣伝しているのを見かけてしまった。僕だったら思わず(今のオーディションに全力なのは当然だが、リツイートで拡散効果は十分で、自分の手で制御できない勝手な投稿での)顔写真の拡散はやめてくれとすぐに言ってしまうだろう。しかし、これも僕がオーディション参加者の「そんなこと言って評判が下がったらと思うと従うしかない」という気持ちを忘れた勝手な想像なのだろう。一歩踏み込んで相手の立場を考えるにはやはり少し時間がかかる。他人の投稿は自分では消せない…今はそのオーディションに精一杯頑張っていても、結果が分かった後、あるのは実生活だ。頑張ったはずがSNSに無暗に写真を置いてしまったことで傷を残すことにはなってほしくない。ヲタクにとっては過去の貴重なお宝写真かもしれないが、それは勝手なヲタクの妄想で、そんな人間に古参を名乗られたくはないだろう。売れていない一番初期に何百万とお金を使って応援していたというなら古参を名乗る資格はあると思うが、たまたま知っていたとか少し昔の写真を持ってるとか、そんなことで古参を名乗られたら新規ヲタクにも心証が悪いし、アイドル候補生も内心堪ったものじゃないだろうな。でも言い出せないのだろうことも重々承知しているつもりだ。こうしてどちらの考えも検討すると、やはりヲタクだけが相手の気持ちを分かっていないということになる。その応援が本当にその子にとって有難いことなのか、ありがた迷惑なことなのか。ヲタク自身には理解できていないという自覚をもつ必要がある。アイドルや候補生にとってどういった応援方法が適切かというのは個別であり、ヲタクが合わせるべきものだ。合わせられないならそっと離れて近寄らずにいるべきだ。もちろん説教もアンチもすべきではない。合わないのなら自分が手を加えずに、関わらずにいるべきなのだ。アイドルや候補生を自分に合わせて変えようなんてあまりにも烏滸がましい。ヲタクにとって必要なのは勝手な盛り上がりの前に、自分のやり方がその子にとってうれしい応援なのか聞いてみる勇気が必要だと思う。アイドルになるのだから写真を使われるのなんて当然と思っているのならば、超有名芸能人だって本当はファンだからと言って勝手に肖像を使われることを完全に快く思っているわけではないということを知ってほしい。ましてや自分は全ての女の子たちにとって見知らぬおじさんであることを忘れないでほしい。実際女性というだけで男性の数十倍セクハラやおかしな誘いを突然受けながらもアイドルを目指す女の子の立場にならなければ、その辺のおっさんの熱い気持ちも、いいこと言ったつもりの説教も全く響いていないことも分かっておいてもいいだろう。いい年なのだから。

表層部分だけのイメージと実際の内部の深い部分の事情

運営も相当慎重に人を選ばないと一介のキモヲタに権力を持たせたら面倒でしかないことは簡単に分かるはずだ。ほかの記事で、運営自身がヲタクを前面に出したスタイルで審査を行っている所もあるという話を書いたが、これもまさにその一環なのだろう。アイドルの夢に貢献だけでなく、ヲタク君の夢もかなえてあげたいということだろうか。どうしてこんなにヲタクに権力を持たせたがるのか、僕の考えではこの記事のタイトルが全てだと思った。

アイドルはオタクが創る メンバー選び、広告も出す: 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56166970Y0A220C2000000

僕は個人的に、ここでは出場しているアイドル候補生たちは息苦しい部分も多いだろうなと思った。ヲタク君を盛り上げるために評論家ヅラをさせて付け上がらせ、まだ誰の支えもない一個人である出場者たちの立場をこれでもかと弱く小さくヲタクにも運営にも逆らえないようにされているなあと感じた。傍から見た分には中々面白そうとか(僕もその一人だ)、マネタイズという面ではある程度成功してはいると思うが、実際見ていると、某アプリ自体のファンや、誰かしら俺が目を付けた子がアイドルになったらいいなという「古参名乗りたいヲタク」が勝手なマナーを作り出したり、出場者にこんなやつがいると吊るしあげたり、そうした一部の悪質なメンバーが束になって中傷し辞退に追い込んだりと、出場者たちを苦しめている様子を目撃した。僕の見解では、その原因は「アイドルはオタクが創る」のオタクを自分自身のことだ自分には何か力があると勘違いしているオタクのせいだと思う。このオタクというのはまだ見ぬたくさんの新規ファンであり、他人であると考えなければビジネスとして売れるアイドルを作ることはできないだろう。だが、結局は何を言っても最終的に選ぶのはクリエイターや運営会社だ。それに気づいてしまったオタクは「この子にはなってほしくないな。でもこの辺ならだれがなってもいいや。今のうちに唾つけとこ。」という排除型・オーディション時からの古参名乗りたがりの応援をしたがるようになる。オタクに与えられた力というのは金と悪評を流すこととなってしまった。

そして、まさか一部の運営側の人物にも同じようなやり方で、ゴリ推しという責任を逃れつつもある程度趣味を反映するために自分の好きではなく、嫌いを排除し残りはプロデュース陣に任せるというやり方を編み出してしまう者が居たとしたら、哀しい生き物だなと思う。それが生き甲斐というものなのだろうか。グループに対して気持ちの悪い自分事としての思い入れ方はグループのためではなく自分の為でしかないことをどのくらい自覚しているのだろうか。言い訳をするのが得意になってしまう大人には僕はなりたくない。というのは僕の独り言だ。
例えばコミュニティや拠り所が仕事しかないだとか、一つしかないと異常なこだわり方をしてボロが出るらしい。そんな人間に審査されては堪ったものではないな。

ほんの少し覗いただけでこうした現場を目撃すると、ヲタクにできることはせいぜい金を出して応援することだけでいいのだと、つくづく僕は思う。ヲタクはいい人間ばかりではない。純粋に誰かのファンでだけ居ればいいものを、多くは誰かのアンチをする。自分に合わないだけなのに勝手に相手のせいにして批評して、他を下げながら自分の応援しているアイドルを上げようとする。そのやり方で喜ぶアイドルは果たしてどのくらいいるだろうか。自分の良さを語る人はうれしくとも、わざわざ他の同業者や有名人をけなしているところを見かけたら、いつか自分がこの人ファンの気に入らない行動をすればこうやって手のひらを反すのだろうなと心に引っ掛かり、心からありがとうと思えなくなるのが人間だ。アイドルを見ているのは一方的なことではなく、自分自身の行動も見られている意識を持った方がいい。実際僕の周りには芸能活動をしている友人が多く、ヲタクについてどう思っているのか聞くことも多いが、やはりキモイやつはたくさんいると語ってくれた。見られているのだ。話を聞くほど一体何歳のオヤジが自分のキモイ言動を棚上げして直さず、自分より10も20も若い女の子に対して神対応を求めているのかと思うことばかりだった。アイドルも、この世に生きる全ての女性も、何でも受け入れてくれる天使や聖女は一人もいない。その上大抵アイドル達は年下の女の子なのだから、自分が譲り配慮すべきじゃないだろうか。今一度自分をアイドルとファンではなく、○○歳の女の子と○○歳のおじさんとして自分が相手に求めていることが正当か見直してみたら如何だろうか。
ここまでまずいオヤジを想定して書いてはいるが、おじさんだから全員がそうだなんてことはなく、素晴らしいファンの鏡である人も案外多いのも事実。自覚がない人ほどこの記事を読んでしまったら腹立たしく反抗したくなるのだろう。こんな記事は関係ない人にとっては自分事ではないのだから特別相手にする必要はないのだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?