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【ネタバレしまくり】映画SANDLAND感想

映画館でゲットしたグッズetc.

映画は公開初日の8月18日にIMAXで観ました。
原作既読派です。と言っても映画化が決定してから読んだのでリアルタイムで読んだワケではありません。
DB熱の続いた状態ではなく年行ってから読んだからか、原作SANDLANDという作品は色々と自分に刺さる部分があって、とても素晴らしい作品だと感じてます。

後半ちょっと?語ってしまっているので、サラッと流す程度にする為にTwitter?バツ?ペケ?ではリンクさせるに留めます。
読んでもらいたいというより自分の中で残しておきたいという意識が強かったのでnoteに書く事にしました。
何となくネットの海に流すボトルレター感覚で書いてます。

思い出せる限り時系列で綴ってます。


初回観た感想ですが、ぶっちゃけ、最初岩場に出て来たトカゲの動きを見て「あ、映像は全く妥協が無い」と思いました。
個人的に神風動画さんと言うと“妥協なんて許さない”くらいのイメージがあるのですが、この冒頭のトカゲで早くもそれを感じました。
それから原作とは違った形の導入…カマイタチ好きな自分としては少々残念ではありましたが(てかめっちゃエエ声ですね、カマイタチw)、人間と魔物の関係性を、原作と異なり夜という背景の中で人間視点から始めていくのは何となく洋画っぽい入りだなぁと。
そこからラオの日常など、人間側の状況を描く事でラオが何故いきなり単身魔物の縄張りに来たのか背景が原作以上に掴みやすくなってました。
更に、ベルゼブブが人間の子どもに水を渡すシーンを敢えて描かずに、子どもからの伝聞+似顔絵と表現するのも、それを補完してるのかな、と。
帰宅後にパンフを読んで「そう言えば」と思ったのですが、この時点でラオのタバコというアイテムがそれとなく印象付けられていたのも、後になって思い返すとクスッと来ると言うかw

後々活躍する?サボテンをここで披露するのは、この段階では何故新規追加されたのか分からず。。

「ゲームは1日1時間まで」byサタン

サタンの威厳凄過ぎ…!
原作でペン入れまでした後で描き直されたという裏話とビフォーアフターが完全版に掲載されていたサタンの登場シーンですが、大塚さんのインタビュー通り、サタンはベルゼにパパとして接しているのに威厳があり過ぎて迫力が凄いw
でも偉ぶっているワケでは決してなく(本読んでるので本人は多分リラックスしてる?)、世界の状況を把握していながら、いつでも人間を簡単に滅ぼせるけど何となく好きにさせてやってる的な、何かもう存在そのものがマジもんのサタンでした。多分部屋が暗くて全身が見えにくいのも演出として効果を発揮してるんだろうなぁ。。
なのですみません…このサタンはたとえ小柄な魔物に目線を近づける場合であっても、とてもヤンキー座りするような存在とは思えませんでした。。(独り言)

61歳の人間のオッサンと2,500歳くらいの悪魔の王子と2,500歳以上のお爺ちゃん

旅が始まり、ラオの車が走り出すと同時にベルゼの少年らしさとワクワク感が一気に押し寄せて来ました。
自分はこの辺りからかな…公式が宣伝で出していた映像が少し進んでは出て来て、少し進んでは出て来て、パズルのように記憶とシーンがハマっていく感じがしたので、逆に続きが気になってしまうというか、どんどん先が見たくなると言う気持ちで映画に引っ張られていく感じを覚えました。

ゲジ竜の迫力凄過ぎw

ラオがタバコを吸おうとして…ゲジ竜の登場。
ここは多分映画の中でも1、2を争う激しさと迫力のあるシーンだと思っていたので、菅野さんの音楽がどのくらい盛り上げてくれるのか、BGMが最も気になるシーンでした。
が、曲に集中させてくれないくらいに映像の迫力も凄くてですね…原作には無いゲジ竜との初っ端の並走がマジで怖いというか、“絶対敵わない相手と目が合ってしまう恐怖”をアニメ映画で体感させてくれるか…!と思いました。
荷台を切り離す時のラオの必死さと、映像ならではの“揺れ”の表現が、観ていて原作以上にハラハラしました。
ので、王蟲みたく動きを止めて方向転換するゲジ竜が車の後方に描かれているのが見えた時にホッとしたのを覚えてますw

原作1話目のラストに描かれているラオの「ガーン…」という独り言が削られた事で、原作で感じていた「正義感強いけど真面目一辺倒のおじさんでは無いんだなw」という鳥山キャラならではの親しみ感が少し薄れていて、全体を通して(山路さんの声の力もあって)ハリウッド映画の生真面目アクション俳優系?に近い印象にさせたいのかなぁという感じがしました。

盗賊団リーダー…口調によって声のトーンの差が激しいなぁw と思いつつ、後から知りましたがシュトロハイムの声優さんだったとはw
自分原作のセリフを忘れていたのですが、シーフの「方向性は王子と似てますぞ」で噴きましたw 確かにw
ここが最初の戦い系アクションシーンになるのかな…ここは迫力と言うよりスピード感が凄かったような。。

シーフのボヤキは何だか和みますねw

番宣でも見てましたが、チョーさんのボヤキがリアルジジイ感アリアリでクスッと来ましたw
Eテレで今でもワンワンされてますが、1度子ども連れてステージを見に行ったことがありまして、途中でチョーさんの水分補給休憩が何度か挟まったのですが、何となく思い出しました。本当にお疲れ様です。

シーフのサンタコスプレですが、ここで使う小道具が後々また活躍するとは思わず(映画限定なので当然分かりませんでした)、更に原作では描かれていなかったヘアスプレーで髪を整えるシーンの追加がきめ細やかだと思いました。が、紫て。色。色の毒々しさよw 視覚的に毒ガスを表すにもヘアスプレーで紫てw
そしてこの先大活躍する戦車104号車がついに登場!
自分はミリタリー系に全く詳しくないので原作のラオの戦車内での動きがイマイチ何なのか捉えにくかったのですが、それを具体的に分かりやすく立体的に映像で分かるように描かれているのがマジ凄いと思いました。
原作だと回りくどくなってしまうような動きや描写は省かれてしまう(敢えて描かれない)ので、鳥山先生の中にしかない構想、イメージ、戦車の設定などが掴み難かったのですが、戦車内部の構造が本当に細かく丁寧に描かれていて、ボタンや装備の位置や設定etc.がきちんとされているので、ラオの行動にも物凄い説得力を感じました。
これ、そもそもの定義付けが適当だとここまで描く事は到底不可能だと思うのですが、パンフ読んで説得力が凄かった理由が何となく分かりました。
自分は存じ上げなくて申し訳なかったのですが、戦車に詳しい方が設定に関わっていたとの事で、マジ納得しました。

「……オレは…伝説と闘うのか……」

アレ将軍との遭遇…この辺から尺の都合なのか“溜め”があまり感じられなくなり、テンポがかなり速くなって行った感じがしました。
それとベルゼの聴覚の良さを強調する、耳がぴくぴくするシーンが増えて来ましたが、当然の様にSHのピッコロさんを思い出しましたw
岩場を砕いて煙幕にしたのは…原作に無いシーンであってもド素人の自分にもすぐ思いついたので、逆に気付かなかったアレ将軍が鈍く感じてしまったり。。
ベルゼとシーフが戦車を持ち上げるシーンは、アレ将軍の攻撃や接近と交互に描写する事で原作以上に緊迫感が増していて、かと言って変に間延びさせて引っ張る事も無かったので、ベルゼとシーフの力が人間の力と基本的に違うのだと感じるのにも十分だったなぁと。

そしてゼウ大将軍登場。自分の中で飛田さんはちびまる子ちゃんの丸尾君やGBの赤屍さんのような、少しトーン高めでどことなく慇懃無礼なキャラのイメージが強かったのですが、やはり多彩過ぎる…!
この声聞いても自分は飛田さんの声だとすぐには分からないくらいのジジイ的濁声…!
しかも根っからの嫌な奴感の醸し出し方が凄まじい…!

岩場で蝶を捕まえるトカゲ。
ラオの車を運転しながら恐竜の群れと並走するシーンがありましたが、砂漠の生き物の描写をあちこちに追加する事で、鳥山ワールド的「色んな生き物の共存」を感じました。

「本当の悪魔は…私の方じゃないか…」

ラオとベルゼ、シーフ3人の夜の語らいと明かされる過去。宣伝でもありましたがセリフの補完と頽れる姿でラオが原作以上に苦悩する様子が伝わって来て見ていて苦しかったです。

スイマーズ登場。超ブロリーとSHでのレモ役の時に「本当に銀さんと同じ声優さん??」と思うくらいにオッサン声を感じましたが、レモのようなオドオドした感じでは無くリーダーっぽい深みのあるスイマーズ・パパのオッサン声に…こんな演技もされるんだ…!と。

ここからは色々と入り乱れて来るので整理しながらの感想が書きにくくなってしまうのですが、戦車同士の戦いが映像化によってより具体的に分かりやすくなった事で、原作以上にやはりアレ将軍がラオと比べてどうしても経験値などから判断が一歩遅れてしまう感が強く出てしまう感じがしました。
これは“伝説”と呼ばれるラオの凄さが強調されればされるだけ、どうしても対照的になってしまうので仕方ないところだと思いました。。
更に戦車操縦初心者のシーフがラオの指示に戸惑いながらも次第にテクニックを磨き上げていく感じが面白かったですw

ベルゼとのテレパシー的な会話…やっぱりピッコロさんを思い出しましたw
基本、魔族で大魔王の後継者として生まれたピッコロさんなのでどこかしら悪魔のベルゼの設定とも親和性があるのかなw

アレ将軍との戦い。原作にはありませんが、金属爆弾でレーダーを攪乱させるシーンはマジでゾクゾクしました。
DBでのスカウターの表示、点滅速度etc.で勢いを感じさせる演出が個人的にとても好きなのですが、レーダーに金属の反応が次々と広がるシーンは特にグッと来ましたw
この辺り時系列があやふやですが、アレ将軍の子どもの頃の写真が一瞬映り込むのは、ラオの奥さんが写ってる雑誌の切り抜きと同じような効果を感じて切なくなりました。。
この辺の補完がいかにもアニメらしいというか、視覚で補える強みなのかなぁと。
そしてマンガだからこそ1コマの中で色んな表情や動きが同時に表現されていたスイマーズの「解散っ!!」のコミカルなシーン…映画ではどうなるのかなーと期待していたのですが、初見ではそれほどコミカルさは印象に残らず。。もう少しちゃんと見れば印象変わるかな…?

幻の泉発見。原作と違ってシーフが靴を脱いで足も泉に浸すのがリアルだなぁとw 砂漠で歩きっぱなしだったり狭い戦車にずっといたらきっとこうしたくなるよなぁと。
そして…自分の最も好きなシーンの削除が。。
ここは語るとガチで長くなるので後述。。

原作以上に迫力のあるベルゼvs虫人間

この辺りから映画オリジナルの設定と流れに入って行きました。
ベルゼと虫人間の大群、ラオとゼウ大将軍との戦い。
ベルゼ…ゴーグル、お気に入りだったんですね。
虫人間が1匹ではなく大群になった事でアクションに迫力がついて、ベルゼの苦戦してる感じも増し増しに。
てか虫人間、自分はてっきりセルの抜け殻色をイメージしていたのですが緑だったんですねw
砂漠で茶色だと保護色になる上に、多数だとより動きが捉えにくくなるからかな。。
シーフの小道具を使って戦艦に乗り込む辺りからハリウッドのアクション映画風に変わって行く感じがしましたが、ラオの61歳という設定が頭に残っていたので、やはりあれだけのアクションをこなすのは年齢的にもギリギリな設定だったのかなぁとか。。
というか実写版も今後のプロジェクトに含まれてたりするのかな?と思うくらいに、戦艦の造りやカメラワークがかなり“実写映画向き”で、更にラオのアクションもリアルに感じました。
戦艦に国王軍がいる事で、原作での単独行動ではあまり感じられなかったゼウの“大将軍”感と軍隊感も増していた感じがしました。
そしてまさかの、ゼウ大将軍のそこって外れるの!???みたいな。
あの足の細さと肌の色も妙にリアルというか、介護が必要なレベルじゃね?と一目で感じさせられるのにあれだけ動き回っている姿に嫌な気持ち悪さがありました('A`;)
不殺を貫く姿勢を見せていたラオなので、どう考えてもゼウにトドメを刺す事は無いだろうと思いつつ、だからこそ映画オリジナルの流れなので結末がどうなるのか分からないまま最後まで気が抜けず…
ベルゼがライジングラッシュみたく空の彼方にぶっ飛ばしてくれましたが、原作以上にゼウ将軍が救いようのないクズに描かれていたので、アレ将軍の砲撃がトドメとならずにベルゼ(主人公)の手でぶっ飛ばされる勧善懲悪?的な改変は爽快な気分になりました。
決着の部分は原作のままでも良かったのでは、という意見がTLで散見されましたが、自分はどちらでも。。という感じでした。

EDではまさかのサタンのサービスシーンがww
DBだとピッコロ大魔王の入浴シーンに該当するのだろうか…それともダーブラ…?
その後のキャラ達の後日譚シーンがEDと一緒に流れつつ、ラオがベルゼの元に来てピッチ人達に届け物をしに行くところで終了。
2時間みっちりSANDLANDを楽しむ事が出来ました。
パンフレット先に読んでればなぁ…もっとスライム注視したのですが。。
完全に見逃してしまったので2回目気を付けて見たいと思いますw

テーマソングに関してですが、ポップな曲調がEDの雰囲気ととても合ってるなぁと感じる一方で、映画で強調されていたのは異種族間における信頼関係が少しずつ構築されていく部分だったので「愛してたいね」と突然始まっても自分にはちょっとピンと来ず。。
歌詞全文を読む限りではラオをはじめとする人間に向けてのメッセージ的な感じなのでしょうか…前向きになれる素敵な歌だなぁと思いました。

一応2回は観ようかなぁと思ってムビチケ2枚購入したので、次は近い内に4Dで観たいなぁと思ってます(´ω`)


…で、ここから先はかなり重い内容になってます。
スクロールバーの短さで何となく想像つくと思いますが、マジですんげぇ長文です。
自分の中でしっくり来なかった点について自分の思うままに書いているので、言葉も表現もかなりストレートです。
映画の世界観にそぐわない勝手な理屈を捏ね回しているので、SANDLAND映画を観て、最高に面白かった!!と思われた方はここから先は見ないでブラウザバックされる事をオススメします。









…よろしいでしょうか?


削除されていた、自分が最も好きなシーンについて。
ラオがピッチ人達に(ピッチ人達には見えないところであっても)頭を下げて謝罪するシーンが実は原作で一番好きなシーンでした。
一番好きというか、刺さったシーンがここだったんです。
と言うのも、この行動はSANDLANDの世界において、ベルゼにもアレ将軍にもゼウにも出来ない、ラオにしか出来ない行動だったからです。
ラオはゼウの思惑にまで想像が及ばず、いちいち逆らいつつも軍人としてゼウに従い、ピッチ人たちを直接手にかけてしまった、と同時に奥さんも部下も亡くしてしまった、いわば加害者と被害者、(後から真相が判明してしまうので仮初めの)英雄と殺戮者、両方の側面を持つ唯一のキャラでした。

加害者と被害者両方の側面を持つ以上、被害者としての視点を強調し過ぎるとダブスタになりかねないのでギリギリのバランス感が必要になると思うのですが、原作でラオがピッチ人に謝罪の言葉を口にするシーンというのは、ラオが加害者の立場として被害者であるピッチ人に向けて最初に取った行動として描かれてました。
なので自分はここは絶対に外して欲しくないなぁというか、外す事はまず絶対に無いだろうくらいに思ってました。
でなければ作品の中で被害者であるピッチ人の存在が置き去りにされてしまうので。
ピッチ人はラオの攻撃によってほとんどが滅ぼされた後、わずかな生存者は被害者として声を上げることもなく、生存していることすら表に出さずに(鳥山先生的救済設定なのでしょうか)幻の泉でひっそりと生きてました。
でも世界が水不足に困り果てている中で、悪魔ですら目の前で苦しんでいる人間の子どもを見かければ水を与える事があるのに、かつて自分たちを利用して裏切った人間たちには一切水を分ける事もせず、心を閉ざして世界との隔絶の道を選びました。
自分達が生き残るだけで精一杯だったのかも知れません。勝手な想像ですが。
そんなピッチ人の生存はラオにとって喜ばしい事である一方で、加害者である自分を直視させられる、いわば避けられない痛みを伴う救済なので「オレもゼウに騙された被害者の1人だ」と言い訳をして見て見ぬふりをしようと思えば出来たはずですが、責任感の強いラオはラオ自身の言葉「偏見によって判断を狂わせた」過去の“青かった”自分が犯した過ちを受け止める事を選んだわけで。
ただ、あまりの罪深さにピッチ人に面と向かって謝罪することも憚られてしまい、でも謝らずにはいられなかったからこそピッチ人からは見えない場所であっても、たとえ声が届かないとしても、その場で腰を90度に折って頭を下げるしかなかったと。

サラッと描かれてますが、それだけの葛藤と苦悩が一度に押し寄せているだけでなく、被害者と加害者の間で生じている距離感のリアルさまでも的確に描かれたシーンだったので、個人的に本当にグッと来たシーンでした。
直接何も出来なくても、その場で自分にしか出来ない事、しなければならない事も理解した上で頭を下げるという行動に出られる、過ちを過ちとして真っ直ぐにきちんと受け入れるラオの責任感の強さと誠実な人柄を表す、社会で生きる人間であれば常に求められている姿勢をきちんと形として見せてくれたシーンだと。
ラオの取った行動は簡単に書くと、自分でも気付かない内に加害者になってしまった時、その事実に後から気が付いたとしても被害者に対して真っ先に求められる行動だよなぁと。
というか、鳥山先生だからこそ、大きなコマで大袈裟な描き方もせず、流れるような1コマとして描いたんだろうなぁと。
(その前のコマのラオのセリフの「…」の多さがラオの中で色々と湧き上がってる心情を表してるとも思いました)
もっと言うと、DBでは端折られがちな部分でもあったので、だからこそSANDLAND読んだ時に凄く刺さったシーンでもありました。
自分にとってラオの魅力というのは戦車を自在に操る元軍人としてのスキル的な部分だけではなく、正義感の強さや反骨精神から来る行動力と柔軟性、
人間では高齢と呼ばれ始める61歳という年齢であろうと、例え人間世界で英雄と呼ばれようと、自分の犯した罪と向かい合って目を背けずに前に進む強さと生真面目さ…人として憧れる、惚れる部分が大きかったんですよね。
多分原作でサタンが感じ取った部分もその辺りで、ベルゼがラオと一緒に行動している理由もそこだったんじゃないかなーと。

で、悪魔もドン引きする悪魔以上の行いをしてしまった人間のラオと、その被害者であるピッチ人の間に立つことが出来たのが悪魔のベルゼだった、というのが鳥山作品として描かれる皮肉っぽさというか絶妙さというか、そこも個人的にはグッと来るというか。
最重要事項として掲げていた幻の泉を見つけたけれど、人間、特に直接ピッチ人を手にかけてしまった自分との接点をピッチ人達は持ちたくないであろうと想像したのか、約束を反故にしてもピッチ人をそっとしておいて欲しいと言うラオに、ラオの人間性を認めていた悪魔のベルゼがさり気なくサポートする、そのベルゼの絶妙過ぎる間の立ち方、橋渡しの仕方も素晴らしいなぁと。
そしてここでピッチ人が唯一話を聞ける、寄り添える人間というのが、加害者でありながら実はゼウに騙されていて部下や奥さんも一緒に失ってしまった被害者としての側面も持つラオになるのかなーと。
だからこそベルゼとの会話の中で必要な物資の情報を伝えることで、ピッチ人はベルゼを介して間接的に人間であるラオとの接点を作ろうとしたんじゃないかなーと。
ピッチ人はもともと穏やかで頭も良く、おとなしく友好的な種族という設定らしいので、いつまでも自分達だけが水を独占して人間と隔絶し続ける事も苦しかったんじゃないかなーとか、これは都合のいい勝手な妄想ですが。
で、原作のラストでは過去の過ちと向き合いながらラオはベルゼの力を借りつつ前に進んでいく流れなのかなーと。
この嚙み合わせというか、それぞれの立ち位置から来る接点の持ち方と作り方が原作ではさり気なく描かれながらも本当に神懸り的で丁寧さを感じるので、映画で描かれなかったのが本当に勿体ないなぁと思います。

DB超SHもそうでしたが、鳥山先生の作品は、読者や視聴者に分かりやすい形で、ちゃんと「キャラクターそれぞれの立場の視点」で方向性がブレずに納得のいく流れで描かれてるんだなぁと。

SANDLANDの世界観的にもワード的にも「戦争」というものがわりと切っても切れないものになっていて、作中でも戦争の象徴とも言える戦車が活躍するシーンがわんさか出て来ます。
戦争というのは加害者と被害者というものが必ず生まれるもので、自分のような臆病で小心者のナメックからすると人間による愚かな行為の極みだと感じるものなのですが、現実世界で特に加害者と被害者両方の側面を持つものとして自分が真っ先に頭に浮かぶのは「日本」だったりします。
映画SANDLANDはその「日本」が世界に誇る漫画家が描いた作品の映像化でもあるので、加害者としてのラオの行動が描かれた原作のシーンからは目を背けずにきちんと描いて欲しかったなぁと。
少し話はズレますが、関東大震災から100年目という節目である今年の9月1日に「福田村事件」という映画が公開予定ですが、その映画の監督がインタビューでこんな事を仰っていました。
「日本では、戦争や差別の加害者としての側面は、ほとんど劇映画になっていない」。
すんげぇタイムリーな言葉だなぁと思いました。
SANDLANDの原作が世に出てから23年経って、映像化に伴いラオの加害者視点の描写を削って被害者視点でのシーンを盛沢山にさせたこと、しかもこれから映画界を牽引していくであろう自分と同年代の監督がそのような作品にした事が自分にとっては少なからず衝撃的でした。
ああ、こういう事を言うのかなと。

ついでに、ラスト手前のシーンがモリモリに盛られる形になったのは何となくこうだからかな、と呟いた点に関して、鳥山先生の指示でゼウとの決闘のシーンを原作以上に充実させたとの事で、ヘアスプレーを使ったラオの戦術を踏襲してサボテンでサポートするシーフの姿も含めて、とても見どころの多い内容になったなぁと思ってます。
ただ、加害者の側面としてのラオの潔さと柔軟性、誠実さを表すシーンをごっそり削ってしまったことで、被害者としての側面を強調した場面をあのくらい盛らないとラオのカッコ良さがどう頑張っても原作に及ばなくなってしまうのかなぁとも感じました。
何となくですが、被害者視点の方が視聴者側は感情移入もしやすいでしょうし、ゼウが原作以上にクズ度を増したことでシンプルな勧善懲悪な図式が出来上がっていたので、視聴者は誰しもがラオを応援しやすくなるよなーと。
でも、加害者側として見せた姿勢から感じるカッコ良さと被害者側として見せるカッコ良さはまったく種類が違うので、どれだけマシマシに被害者としての視点でドラマ性を盛っても原作のラオとは別人だなーと自分なんかは受け取ってしまいました。
もし鳥山先生自身が削って欲しいと要望を出していたのだとしたらその理由を知りたいなーと感じますし、被害者としてのドラマ性を増やしたなら同じだけ加害者としての視点も盛らないと結局はダブスタに見えてしまうというか。すみません。

ぶっちゃけ、映画の流れではピッチ人に対して「オレもゼウに騙された被害者なんだわー、とりあえずベルゼと一緒に元凶のゼウはぶっ飛ばしておいたぞー、ベルゼ誘って物資持ってきたから受け取ってー」にしかならないような気がしました。
被害者としては原作以上に過去をキッチリ清算したけど加害者としてまず取らなければならない行動のシーンが無くなっていたので伝わらないというか、人間として目を背けてしまいがちな所と向き合わないとか、それってラオじゃなくね?みたいな。

ついでに書かせて頂くと、悪役を演じる事の多いらしい、コメントの内容もワリと独特な言葉とシブい観点で語られている印象の強い山路さんという最高のキャスティングだったので、だからこそ取り返しのつかない過ちを犯したと分かった上で、苦悩するだけでなくその過ちを受け入れて謝罪するラオの演技を聞いてみたかったなぁと。

なのでまぁこの点に関して自分は衝撃は受けましたが、憤りというよりも「ああ、そうしちゃったのね、残念です」くらいの感情しか浮かばなくて、
悪い意味で今のこの国を象徴するような脚本になったなぁと思いました。
もちろん自分の気にするような部分まで含めて鳥山先生があのシーンを描いているのかどうかはまったく分かりませんし、今のような時代だからこそエンターテインメントに振り切った流れにしたのも何となく分からんでもないので、何度も呟いてますが自分の捉え方が今の時代とそぐわない、ズレたものだという自覚と認識がある上で、それでも自分はこう感じた、という感想を書かせて頂きました。
この1点で、エンターテインメントとして楽しむ作品としてはいいのかなーと思いましたが、親として子どもに薦められるかは微妙になりました。
これは以前からも時々呟いてますが、個人的に“総括出来ない人が苦手”という自分の性格に起因しているので、作品として云々というより、このシーンを省いた作り手側との相性が悪かったのだと捉えてます。
映画SANDLANDは原作と違って自分にはそこまで刺さりませんでしたが「エンターテインメントとして」素晴らしい作品だと思いますし、色んな意味でこの時代に受け入れられやすい内容になっていると思います。
と同時に、原作も合わせて読んで欲しいなぁとも思います。

ので、先日呟いた伊能さんへの信頼度は限りなく100%には近づいたけど100%MAXには至らず。スミマセン。

繰り返しますが、自分の見方はほとんどの方と違っていてズレてるハズなので、もしここまで読んで下さった方がいらっしゃったら相当しんどかったと思います。
お疲れさまでした、そしてありがとうございます。

これも繰り返しになりますが、エンターテイメントとして素晴らしい作品だと思ってますので、先にも書きましたが次は4Dで観たいなぁと思ってます。
早いところでは8月中にもIMAX上映が終わってしまうようなので、早めに劇場に足を運んで映画を観て、その上で原作を読む人も増えるとイイなぁと思います。

TwitterのRTキャンペーンで当選して届いたボトル。めっちゃ嬉しかったです(´ω`)

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