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「感染の窓」の誤解

今なおよく語られるいわゆるミュータンス菌の「感染の窓」
ミュータンス菌は生後およそ19〜31か月に検出されるというCaufieldの有名な論文1)が元になっています。
だいたい1歳半から3歳までに感染するとされますが、その考え方はもうあまりしないほうがいいかもしれません。

「むし歯の原因菌」はいない。

まずむし歯の原因菌としてミュータンス菌、S.mutansに固執する考え方はかなり以前から変化してきています。
う蝕に関わる菌は分かっているだけでもとてもたくさんの種類がおり、むしろ分かっていないことのほうが多いです。いわゆる「むし歯の原因菌」という菌はいません。
常在細菌として様々な菌が存在し、唾液分泌量や食習慣などの環境変化で細菌叢のバランスが生態学的に変化することによって病原性を発揮すると考えられています2)。

そしてそれゆえにそもそもむし歯は「感染症」ではありません。
「非感染性疾患」です3)。

ですのでミュータンス菌に焦点を絞って語ることにあまり意義はないのですが、今回は「感染の窓」についての解説なのでそこに焦点を当てて進めていきます。

本当に「感染の窓」の時期はあるのか?

さて、「感染の窓」が正しいのか?ですが、ここにおもしろい研究4)があります。
ひどいむし歯に悩まされている子どもたちのいる地域を対象に調べたところ、生後16か月までにミュータンス菌が検出されている子どもがけっこういたというものです。
感染の窓の時期より早期ですね。
これを「むし歯がひどくなるのは早くから感染していたからだ!」と論文でもしているのですが、むし歯にはたくさんの要素が関係します。

生後4か月の時点でも伝播は起きている

細菌感染の要素をいうとすれば、つい最近にも生後4ヶ月の時点で多くの児が母親の口腔細菌を共有していたことが明らかにされています5)。
この論文の焦点は母乳栄養と人工栄養とでの違いについてですが、こうしたことも口腔内細菌は影響を受けるわけです。
さておき、4か月の時点ですでに母親から口腔内細菌が伝播している可能性があるのですから、「早くから感染していたからだ!」というのには限界がありそうです。

ミュータンス菌が早期に検出されることはむし歯発生と相関関係はありえても、因果関係ではない。

ではなぜむし歯の多い地域の子どもたちは早期からミュータンス菌が検出されたのか?
僕の考察ですが、生後早期に母親から伝播する口腔内細菌の中には、当然ながらミュータンス菌などのう蝕原生菌もわずかであれ含まれているはずです。
その割合を生態学的に変化させる環境変化、つまりは甘いものを子どもたちが早期から頻度高く摂取している可能性が高いと考えられます。
さきのアメリカの研究でもこうした要素が十分に調整されたわけではなさそうです。
こうした結果、う蝕原生菌の一種であるミュータンス菌もその割合を高め、検出されてくるのではないかと思います。

母親のミュータンス菌が多いと子どものむし歯が多い?

そして次の論点は、母親にミュータンス菌が多いと子どももミュータンス菌が多くむし歯も多い、という現象についてです。
こちらについても、なぜ母親にミュータンス菌が多いのか?を想像すれば、母親の食習慣等の生活背景が思い浮かんできます。

甘いものを頻度高く摂取している母親と、そうではない母親。
どちらが子どもに対して早期から甘いものを与えやすいか?というのは当然考えなければなりません。

キシリトールガムを噛んだ母親の子はミュータンス菌が少ない?

キシリトールガムを噛んだ母親の子どもはミュータンス菌の検出が少ないという研究6)もあります。
この研究では母親に1日4回以上、5分間以上キシリトールガムを噛んでもらっています。
ガムを噛むといっても普通はそんなに噛む方はあまりいないでしょう。
この研究は対照群はガム自体を噛んでいないのでキシリトールの効果なのかわからないこと、盲検化やアウトカムの正確性(簡易培養検査を用いている)等、欠点は色々ありますが、仮にそれらが妥当だとしても1日4回5分間ガムを噛んだ母親は、そうでない母親と比べて間違いなく口腔に意識が向くと思われます。

ちなみにキシリトールのむし歯予防効果は現在は疑問視7)されています。

こうした研究では、様々な交絡因子を排除することがとても難しいので、何がその効果をもたらしたかを判断するのが困難なのです。
結果としてむし歯予防ができていればそれでいいとも言えますが、最初に戻って「感染の窓」を妥当なものとするのかしないのかで、アプローチも少々変わってきます。

むし歯を感染症と考えるかどうかで、対応が変わってしまう。

すなわちむし歯を感染症と思えば、うつさないようにする行動が必要で、うつしてしまう可能性のある周囲の大人が気をつけなければ、と考えます。
一方、感染ではなくその子の生活習慣が大きな要素だと思えば、その子自身の食習慣を気をつけなければ、となります。
ただしこれらは相互に関係するものです。
子どもの食習慣を気をつけるには親も食習慣や口腔への意識を変えることになるでしょう。

本当に効果的なむし歯予防行動は?

そして、それらの行動が本当にむし歯予防に結びつくのか?ということにも興味が向きます。
まず、母親に食習慣について伝えることはおそらくちょっと効果あり8)です。

一方、うつさないように食具を分けたりする行動はどうもあまり効果がない9)ようです。

強いて言えば、「感染の窓」を根拠に「やっぱり3歳くらいまでは甘いものに特に気をつけたほうがいいよね」というのはありかもしれません。
そのあとも細菌叢は変化しますし、気をつけたほうがいいことに変わりはないですけどね。

「むし歯は感染症」という考えを棄てるべき理由。

なので結論としては、「感染の窓」を意識したり「むし歯は感染症だ」と捉えると、それ自体が誤りであるばかりか、あまり効果のないアプローチが優先され、効果的なアプローチが後回しになりうるので問題なのです。

そもそもミュータンス菌が少なくてもむし歯になることはあるし、ミュータンス菌が多くてもむし歯にならないことはある

だからまず最初に「むし歯は感染症」という思い込みを棄てるべきだと僕は考えます。

1) Caufield PW, Cutter GR, Dasanayake AP. Initial acquisition of mutans streptococci by infants: evidence for a discrete window of infectivity. J Dent Res. 1993 Jan;72(1):37-45. doi: 10.1177/00220345930720010501. PMID: 8418105.
2) Marsh PD. Microbial ecology of dental plaque and its significance in health and disease. Adv Dent Res. 1994 Jul;8(2):263-71. doi: 10.1177/08959374940080022001. PMID: 7865085.
3) Sugar and dental caries. Fact sheets WHO 2017 
4) Lynch DJ, Villhauer AL, Warren JJ, Marshall TA, Dawson DV, Blanchette DR, Phipps KR, Starr DE, Drake DR. Genotypic characterization of initial acquisition of Streptococcus mutans in American Indian children. J Oral Microbiol. 2015 Apr 1;7:27182. doi: 10.3402/jom.v7.27182. PMID: 25840611; PMCID: PMC4385128.
5) Kageyama S, Furuta M, Takeshita T, Ma J, Asakawa M, Yamashita Y. High-Level Acquisition of Maternal Oral Bacteria in Formula-Fed Infant Oral Microbiota. mBio. 2022 Jan 18;13(1):e0345221. doi: 10.1128/mbio.03452-21. Epub ahead of print. PMID: 35038919; PMCID: PMC8764541.
6) Nakai Y, Shinga-Ishihara C, Kaji M, Moriya K, Murakami-Yamanaka K, Takimura M. Xylitol gum and maternal transmission of mutans streptococci. J Dent Res. 2010 Jan;89(1):56-60. doi: 10.1177/0022034509352958. PMID: 19948944.
7) Riley P, Moore D, Ahmed F, Sharif MO, Worthington HV. Xylitol-containing products for preventing dental caries in children and adults. Cochrane Database Syst Rev. 2015 Mar 26;(3):CD010743. doi: 10.1002/14651858.CD010743.pub2. PMID: 25809586.
8) Riggs E, Kilpatrick N, Slack-Smith L, Chadwick B, Yelland J, Muthu MS, Gomersall JC. Interventions with pregnant women, new mothers and other primary caregivers for preventing early childhood caries. Cochrane Database Syst Rev. 2019 Nov 20;2019(11):CD012155. doi: 10.1002/14651858.CD012155.pub2. PMID: 31745970; PMCID: PMC6864402.
9) Wakaguri S, Aida J, Osaka K, Morita M, Ando Y. Association between caregiver behaviours to prevent vertical transmission and dental caries in their 3-year-old children. Caries Res. 2011;45(3):281-6. doi: 10.1159/000327211. Epub 2011 May 12. PMID: 21576961.



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